第147話 絶望

『クソッ! 操られていやがるのか!? おい! 長髪野郎! 勇者を止めるぞ!』


『ここのダンジョンマスターは精神寄生体だったとうことですか……。仕方ありません。婦人を見捨てるのは私の美学に反する』


 突発的な事態にも、英雄たちはすぐに平静を取り戻す。


 長く冒険者生活をしていれば、目の前で人が死ぬ経験は一度や二度ではないのだろう。


 修羅場には慣れているらしい。


 およそ七割くらいの冒険者たちが、アルセを取り囲み、一斉に仕掛ける。


『「スタンバッシュ」!』


『「第十二楽章 バインドネスの夜想曲」!』


『「スロウアロー」!』


『「泥縄」――戻っておくれよおー。アルセぇー!』


 怒涛のように押し寄せる、状態異常攻撃の波。


 しかし、それはアルセを包み込んだ深い闇の霧に前に、一瞬で無効化された。


『勇者? 精神寄生体? 愚かだ。全く愚かだ! あなた方ヒトは、いつもそうですね。見えるものを見ようとせず、信じたいものを信じる。だからこそ、御しやすいのですが。――逃げて!』


 闇から音もなく飛び出してきたアルセが、瞬く間に二人斬り殺す。


 自らを囲んだ英雄の中から、的確に一番弱い者を見抜いたようだ。


 それは、勇者に求められるべき行動とは真逆の、冷酷でシステマチックな殺戮。


『なんだこの強さは! 俺たちのレベルはドングリのはずだろうが! いくらヘタレでも瞬殺ってことはねえだろ! 説明しろ! インテリ貴族さんよお! ――究極奥義! 『大・噴・火!』


 ボルカスの斧が――いや、身体自身が数倍に膨れ上がる。


 そして叩きつけられる、どこに跳んでも回避不能な圧倒的な暴力。


 それは間違いなく、本気で殺すための一撃だ。


 もはや拘束は不可能と考えたらしい。


 命の危機を覚えた冒険者に、躊躇はない。


『知りません! 古今東西の歴史を収めた私の脳内辞書にもこのような例は記録されていない! 「終止フィーネ! 絶死のオーケストラ!」』


 ルッケローニがそれに合わせるように、全ての属性を混合した、純粋な魔法力の塊をアルセに叩きつける。


『ならば代わりに私が教えてあげましょう。あなた方に希望などないという事実を。ヒトが勇者と呼ぶ特異存在は、先日私たちが殺しました!』


 アルセはその剣で、何倍もの斧を受け止める。


 そのまま軌道をずらし、ルッケローニの魔法とぶつけ、両方の攻撃を無効化した。


 斧が砕け、魔法が霧散する。


 同時に、周囲に飛び散ったガラスの粉末がアルセの近くで収束し、SFでよく見るホログラムのような形で、過去の惨劇を再演した。


 どこかの田舎の、名もなき輝く目をした少年の首がねじられる様が、執拗に繰り返し流される。


 それが真実あったことかどうかは分からないが、かなりのリアリティがあった。


『そんな! 勇者がいないなら、世界はどうなってしまうの!』


『おしまいだあ! 世界の終わりだあ!』


『じゃあ、俺たちの信じていたアルセは一体なんなんだよ!』


 映像はダンジョン最下層に固定されたまま、冒険者の叫びと市民の悲鳴の音声が混じる。


 中継班も混乱しているのか、映像の管理がまともにできていない。


『この娘はあなた方の世界が生み出し、そして疎み、私たちの住み家ダンジョンに捨てた、弱く、無知で、儚い餌です。事実、私がこの子を見つけた時、はらわたを食い荒らされ絶命寸前でしたから、私の血と肉と力を分け与えてやらなければ、すぐに死んでいたでしょう――そんな。じゃあ、私を助けてくれていたのは、創造神様の加護なんかじゃなくて――そうです。私です。ヒトが『魔王』と呼ぶ存在の祝福で、あなたは生きて来た。役に立ったでしょう? ヒトが望む性格も、容姿も、能力も全て用意してあげたのですから。――違う! 私が私になったのは、育てくれた優しいヒトたちと、仲間と、この街のおかげだもん!――そうです。私は種を撒いただけ。それを育てたのは人間です。人は偶像を求める。あなたは期待に応えて偶像になった。全て私の想定通り。そして、今が、収穫の時期という訳です』


 アルセは独り芝居を続けつつ、無表情のまま、剣と魔法を振るう。


 およそ人間の身体の構造を無視したような、獣のような動作で、次々と犠牲者を増やしていく。


「えっと、つまり、どういうことですか。姉様?」


 脱出に備え、急ぎ装備を身に着ける僕たちを後目に、先に用意を終えたリロエが尋ねた。


「ヒトに勇者がいるように、魔族には魔王がいる。その能力は、勇者の逆。つまり、この世界の全てのヒトに対して、何倍もの戦闘力を発揮する」


 同じく先に準備を終えたテルマが、端的に答えた。


「それってつまり、あの娘がレベル40だとしたら、レベル100以上の強さで攻撃してくるってことですか?」


 リロエが顔を強張らせる。


「レベル――というより、ステータスの上昇率は上がれば上がる程きつくなるから、そう単純ではないけれど、基本的な理解としては正しい」


 テルマが頷いて、視線を再び映像へと転ずる。


『ここまでですね。いくら本体ではないとはいえ、魔王の一部を受肉した化け物を相手にするなど正気の沙汰ではない』


 ルッケローニはそう言うやいなや、黒子達に命じて、上階へと昇る階段へと移動を開始する。


『――てめえ! 逃げるのか!』


『私には祖国の魔法学を発展させるという崇高な使命がある! こんな所で死ぬ訳にはいかない! あなたも種類は違えど使命を抱えているのではないのですか!』


 ルッケローニはボルカスの怒声に、臆することなくそう言い返す。


『ちっ! そりゃあ、俺がいなきゃ、誰がガキ共の鉱山掘りの邪魔する亜竜を殺すんだって話だけどよお!』


 ボルカスは怒りのもっていきどころがないのか、壊れたしまった斧の柄を床に叩きつけて逃走を開始する。


 言うまでもなく、彼より弱い他の英雄たちは、すでにアルセに背中を向けていた。


『逃すと思いますか? いずれ忌々しい『撒き神』が勇者の力を復活させるでしょうが。それには時がいる。今ここで英雄たちを失えば、ヒトが私たち抵抗する術はない。そして、愛し子たるこの子が数多の強きヒトの魂を屠り、私に還り一つになった時、私はさらなる進化を遂げることでしょう。そう! 究極の生命体に! 世界で最も崇高で、強大な魔帝に!』


 GURYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!


 KYUREEREEEEEEEREEEE!


 BAGIGUSEKOOOOOOOOOO!


 MIMIMIMIMIMIMIMIMIMIMIMIMI!


 アルセが――いや、アルセの身体を乗っ取った魔王がそう叫んだ瞬間、無数のモンスターの鳴き声が地割れのように響いてくる。


 59階層から押し寄せる、モンスター。モンスター。またモンスター。


 無数の肉の壁が、逃走を試みる英雄たちの行方を阻んだ。


『くそっ! ここに来て、モンスターの群れデスパレードだと!?』


『ふっ。なるほど。強制的な休符という訳ですか。敵ながら完璧な計算ですね』


『こんなのってありかよ!』


『早く突破しろ! 殺されるぞ!』


 度重なる想定外の事態に、さすがの英雄たちの中にも、恐慌状態に陥る者が出てくる。


『そう。お前たちは死ぬ。そして、長く堕落と安寧を貪った地上の者共よ。ヒトらよ。お前たちもまた、覚悟するがよい!』


 アルセが、逃げる背中に追いすがり、遅く、弱い者から順に片っ端から攻撃を加えていく。


 しかし、敢えて、撮影班には手を出していないようだ。


 絶望をより広く、多くのヒトに植え付けるためだろうか。


 その様子を見ていた英雄の――いや、もはやただの冒険者と成り果てた者の中には、撮影班からマジックアイテムを奪おうとする者までいた。


『やめて! もうやめて! こんなことをするくらいなら私、赤ちゃんの頃に死んでいた方がよかった!――なにを今更。あなたが望んだのですよ。生きたいと。意思と契約は世界の理。私とて改竄できるものではない。大体、おかしいとは思わなかったのですか? なぜ、あなたの攻撃はいつも的確にモンスターの急所をとらえるのか。なぜ、あなたはいつも救うべきヒトに出会い、そして、実際に救えてしまったのか。まさか、都合よく起こる出来事が全て、自分の実力だと思っていたのですか?』


 魔王は容赦なく現実を突きつける。


 アルセは無表情のまま、瞳からさめざめと涙を流した。


 今の彼女の思い通りになるのは、どうやらその部分だけらしい。


『ぐっ! この状況で二正面作戦は無理だ!』


『ちっ。こんな稼業に足を踏み入れちまった日から死ぬ日は覚悟しちゃいたが、中々しょっぱい終わりだぜ』


『ああ。せめて、愛しのジョセフィーヌに捧げる詩を完成させてから死にたかった!』


 誰もが全滅を予感したその瞬間。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!


 一条の爆風が、階段に群れるモンスターたちを吹き飛ばす。


『じゃじゃーん! 真のヒーローは遅れてやってくる! ボクが! ボクこそが! 創造神様から選ばれた男! タクマ=サトウだ!』


 紅蓮の炎を身に纏い、最高のドヤ顔をキメた風の精霊が、僕の姿で最終階層に降り立った。

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