第111話 戦士の決意

「何と! あの難攻不落のバルク砦が陥落寸前とは! かくなる上は、命を賭しても、護国の壁となるのが我らの務め。村の衆総出で敵を食い止めるしかない!」


 代官さんは一瞬恐怖に顔を歪ませたものの、すぐに決然とした顔になって言った。


「されど、武器も満足に使えないとなれば、無駄死にしかならなぬでござろう。民の命は国家のいしずえ。そう安々と浪費して良いものではござらぬ。一度退転し、雌伏の時を過ごすもまた忠義にござる」


 レンが諫めるように呟く。


「しかし、それではグリューヴの民の武名の名折れ。ここは何としても死力を尽くし――」


「……逃げて」


 勇む代官さんの言葉を遮り、スノーがただ短く告げる。


「しかし、姫様――」


「……」


 悔しそうに唇を噛み締める代官さんを、スノーはただじっと見つめた。


「わかりました。姫様のご意向ならば、早速、皆に避難の準備をさせます。報告に来てくださったカリギュラの兵士の皆さんも、村に入って頂いて構いません。大したおもてなしはできませんが、着るものくらいは差し上げられると思います」


 代官さんは僕に矢継ぎ早にそう告げた。


「伝えてきます。それと、よろしければ、僕たちが乗ってきた軍用車も使ってください。いざとなれば、僕たちは空を飛んで帰れるので」


「ありがたい! 足腰の弱い者や、子どもを優先して使わせて頂きます」


 僕の申し出に、代官さんが平伏しかねない勢いで頭を下げた。


 そして、一秒を惜しむように、僕たちは行動を開始する。


 逃走してきた集団――兵士の人たちを村に招き入れ、避難の準備に忙しい村人たちに代わって、彼らの世話をする。


 服を用意したり、怪我人はミリアが治してやったり、食事を作ってあげたり、そうこうしている内に、用意が整う。


 ある者は徒歩で、ある者はバッロで、またある者は軍用車に乗って、次々と村を脱出していく。


「それでは、我々も参りましょう。姫様」


 最後まで見届け人として村に残っていた代官さんが、スノーに告げる。


「……」


 スノーはそう無言で、ゆっくりと首を横に振った。


「えっと、今、スノーはフロル殿下の命で僕たちのパーティに加わっているので、途中で離脱する訳にはいかないのではないでしょうか」


「くっ。上命ならば逆らえませんか! ――皆様方、姫様のことをどうぞよろしくお願い致します」


 代官さんは渋々頷くと、名残惜しそうに何度もこちらを振り返りながら、村を後にした。


「あの、それで、私たちはどうしましょう?」


 代官さんの姿が遠くなるのを確認してから、ミリアがそう問いを発する。


 村人全員が安全に撤退する目途はたったので、一応、僕たちに与えられた任務の範囲内では、十分に仕事はしたはずだ。


「まあ順当に考えれば、撤退ですわね。これは誰がどうみても、明らかな『イレギュラー』と言って差し支えない事態ですもの」


 ナージャが冷静に呟く。


「そうね。魔族の奴らに好き勝手されるのはむかつくけれど、ウチらがこの国のために命を張る理由はないわ」


 リロエが頷く。


「口惜しうござるが、一度王都まで撤退し、戦力を立て直すのが常道でござろう」


 レンも賛同の意を示す。


「わかった。じゃあ、ここは一旦、みんなで退却しようか」


 僕はみんなの意見を総合し、すでに他の村人たちが逃げて行った方向を見遣った。


「……」


 しかし、ただ一人スノーだけは、僕たちと反対の方向を見つめて歩き始める。


「ちょ、ちょっと、スノーさん。どこへ行くんですか!? そっちは王都とは反対方向ですよ!?」


 ミリアが困惑したように呟く。


「……つつみは決壊しても堤」


 スノーは歩みを止めることなく呟く。


「砦に救援に向かって、味方が逃げる時間を稼ぎたいってこと?」


「……(コク)」


 スノーが深く頷いた。


「いやいや、一人じゃ救援も焼け石に水でしょ! そもそも、あんた。相手が磁力を自在に操る化け物だとしたら、鎧も大剣も使えないのよ。戦えるの?」


「……ドラゴンは牙を失ってもドラゴン」


 リロエの当然の疑問に、スノーは鎧と大剣を脱ぎ捨てた。


 そして、広場にあった樹を、根ごと引っこ抜く。


 どうやら、この樹を武器に戦うと言いたいらしい。


「天晴! さすがグリューヴの戦士は天下無双の豪傑でござる」


 レンがスノーの覚悟に感激したように目を潤ませる。


「感心している場合? タクマ。どうすんのよ。多分、この娘、ウチらが止めても勝手に行っちゃうわよ!」


 リロエが呆れたような視線で、スノーを見つめる。


「スノーが命を賭けて戦いたいというなら、それは止められないよ。そして、申し訳ないけど、彼女の無茶に僕たちが付き合う道理もない。でも、とりあえず、砦の手前までは行ってみてもいいんじゃないかな。危なそうだったら即引き返せばいいし、何か支援できることがあれば、できる限りで助けてあげようよ」


 最終的には冒険者は自己責任の稼業なので、連帯責任はない。


 ましてやスノーは僕たちにとっては試用期間中のメンバーで、助けなければいけない義理もない。


 かといってこのまま何もしないで彼女を見送るのは、見殺しにすることとほぼイコールだ。


 僕としては何とも後味が悪い仕事になりそうで、放っておけなかった。


「まあ、悪くないのではなくて? 一度砦まで出向けば、フロル殿下に対して、ワタクシたちが限界まで努力したというエクスキューズにはなるでしょう。本来なら、カリギュラ国民でないワタクシたちにはそこまでする義務なんてさらさらないんですもの」


 ナージャは小さく欠伸をしながら、照れ隠しのように露悪的な言葉を繰る。


「私は正直怖いです。でも、砦には傷ついた兵士さんがたくさんいるかもしれません。一人でも多くの命を救うのが、私の癒しの神の信徒としての使命です」


 ミリアがぎゅっと杖を握りしめて言った。


「スノー嬢の生き方はまさに侠そのものにござる。吾は喜んでご助力致しまする」


 レンが即答して、自らの双剣や暗器を村の家の軒下に隠し始めた。


「はあー。しょうがないわね。まあ、ウチも故郷を大切に思う気持ちは分からなくはないし、付き合ってあげるわよ。金属を使わない矢尻もそれなりに持ってるしね」


 リロエが肩をすくめて頷く。


「ほら、スノー。みんな、協力してくれるって」


 僕は心優しい仲間たちをありがたく思いながら、スノーの背中に呼びかける。


「……感謝」


 スノーはぽつりと答え、樹を左右に揺すって木の葉のシャワーを降らせるという、謎の儀式を始める。


 その姿が、僕にはまるで尻尾を振る犬のようにも見えるのだった。

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