第44話 貴族

 やがて、ドシドシと足音が近づいてきた。


 一人の小太りの男を、6人の男たちが方陣状に取り囲んで守っている。


 ルカさんの言っていた通りの印章が装備に刻まれていることからいって、6人の男は兵士だろう。


 真ん中で守られているのは貴族だろうか。


 体型といい、装備のこなれてなさといい、戦闘に慣れている人間とは思えない。


「やはりあのぽっちゃりと従えている兵士は大したことはなさそうですわね。けれど、後ろに控えている獣人の娘に気をつけた方がよろしくてよ」


 ナージャが暗闇に目をこらす。


 その視線を追って初めて気づく。


 ダンジョンの暗がりや、兵士の男の影に隠れて、じっとこちらを窺う少女の存在に。


 常に僕たちの死角を意識しているような動きは、ただ者ではない。


 ダンジョンの壁と同じような黒っぽいフード付きのローブで全身を覆い、腰には双剣を挿している。


 顔はよく見えない。


「なんだ! この鼻がひん曲がりそうな臭いは! 風を起こせ! 風!」


 貴族っぽい男は鼻を摘まみながら、横柄な態度で命令する。


「かしこまりました。クロービ様」


 兵士の一人が顔色一つ変えず、『ウインド』の魔法で風を起こして血の臭いを払った。


 必然的に僕たちの方に臭いが集中するが、まあ自分でまいた種なのでしょうがない。


 近づいてくるクロービに、運び屋さんたちが道を開け、跪いて頭を下げる。


 隣のナージャとミリアも同じような格好をしているので、僕もそれに倣う形で壁際に身を寄せた。


「おい! 庶民! 貴様か! 先ほどから幼稚な音楽を奏でていた奴は!」


 魔法で作った土壁の手前までやってきたクロービが、僕の足下にあるリュートを見咎めて叫んだ。


「はい。そうです。ご不快なお思いをさせてしまい申し訳ありません。効率よくモンスターを討伐するために必要でして」


 僕は頭を下げたまま謝罪する。


「ふん。脳なしらしく数を集めて稼ごうという訳か。庶民らしい下賤な思いつきだな――邪魔だ。どけろ」


「はい。すぐ片付けます。『ソイル』 《ウインド》」


 僕は、まず片側の土壁は維持したまま、魔法で盛り土していた箇所を平らにならす。


 流れ出す汚水にさらに風を送り、水をはけさせた。


 再び『ソイル』で土壁を解除する。


 よし。


 後は『錬金術』床の銅コーティングを剥がして――


「よしっ! さっさと行って爵位継承の証を狩ってくるぞ! 一刻も早くこのような陰気臭い場所から出るのだ!」


 僕が終わったとも言ってないのに、クロービは強引に通路を突破しようと強引に先陣を切る。お供の兵士が慌てて、その後を追う。


「あの、足下にお気をつけ――」


「ヘブッ」


 クロービが足を滑らせて、顔面から床に突っ込んだ。


 残念ながら、僕の忠告は間に合わなかったようだ。


 汚水を排出したとはいえ、底にへばりついていたモンスターの血と臓物はとれていない。


 そのせいで下が汚れていて見えなかったのだろう。


 ただでさえ滑りやすい金属コーティングの湿った床に、モンスターの死骸が出た油のおまけつき。


 例えて言うなら、雨の日のマンホールにさらに芸人さんが使うようなローションをぶちまけたような状態の床である。


 これではこけても仕方ない。


(ちゃんと掃除してから道を譲ろうと思っていたのに……)


 せっかちな人だ。


「うわっ! なんだ! この床は! トラップか!」


 パニック状態に陥ったクロービが、赤子のように手足をじたばたさせる。


「クロービ様! 大丈夫ですか!」


 慌ててクロービを助け起こそうと駆け寄る兵士。


 同時に立ち上がろうとするクロービ。


 悪いようにタイミングが重なり、伸ばした兵士の手が、クロービの頭に伸びた。


 次の瞬間、ズルっとクロービの髪が取れる。かつらか。


(コントかな?)


 僕は唇を噛みしめ、必死に笑いを堪える。


 ナージャはポーカーフェイスだが、ミリアや運び屋の人たちは肩を振るわせていた。


「しっ、失礼しましたああああ!」


 汚れた床に両膝をつけ、拝むようにかつらを捧げて謝る兵士。


「この阿呆め!」


 クロービはかつらをひったくって自身の頭に装着しつつ、兵士の横っ腹を蹴り倒す。


 レベル的には兵士の方が強いので余裕で逆らえるはずだが、身分差がそれを許さない。


「貴様あ! よくもわれを愚弄したな!」


 クロービが目をひん剥き、肩を怒らせて、実用性の薄そうな金ぴかの剣を抜く。


「いえ。そのようなつもりは全く。《身体強化》」


 僕は建前状の服従の姿勢を守りつつも、戦闘に備える。


「なら! この惨状をどうしてくれる!」


「あ、あの! どこか怪我したなら私が治しますから!」


「黙れ!」


「ひゃう!」


 クロービに一喝されて、ミリアは僕の後ろに隠れた。


(さて、どうしよう。いくら何でも、即殺しにはこないはずだけど……)


 常識的に考えると、いくら貴族対庶民とはいえ、いきなり手打ちはありえない。


 江戸時代の武士とかも刀を抜いて町民を切ったりすれば、実質切腹させられたらしいし。


 しかも、僕は別にこの国の国民じゃない。


 冒険者の地位は国によって様々だが、どこでもいざという時の傭兵的な戦力として当てにされていることには違いない。目撃者が多数いる中、この程度のことで僕を殺して、冒険者ギルドとの関係を悪化させても、クロービにもこの国にもメリットはないはず……だが。


(理屈が通じない可能性もあるしなあ)


 その場合は、戦わなければならない。


 なりふり構わず特攻すれば、クロービを殺すことは可能だろう。


 だが、その後が面倒だ。


 僕のレベルは40とはいえ、七対三はきつい。ナージャが気にしていた獣人の娘の実力も気にかかるし、パーティーで実質的な戦闘要員は僕だけだ。


 仮に全部倒せたとしても、今度は国全体から兵力を差し向けられるかも。


 ならば、クロービを人質にとり、国外に脱出するか?


 いや、それとも――


「まあ! まあ! まあ! ワタクシとっても感動しましたわ!」


 一触即発の空気が流れる中、ナージャが大げさに拍手をしながらクロービの前に進み出た。


「な、なんだと?」


「だってそうではありませんか! 自ら進んで恥部をさらけ出すなんて、相当の器の大きさがなければ、中々できることではありませんから! ワタクシたちをリラックスさせようとしてくださったんですわよね!」


 ナージャが困惑するクロービの手をきつく握り、甘い声で囁く。


 何だろう。


 小学校の先生がかけっこで転んだ生徒を励ます時のようないたたまれなさを感じる。


「ふ、ふん。お前は中々道理をわきまえた人間のようだな。娘」


 しかし、そんな僕の印象とは裏腹に、クロービは満更まんざらでもなさそうに鼻を膨らませた。


 それでいいのか?


 と思わなくもないが、そもそもあの程度キレるくらいだし、根本的におつむが単純な人間なのだろう。


「もったいないお言葉、光栄です! クロービ様のような貴族の殿方はワタクシのような庶民の娘にとって憧れですもの!」


「ふふん。そうだろう。そうだろう」


(ナイス。ナージャ)


 彼女が会話でクロービのご機嫌をとっている間に、僕は床の銅コーティングを剥がし、水と風の魔法を連発してちゃちゃっと通路の清掃をする。


「ああ。もっと色々お話しさせて頂きたいところですけれど、これ以上、クロービ様のような高貴なお方にお手間を取らせては申し訳ないですわ! さ、5階層でくすぶっているワタクシたちのような下賤の者たちは気にせず、どうぞお先へ進んでくださいまし!」


 ナージャは僕の作業が終わったのを見計らって、一歩下がって脇に控える。


「当然だ! おい! 行くぞ!」


「はっ!」


 気を良くしたクロービは張り切って、配下の兵士に号令をかけ、僕たちの横を通り過ぎていく。


「ご武運をー!」


 ナージャがその背中に手を振る。


 アフターケアも万全だ。


「おい明日の晩、貴族街の近くにあるニューゴールドという宿にこい! 我が直接、一晩中、武勇伝を聞かせてやろう」


 去り際、クロービがナージャへと振り向いて、ウインクする。


「まあ! そんなもったいない!」


 ナージャは感動の面持ちで、YESともNOともとれる曖昧な返答をした。


 その足音が遠ざかっていくまで、これ以上の災厄を被らないように、僕たちはじっと息を潜める。


「ふう。ようやく次の階層に行きましわね」


 ナージャがぽつりと呟く。


「はあー。助かりましたー」


 ミリアが大きく息を吐き出す。


「ああ! もう! それにしても、本当に気色悪い豚でしたわ! タクマ! 水!」


 ナージャが吐き捨てるように行って、僕の方に両手を突き出してくる。


「はい。ギャザーウォター。でも、本当、ナージャさんがフォローに入ってくれて助かりました。僕がもうちょっと上手くやれればよかったんですけど」


 事前に『床が滑るから掃除したい』旨を伝えるなど、やり様はいくらでもあった。


 一応、不慣れとはいえダンジョンに潜る冒険者だから、生物として最低限の警戒心くらいは持っていると期待した僕が馬鹿だった。


「あんなの、性質の悪いトラップを踏んだみたいなものですわよ。そもそも、本物の貴族なら、庶民からの評判が馬鹿にならないことを知っておりますわ。ああいう場面でウイットに富んだユーモアで返せてこそ一流。素知らぬ顔で通り過ぎるのが二流。それなのに逆切れするなんて、三流もいいところですわよ」


 ナージャが僕が出した水で、ゴシゴシと執拗に手を洗いながら呟いた。


「もしかして、僕を慰めてくれてます?」


「な、なにをおっしゃいますの。ワタクシがそのような一銭の得にもならないことすると思って?」


 ナージャは照れ隠しまぎれか、濡れた手の水をピュッピュッと僕の方に飛ばしてくる。


 やっぱり結構いい人だよな――と思う僕は『傾国』に毒されているのだろうか。


「じゃあそういうことにしておきます。……でも、あんな思わせぶりなこと言っちゃって大丈夫ですか? あのクロービとかいう人、自分に都合よく物事を考えるタイプでしょうし、多分、ナージャさんが宿に来てくれると思ってますよ」


 心配になってそう尋ねた。


 僕を助けるために、ナージャが厄介事を抱え込むのは申し訳ない。


「そう思うのはあの豚の勝手ですし、口だけの約束なんてどうでもなりますわ。いざとなったら逃げるだけです。ワタクシは探索者ですもの。あんなトロくさい豚に捕まるはずがありませんわ」


 ナージャは余裕綽綽よゆうしゃくしゃくで笑う。


「そうですか。では、冒険者ギルドに帰って、報酬を受け取りましょう」


 運び屋の人たちと一緒に帰路につく。


「ふふふ! これだけ狩れば相当なお金になっているはずですわね! 高級アクセサリーに、世界の珍味、演劇鑑賞! 夜通し遊び倒しますわよ!」


 あんなことがあっても、たくましく欲望をたぎらせるナージャの背中を見て、僕は彼女がパーティーに入ってくれて本当に良かったと思った。


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