第30話

「エリアーナ嬢、今日の放課後に少しお時間をいただけますか?」

 昼休みにマリエル嬢が珍しく、わたしの教室をひとりで訪ねて来られた。

 先日、王立図書館で殿下に偶然お会いした際に、わたしに話しをされていた4人でする「ささやかなお礼の会」というもののお誘いだろうか?

 

 殿下とは距離を置きたいので、顔を合わさなければならないその会はなるべく辞退をしたい。思わず警戒心がムクムク湧いてきて身構えてしまう。


「…ええっと、マリエル嬢と2人ですか?」

 そうであることを願って確認してみる。

 マリエル嬢と2人なら喜んで時間を作るんですが…

 予想通り、マリエル嬢がバツが悪そうな表情をされる。

「セドリックとその…殿下も一緒ですが、エリアーナ嬢に相談したいことがありまして…」

 わたしに相談?

 そう言われたら、断りにくい。

 あのおふたりのことだ。マリエル嬢に誘われたら、わたしは絶対に断れないということを見込んでマリエル嬢を使者に送ってきたに違いない。

 これまでなにかとお世話になっているマリエル嬢の顔を潰す訳にもいかない。


「大丈夫です。今日の放課後は時間ありますよ」

 そう答えるとマリエル嬢の表情が一気に明るくなる。

「良かったわ。では、授業が終わったら執行部に来てくださいね。お待ちしています」

 ホッとした様子でマリエル嬢は帰っていかれ、わたしはこの先のことを思うとため息が出てしまった。



 放課後、久しぶりに執行部のドアの前に立つ。まさか、また再びこの扉を開けることになるとは思っていなかった。

 初めてこの部屋に来た時、アーサシュベルト殿下と会話が続かなくて大変だったことや殿下とのアーンが思い出され、思わずひとりでクスリと笑ってしまう。

 最後に来たのは、殿下の右腕が全快して包帯がとれた時だった。あの頃はキャロル嬢と殿下が恋仲になっていくのを邪魔をしてはならないと悪役令嬢になってはいけないと距離を置こうとしていたんだよね。

 そしていまは… 殿下への恋心を打ち消し、アーサシュベルト殿下から逃げれるだけ逃げて、円満な婚約解消が出来ることを願っている。


 深呼吸をしてノックをする。

「エリアーナです」

 扉を開けながら部屋の中を見回すとテーブルで書類を読んでいるアーサシュベルト殿下が目に飛び込んできた。

 心臓が思わず跳ね返る。

「よく来てくれたね。」

 アーサシュベルト殿下が書類から顔を上げる。

「え…その、マリエル嬢は?」

「マリエル嬢はいまセドリックとお菓子を買いに行っているよ。エリアーナはそこのソファに座っていて」

「はい。わかりました」

 言われるとおりにソファに座る。

 殿下は執行部の仕事が忙しいのか、再び書類に目を落とした。

 相変わらず見目麗しいが書類を真剣に読んでいる姿はこれまた知的で素敵だ。思わず見惚れてしまう。

 大人しくソファに座り、セドリック様とマリエル嬢の帰りを待つが、殿下が書類を捲(めく)る音だが部屋に響くき渡り、わたしはその静けさに耐えられなかった。


「アーサシュベルト殿下、わたしがお茶の用意をしてもよろしいでしょうか?」

「もちろん。お願いするよ。俺も手伝おうか?」

 殿下が書類をバサッと机に置いた。

「大丈夫ですよ。殿下はそのままお仕事を続けてくださいね」

「ありがとう。じゃあ、よろしくね」

 再び、殿下は書類を手に取られた。


 わたしはお茶の用意が置いてある棚の前に立ち、茶器の準備をする。

 その時、ふわっと温かいオレンジ色の匂いがしたかと思った瞬間、後ろから抱きしめられた。

「で…殿下!」

「やっと…エリアーナを捕まえられた」

 わたしの髪に顔を埋(うず)めながら、殿下が呟くように話す。

「このまま…少しだけこのままでいさせて」

 懇願するかのようにそう殿下に言われるとなにも言えなくなった。

「わかりました」

 手に持っていた茶葉を棚にそっと置き、身じろぎもせずにじっとする。


 わたしを抱きしめている殿下の腕がさらにぎゅっとキツくわたしを抱きしめる。

「エリアーナが俺の腕の中にいる。ずっとこうしたかったんだ」

 殿下の熱い吐息を髪に感じながら、耳まで赤くなっているのが自分でもわかるぐらい熱い。このまま、どうしていいのかわからない。

 しばらく、殿下に抱きしめられる。


 ただ、やっぱり好きな人。

 この腕の中が心地良いと思う自分がいる。

 でも、これは知ってはいけない心地良さ。溺れるとこの腕の中から抜け出せなくなる。


「殿下、そろそろ離してください」

「アッシュって呼んでくれたら」

「………婚約を解消してくださるなら」

「その可愛い唇を塞ぎたくなるんだけど」

 わたしを抱きしめていた殿下の右手が緩み、わたしの唇に殿下の指先が触れる。



「あれ〰︎ ごめん。タイミング悪い時に帰ってきたね」

 扉がバタンと開いて、セドリック様とマリエル嬢が帰ってきた。


 助かった!!と思ったのは一瞬で、おふたりに殿下に抱きしめられている姿を見られ、羞恥心で死にそうだ。


「いいよ。いいよ。アーサー、そのまま続けて!」

「!!セドリック!」

悲鳴にも怒りにもとれる殿下の声が執行部に響いた。

 



⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



「相談は、ささやかななお礼の会でピクニックに4人で行こうと思っていまして、エリアーナ嬢の希望をお聞きしたいのです」

 マリエル嬢の変わらぬ、たおやかな話し方に救われる。

 さっきはとんでもないところをおふたりに見られてしまった。

「希望は特にないのでみなさんに合わせます」

 ピクニックなんて1日中、殿下と一緒に過ごすことになる。

 なんとなく、気乗りしないがみなさんのご好意を無下にするわけにもいかない。


「じゃあ、もうすぐ夏だし海に行こうよ」

 セドリック様が満面の笑みで提案をする。


「「!!!海はダメです(だ)」」


 咄嗟に否定してしまった。

 殿下と意見が被(かぶ)る。

 アーサシュベルト殿下とお互いの顔と顔を見合わせる。


 わたしはあの夢の影響もあって、海と崖が怖いだけ。出来れば近づきたくない。

 本当は海は大好きだ。王都に来るまでは、海に面する領地で療養していたので懐かしさもある。

 

「アーサーは海が嫌いだった?」

 セドリック様が不思議そうに殿下に聞いている。

「いや、そういう訳じゃないんだ。ほら、まだ海には少しだけ早い季節だろ」

「?まあ、いいや。じゃあ、どこにする?」

「ミレーユの滝とその近くにあるラベンダー畑を見にいくのはどうでしょう?」

 マリエル嬢が提案をしてくださる。

「良いですね。わたし、ずっと南の温かい領地にいたのでラベンダー畑を見たことがないんです」

 ラベンダー畑は紫の絨毯のようでそれは美しかったと王都の屋敷の侍女達から聞いたことがある。

「良いね。そこにしようか」

 殿下が直ぐに頷かれ、満場一致で決まった。


 アーサシュベルト殿下と距離を置きたいいま、これが一緒に過ごす最後の思い出にしよう。そっと心に決めた。

 

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