短編集

こしょ

家が燃えた

 高校が終わって私が家に帰ると家が燃えていた。母がその前で立ち尽くしていた。ごうごうと煙が上がって雲が厚くなった。明日は雨が降りそうだ。道にはすでに消防車が何台も止まって消火活動に当たっている。

「いや、なにこれ! 待って、私の大切なものがいっぱいあるのに!」

 私はショックで叫びながら中に入ろうとして消防士の男の人に止められた。

「君、危ないよ、無茶なことはやめろ!」

「何よ、引っ張らないで! 行かせて!」

 うちは一軒家だが私の部屋がある二階はまだ燃えていないような気がしたのだが、一階が燃えている以上、はしごでも使わないと二階に行けるはずがない。

「お願いします。私のものを取りに行きたいから二階に連れてってください」

 頭を下げると消防士が真面目な顔をしてだめだと言った。

「バカだな、お前は。煙が充満してて二階に行ったら即座に死んでしまうぞ。命を無駄にしてはいけない」

「命より大事なものなんですよ! わかってもらえませんか!」

「命より大事なものなんてないだろ! お母さん、なんとか言ってあげてください」

 彼がそういうと呆然としていた母が私にしがみついて無茶をしないでと言って大泣きした。私が初めて見るような母のそういう姿が火事よりよっぽど恐怖を感じさせられてしまって、もうこりゃだめだって感じで何もかも諦めるしかないのだと思った。

「でもどうかなるべく二階を無事なまま助けてください、火を消してください、お願いします。このとおりです」

「努力はしますがたぶん無理でしょうね」

 無理なんだって! まあ、確かにすでに火は二階に移ってるように見える。その時に弟が帰って来た。弟は部活をやってて私より帰るのが遅いのだが、まだ日が明るいから今日は早い方だ。

「なんだこれ、なんだ、これ! お母さん、お姉ちゃん! どうなってんの? 俺の部屋が!」

 弟が家に飛び込もうとするので消防士に羽交い締めして止められた。

「おーい、お姉さん、なんとか言ってあげてください」

「蓮、あんた、こんな中に入ったら危ないってことわかるでしょ。そりゃ大事なものはいっぱいあるでしょうけど、一番の宝物はあなた自身なのよ!」

 私の説得に弟はおとなしくなった。きっと私が一番冷静に違いない。ああ……それにしてもなんということだ。その時、母からの連絡で職場から飛んで帰ってきた父が表れた。父も動揺していたが、家族に駆け寄ってきた。

「みんな無事か?」

「一応ね。心の傷は大きいけどね。とってもつらいよ」

 私の答えにとりあえずは安堵した様子を見せて、父は嘆いた。

「前から思ってたけど、なんて燃えやすい家だ」

 うちの家は木造で百年物のおんぼろ家だ。内部は未練がましくも地味にリフォームして多少は現代の機能を搭載していたが、根本的にはいつ崩れてもおかしくねえって感じだった。火というのは恐ろしいと私は思った。百年もの間、一応は形を保ってきたものがわずか数時間で夢幻のごとくなり。火事を起こせば何代も先まで村八分などと言ったりするが、幸い消防の人たちのおかげで周りには火が行っていない。綺麗にうちだけが燃えてやがる。

 最終的に、我が家は全焼した。何も残らなかった。誰も怪我がなかったことだけがよかった。消防の人に感謝したい。


 とにかく急に路頭に迷うことになってしまったので、その日はホテルに泊まった。父と弟、母と私で二部屋を借りた。保険が出るらしいのでお金の心配は……とりあえずはない。夜食はカップ麺だった。四人で狭い部屋に集まって食べながら、明日のことを話した。今日は水曜日。何が水曜日って感じだ。どうせ火事になるなら火曜日にすればいいだろ(良くはないが)。で、明日は木曜日だ。学校があるのだが……こんな状況で? 学校か? 正気か? ってちょっと思った。弟は部活には出たいらしい。中三でスタメンに入れるかどうかギリギリのラインでがんばっているそうだから、応援はしたいけどね。父も仕事は休まないらしい。そうすると私だけ休むというわけにもいかない。やだな、絶対変な噂になる。すごく嫌だ。むしろ転校してしまいたい。まだ高一だし……。ただそれにしても家がないと、住所不定で転校というのもなんだか……。

「どうせ転校するんだから、もう今の学校で何をひそひそ言われてもどうでもいいって思って頑張れ」と父が言う。

「難しかったら休んでもいいのよ」と母が私の機嫌を取るように言った。火事が起きた時に家にいたのは母だけで、まだ現場検証とかの結果がわからないからなんともいえないが、母自身は自分のせいかもしれないと思って、それを気に病んでいるようだ。

 私は私で覚悟を決めて「まあとりあえず行くよ、行ってみる」と答えた。友達もいるにはいるし、そう悪いことにはならんでしょ……たぶん。


 ホテル住まいのおかげで学校への距離は近くなったのでよかった。雨がざあざあ降る中を傘を買って行った。別に何の変哲もない共学の高校だ。人がいる時に入ると注目を浴びそうで嫌だったので、逆にかなり早めに行ったらうまいこと誰もいなくて、私は自分の席についた。部活の人たちは私より先に来てるらしいが、当然教室にはいない。本を開いて読んだ。私は文学少女だったのだが、大事な本は燃えてしまった。たまたまかばんに入れていたやつを読んでしまったらおしまいだ。そうだ、お昼になったら図書室に行ってみてもいいかもしれない。だんだんと男子女子たちが登校してきて、私の顔を見て一瞬固まって、だけど何も言わない。まあ、こんなのは最初の日だけだ、と思えば大丈夫。そんな中で仲良しの女の子が近くに寄ってきて、隣に座った。

「美咲ちゃん、大変だったねー! 聞いたよ! 学校来ても大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないわよ、でも、いつも通りに過ごした方がいいって言われたからさ、まあ休んでも何もできることないしね……お母さんと二人でいてもね……」

「大変だね、それは。なんか困ったこととかあったら言ってよ」

「そうだなぁ、そういえばスマホの充電とかもできなくて……いや、とにかく服やらなんやら足りないものばっかりになっちゃったのよ。一番どうでもいい教科書は学校に置いてたから全部無事というね。はっ、そういえば宿題ってあったっけ。すっかり忘れてたわ」

「写す?」

「ありがとう。そうさせてもらっていい? いやぁやっぱり持つべきものは友達だなぁ、友達がいなかったら私なんてへし折れてた」

「もっと感謝してもいいのよ」

 それで私は写すのに専念して、終わるとちょうど先生が来た。

「山本、家の火事は大丈夫だったか?」

 その男性教諭は心配そうにするでもなくなんとなく事務的にそう尋ねてきたので、少しイラッとしながら私は答えた。

「おかげさまで、家族全員無事でした。家はなくなりましたけど……」

「それはなによりだった」

 なによりじゃねえよと思うが、まああっさりしてる方がこっちとしても楽でいい。点呼を取ると欠席はひとりだけだった。私ですら学校に来てるというのに、と思ったけど見ると休んでるやつというのがいじめられっ子だった。そういえば昨日も休んでたっけ、どうだったかな。まあどうでもいいけど。私には関係ない。もう秋だけど話したこともない。


 読書の秋だ。だからお昼休みに図書室にやってきたのだ。なんにもなくなっちゃったからね……家に帰ってもやることがないからね。と思って適当に本を手に取ると校内放送で私への呼び出しがあった。正直こんなふうに呼ばれるのは初めてだから怖い。どうせ火事絡みの話なのだろうが……私は取ったばかりの本をすぐに収めて校長室へ向かった。校長室とかいうのも初めてだ。どこだっけ?

 コンコンと扉を叩いて中に入ると、校長先生と、私の担任の先生と、それとお巡りさんがいた。その大人たちの雰囲気がちょっと怖くなって、足を止めそうになったが、ともかくも身体を滑り込ませて、その後はマッチ棒みたいに突っ立った。

「あなたが、山本美咲さんですか?」

 たぶん三十代くらいの女のお巡りさんが優しくそう聞いてきた。

「はい、そうです」と私が答えた。

「昨日の火事の件は本当に大変でしたね。お気持ちをお察しします」

「ああ、ありがとうございます」

「それでなんですけど」お巡りさんはなんでもないように、日常会話みたいに話をする。「実はその火を起こした容疑者を捕まえたんですよ」

「えっ、ま、本当ですか?」

 先生たちは重い雰囲気のまま立っている。なんだかとても怖い。お巡りさんが明るい表情をしている意味がない。

「でも、なんでわざわざ学校まで来て私に言うんですか? うちの親に言えばいいと思うんですけど」

「その通りなんですが理由があって、というのがですね、容疑者はあなたのクラスメイトだったんです……まあ、それで先生も含めてお話が聞きたいと」

「ふええええー」

 うちは公立学校で、まあ偏差値もそれなり以上じゃないし、不良みたいなのもいる。けどさすがに火をつけるほど悪い奴っていうのは知り合いにいない。ともかくびっくりしてしまった。それ以上に恐怖である。何しろそれほどに憎まれてるらしいってことなのだから。あまりにもショックで私は泣き出してしまった。お巡りさんがそれを抱きしめて大丈夫だよとでもいうように背中を手のひらで叩いた。先生は特に何もしなかった。

 落ち着いてから色々と話をした。

「Bという男の子なんですが、普段はどういう関係でしたか?」

 それは今日欠席していた、例のいじめられっ子で、名前を聞いてもそうなのかという程度のぼんやりした感想しか持てなかった。

「全然話したことがありません。見当もつきません」

「彼がこんなことをしたのには何か理由があると思うんですが、まったく思い当たることはないですか?」

「ないですよ! だって接点がないんですもん。席だって遠いし」

 私は腹立ち半分で答えた。私に原因があるって言いたいのか?

「あなたのせいって言いたいわけじゃないんですよ。あなたはもちろん被害者ですから。ただ、原因解明のために思い当たることがあったらなんでもいいので」

「ああそういえば」と私は、先生方の前ではあるがぶちまけてしまうことに決めた。「彼はいじめを受けていました。男の子何人かが集まって色々やってたみたいです。あとクラスの雰囲気もなんとなく彼を無視してました」

「それはあなたもですか?」

「……私も、まあ、積極的には何もしてないけど、見て見ぬふりをしてたのは事実です」

「先生方はどうですか?」

「私どもはまったく気が付いていませんでした」

 やっと先生が口を開いてこの場にいる意味が出てきたけどいても意味がないということだけしかわからなかった。

 その他、普段の様子、最近の様子、態度とか、成績とか、細かいことを聞いてお巡りさんは帰っていった。何かあったら連絡をくださいと名前と電話番号をもらった。解放された私だったが、すっかり昼休みは終わってしまって、授業に途中から入るのも嫌だったので今やってる分が終わるまでベンチに座ってぼーっとすることにした。私が悪かったのかなあ。先生には口止めされた。ちゃんと発表があるまでは、あまり今のことを漏らさないようにしてくれということだ。まあ、それはわかる。警察も捜査中だし、間違うことがあるかもしれないし、もっと色んな情報が出てくるかもしれないから。例えば、誰かに脅されて彼が火を付けざるを得なかったとすればどうだろう? 私の家が燃えることで得をする人間がいるのか? しいて言うなら保険が下りて家が新しくなるかもしれない私か? いやこれは冗談。そんな話考えたくもない。


 学校が終わって、あまり寄り道する気分にもなれず、家(ホテル)に帰った。帰った途端、本を借りるはずだったことを思い出した。まあ、いいや、スマホもあるから、時間つぶしはできる。ホテルには母がいて、面白くもないテレビ番組を見ていた。

「お母さん聞いて、あのさ、犯人がさ、うちのクラスメイトだったんだってさ」

 母は振り返って私を見た。

「ああ、知ってるわよ。警察から連絡が来たから。てっきり私は自分が不注意でやっちゃったのかと……」

「うん、やっちゃったのは私だったみたい。よくわかんないけど。何か恨まれてたのかな」

 母は慌てて取り繕うように喋りだした。

「そんなことないでしょ。悪いのはその犯人だから! 私が不安だったのは自分が火つけてた結果だったらどうしようってことだから、ほんと、やられた方が悪いなんてこと、ないからね。それに、みんな怪我もなかったし、家ならまた建て直せるわ」

「うん、そうだよね……うん」

 といって私の気分はあまり晴れなかった。弟は今日も部活に参加したらしく帰るのが遅かった。父は残業でそれよりさらに遅くなるそうなので、三人で近くのおいしいところに晩ご飯を食べに行った。少し、元気になった。


 何日かすると、ずっと休んでいるあいつは逮捕されてるらしいぞというのは私が言わずとも教室に広まってきて、なんだか私に対してもみんなが腫れ物に触るような感じになってきた。普段はよく話す友達も私に話を聞きたいという好奇心と労わって元気にさせようという気持ちが半分ずつくらいあるらしいのが伝わってくる。それはありがたいことだし、そうなると私も落ち込んでいられないし、それに実際気分も上がってきたので空元気も元気のうちということで普段通りの毎日に戻りつつあった。ホテル暮らしなのは相変わらずだったが。そんな時、担任に呼び止められて進路指導室で話をすることになった。たまたま空いてる部屋だっただけで特に意味はないそうだ。

「山本さん、今、変な噂が流れているのを知ってる?」

「えっ、知りませんが」

「放火の犯人というのがいつの間にか周知の事実になっていて、さらにその原因が山本さんのいじめによるものだというんだ」

「はー? そんなの知りません、いじめなんてやってません! おかしいでしょう!」

「だが、他のクラスや君のことよく知らない生徒たちからそう思われてるらしいんだよ。どういうわけか。非常に困ったことなんだけど……」

 私はその時直感があって、スマホを取り出してペタペタと調べ始めた。するとまとめサイトというのが見つかって放火事件についての情報が出てきた。さすがに実名は出ていなかったが知っていれば明らかにわかる形で……そして不愉快なことに担任の言う通りの情報が載っていたのだ。担任は話を続ける。

「もしも、つらければ、転校したっていいんだよ。何よりも、君が変なこと言われない環境にいられることが一番だから」

 私は激昂して、机を叩いて叫んだ。

「馬鹿なことを言わないでください! こんな誤解を解くのが本当でしょう! なんで私がこんな、こんな風に思われたまま転校なんかしない! するもんか!」

 私は部屋を飛び出して学校も飛び出した。お巡りさんに聞いた番号にかけ、話がしたいというと、警察署で会うことになった。私はすぐに向かった。あの時と同じ女の人が出てきて、個室に通され向かい合って座った。

「結局犯人はなんで私を狙ったんです」

「容疑者が言うにはね……あなたが助けてくれなかったからってことみたいですね。あなたと目が合ったことがあって、それで助けてくれなかったっていうのを恨んでいたのね。私はあなたがいじめをしてないのはわかってるわ」

「目が合ったから? そんな、ことで? 助けなかったことがそんなに悪いことだったんですか。……本当はもっと深い理由があるわけじゃないんですか?」

「今のところ出てきてないの、本人もそう言ってるし周囲もあなたを狙う理由なんてないから」

「私を狙う理由なんてもともと何にもないじゃないですか! 私だけじゃない、家族みんなが狙われたんですよ! お母さんも!」

「お気の毒だと思っています……」

 私は一通り騒いで、多少冷静になって、これからのことを話さないといけないと思った。

「実は学校でっていうかネット上で私がいじめの犯人だったってことになってるんです。これってどうにかできませんか」

「それは大変な問題です……まず、このページには削除要請をすることにしましょう。それと、正しい情報を公開することですが、そのためにはこの事件の一応の決着がつかないといけませんのですぐにはできませんね……まだ捜査中ではありますから。それに少年ですから全部を公開するのは難しいですが」

「でも、やってくれますか? 先生からは転校を勧められたけど、私は嫌なんです。悪役のままいなくなるなんて嫌だ!」

「あなたの思いは正しいです。でも心配なのは、あなた自身の心が傷つかないかどうか……カウンセリングを受けることはお勧めしておきます」

「それはどうも。でも私がいなくなった後でみんなや先生が私のことをなんて言うかって考えることの方がつらいです」

 こんな私の抵抗はまったくもって雲を相手にしてるようなものだったが、負けるわけにはいかなかった。最も頼りになったのは時間だった。時間は私の味方だと感じるのだ。最初は私に対してそれはもう、すさまじいほどにネット上で叩かれていたようだが、時が過ぎるごとにいじめというやつの実態が広まっていったし、仲のいい友達はわかってくれている。警察がちゃんと情報を発表すればこの話は終わるだろう……。謝ってもらわなくても本当を知ってくれればそれでいい。でも私は傷ついた。案の定ボロボロになった。避けようがなかったと思う。いったい悪いのは誰だったのだろうか?

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