生活

@eaverank

生活





「…ただいま」


「おかえりみっちゃーん。遅かったね、もう3時だよ」


「まだ起きてたの」


「なんかね、明日急に休みになったから待ってたよ」


「…テン酔ってる?」


「酔ってないよビール一本飲んだだけ」


「私も飲もうかな」



同居人の赤ら顔を見たら私も飲みたくなった。

ビールは残っているだろうか。


仕事着と上着をネットに入れて洗濯機に放る。

私も明日は休みだから洗濯は明日すればいい。



「…ビールないじゃん」


「一本しかなかったよ。え、どこいくの」


「コンビニ」


「ついでに電池買ってきてーリモコンのやつきれちゃった」


「…はいはい」



ソファに寝そべったままひらひらと手を振るテンをチラと見てから、私は家を出た。





近所のコンビニはいつも通り人気がない。

虚ろな顔の店員と場違いな明るいBGMに迎えられ入店する。

電池とビールをさっさと選んで、できるだけ店員の顔を見ないように会計を済ませた。





「…ただいま」


「おかえりみっちゃーん」












「みっちゃん仕事やめないの?」



うつらうつらしながら夜食を食べていると、急に真面目なトーンで訊ねられた。


…またか。



「…やめないってば」


「なんでよー、焼肉屋なんて身体壊すよー」


「二人で部屋借りてるんだから私も稼がないとだめでしょ」


「いいよーそんなの。やめちゃいなよ」


「…えー…私無職になっちゃうじゃん」


「いいよ」



目が本気だ。


私はよくない。



「私テンと違って才能とか資格とかないし、飲食がやっとなんだけど…」


「一生養うから専業主婦になってよー」


「…考えさせて」


「またそれー」



テンは唇を尖らせながらそっぽを向いた。



「…なんでそんなに仕事やめさせたいの」


「……」


「そんなに私の体が心配?」


「……」



テンの背中に話しかけるも返事はない。

完全に拗ねてしまったようだ。


私は再び夜食をつつきだした。




別に今の職場にはなんの未練もない。

専業主婦?になれるなら正直ありがたいと思う。

テンの収入があれば生活には困らないことも事実だ。



でもヒモは嫌だ。



…これテンに言ったらきっと怒るんだろうな…。





「…テン」


「……」



黙ったままのテンの背中に額をくっつける。



「ごめんね。私仕事してたいから」


「……」



たいした才能も資格もなく、収入でもテンには全く及ばないが、せめて生活は対等でありたい。















「ただいま」


「おかえりみっちゃーん。今日早いね」


「やめてきた」


「え?」


「仕事、やめてきたよ」


「え?」


「今日飲むから付き合ってよ」


「え?」



ポカンとしているテンに帰りに買った酒を押し付け、もう二度と袖を通さないであろう仕事着を洗濯機に投げ入れる。

返却のときは店の裏口にでも引っ掛けておこう。




「みっちゃんほんとに仕事やめたの?」


「やめたよ」


「な、なんで…?」


「専業主婦になりたいから」


「みっちゃん?」


「……」



珍しく不安そうなテンの顔を見ていると、昂っていた気持ちが徐々に落ち着いてきた。



…専業主婦になりたいからやめたわけではない。


本当の理由は店長のセクハラだ。


今までもセクハラまがいの発言は度々あり全て無視してきたのだが、今回ついに尻を撫でられた。

ふざけるなと顔面を思いきりひっぱたき、記入途中だった発注書の裏に退職届を書き殴って店を飛び出してきたのだ。





「そいつ、殺す」


「いいよいいよ。もう二度と会わないしマネージャーにも報告したから多分あいつ左遷されるし。それより退職祝いしてよ」



果物ナイフを手に出かけようとするテンを止めながら冷蔵庫を漁る。

少し前に特売で買ったソーセージがある。

景気良く全部焼いてしまおう。



私が鼻歌交じりに調理している間、テンはずっと不満げな顔で黙っていた。





「それじゃ、私の退職に乾杯」


「…乾杯」


「いやーあれだね、いざやめてみるとけっこう清々しいもんだね」


「……」


「なに、嬉しくないの?」


「…嬉しいけど」


「……」


「ちょっとは相談とか、さー…」



…まぁ、それはそうだ。

マネージャーなんかより先にテンに電話すればよかった。




「…ごめん」


「いいけどさー!」



頬を膨らませてそう言ったあと、テンは缶ビールを一気に飲み干した。


…弱いのに。














「みっちゃん私のこと好き?」


「急に重い女風じゃん…好きだけど」


「愛してる?」


「…愛してるよ」


「なんか間があった」


「いや恥ずかしいじゃん…」


「恥ずかしいとは何事か!」


「普通この歳になったら言わないもんじゃないの」


「いや言うね!すごい言うね!むしろ歳とったらとっただけ愛してるって言う!」


「節分の豆かな」


「みっちゃん愛してる」


「…わかってる」


「ほんとに愛してる」


「言わなくてもわかってるってば」


「愛してるよ」


「さては酔ってるでしょ」


「酔ってても愛してる…」


「……」




久々にぐっすり眠れた。















目が覚めてまず軽めの後悔と不安に襲われた。




23歳にして晴れて社会の…いや、テンのお荷物になってしまった。


実家の両親になんて説明しよう。


肩書はフリーター…いや働く意志があまり無いからニートか。


一生このままだろうか。


テンは私を捨てるなんてしない…とは思う。これでも5年一緒にいる。


…でも…。




…世の専業主婦達は皆こんな不安を抱えているのだろうか。




隣で私の腕にしがみついて寝息を立てているテンをぼーっと眺める。




私の恋人。



…かわいい。







ここは一つポジティブに考えよう。


仕事をやめたお陰でこれからはテンのために多くの時間を使える。

今まで割と適当で合わないことも多かった食事や就寝の時間もテンに合わせられる。


そもそも働かなくていいのだ。

セクハラジジイやしょうもない客に愛想笑いをする必要はなくなった。


これはかなり幸せなことではないだろうか。


私は今日からニートではなく、専業主婦になったのだ。

…結婚はしていないけど。


生まれ変わった気になって、今までできなかったことに挑戦してみよう。














「…おはよー…みっちゃん」


「おはよ。目開いてないじゃん」


「あはぁー…今日早いね…」


「うん」


「?…なんかいい匂いする…」


「朝ごはん作ったよ」



思い立ったが吉日。

久々に朝食を作った。


テンが好きな赤出汁豆腐だけの味噌汁、甘くない卵焼きと辛くない漬物。

野菜は楽に食べられるミニトマトや茹でたブロッコリーなど。

米はそろそろ炊ける。

ヨーグルトや果物も一応ある。



とりあえず専業主婦初日の朝はこんなものでどうだろう。








「……」


「…テン?」



テンは朝食の並ぶちゃぶ台を見て固まっている。


…思っていた反応と違う…。







「…みっちゃん」


「な、なに」



突然テンが見たこともないくらい真剣な顔をした。

いつもふにゃふにゃしているのでギャップがすごい。


それからテンはおもむろに近くにあった椅子に腰掛け、顎に手をやった。


…「考える人」のポーズだ。



そして暫しの沈黙の後、私のほうに向き直り言葉を続けた。







「…みっちゃん昨日店やめたよね」


「え、うん」


「ってことはさ」


「うん」


「これから毎日朝ご飯作ってくれるってこと?」


「そのつもりだけど…」



私がそう言うとテンはぱっと立ち上がり、困惑する私にずいと歩み寄った。



「え…なに…」



行動の意味がわからず呆然とする私の肩に手を置き、テンは言った。

















「それ、すごいね…!?」
















意味がわからない。



「…え、なに?…なにがすごいの?」


「だってこれから毎日みっちゃんが朝ご飯作ってくれるんでしょ!すごい!」


「うん…朝晩は私が作るつもりで…」


「ひぇえ夜も!」


「え、え、なに。ほんとになに?喜んでるの?」


「喜んでるよ!万歳!」


「…??」




興奮するテンをなんとか落ち着かせ話を聞いてみると、どうやら「専業主婦」というものについてかなり認識の違いがあったようだった。




…喜んでもらえてよかった…。












「じゃあ行ってくるね!」


「うん……あ、いってらっしゃい」


「ひゃっはー!」



テンはスキップしながら出かけていった。


…いってらっしゃい、なんて随分久しぶりに言った気がする。



なんか、いい。

習慣にしよう。












……。




「はぁ…」



午前中に部屋の中をうろうろして何かできる家事はないかと探したが、特に見つからなかった。

風呂やトイレの掃除はちょくちょくやっているし日用品は足りている。洗濯も別に今やらなくてもいい。


残る選択肢は…。









「夕飯なにがいい?」


『ハンバーグがいい!』


子供か。


「…オッケー。今買い物してるけど、他になんかある?」


『カボチャの煮たやつ食べたい!』


「…やってみる」


『いいねいいね!主婦力上がってきたんじゃない?』


「まだ初日ですが」


『今日は19時くらいに帰るね』


「うん、準備しとく」



適当に昼を済ませたあと、近所のスーパーに夕飯の買い物に来てみた。


カボチャの煮物は作ったことはないが、なんとかなるだろう。

レシピなどいくらでもネットに転がっている。


とりあえず後で困らないようにと食材と一緒に色々な調味料を買い物カゴに詰め込んだ。














「あれ、カボチャ煮たやつは?」


「…あー…うん」


「?」



シャワーから戻ったテンがちゃぶ台を前に首を傾げる。


…レシピ通りに調理したのになぜかカボチャはびしゃびしゃになってしまった。

あまり見せたくない。



「…ごめん、うまくできなかった」


「あらあらっ」


ムンクの叫びを表現するテン。



…専業主婦への道は険しい。












「おはよーみっちゃーん…」


「おはよ」


「…なんか甘い匂い…」


「あ、これ」


「?…スープ…」


「昨日失敗したカボチャ、ポタージュにしてみた」


「え、なにそれすごい」



ネットは偉大だ。

リカバリー方法もいくらでも転がっている。


…大丈夫だ。

昨晩はヘコんだが、今朝起きたら復活していた。






「…あのさ、テン」


「んー?」


背中を丸めてポタージュを啜りながら、テンがゆっくりと顔を上げる。



「私これからも頑張ります」


「どしたの急に」


「今のうちに気合い入れようと思って」


「?…あ、スープおいしいよ!」


「…よかった」




テンは今日もスキップで出かけていった。


















「ただいまみっちゃーん」


「おかえり」


「お、エプロンみっちゃんだ」


「夕飯もうすぐできるよ」


「ねぇねぇあれやってよ」


「なに?」


「あれだよあれ!選ぶやつ!」



テンがスケベな顔をしている。


…なるほど。



「汝飯か風呂か…選べ…」


「ちょっとふはは!なんでそんな厳かなの!一番大事なの抜けてるし!」



大袈裟なポーズをとって選択を迫ると、テンはケラケラと笑った。


持ちネタにしようかな。








結局風呂が先になった。




「…テンは胸大きくていっつも羨ましい」


「でもこれみっちゃんのだよ」


「…うん」


「みっちゃんのも最近大きくなったよね」


「その手の動きなに…私は太っただけ」


「仕事してたときすごい痩せてたから今のほうがいいよ」


「太り過ぎないように気をつけます…」



料理をする回数が増え、味見という名のつまみ食いも増えたせいだろう。


湯船に浮かぶテンの髪をぼーっと眺めながら、昼に食べたものを思い浮かべる。







……。







「みっちゃんキスしよう」


「え?」


こういうことはいつも急だ。


視線を上げると、もうテンの顔が近かった。



「…夕飯の後のほうが」


「今したい」


「…わかった」



もしかすると玄関でのやりとりはこのための伏線だったのかもしれない。










「鳥カレー!今日は鳥カレーだ!」



テンがキッチンで鍋を覗き込んで狂喜している。

チキンカレーはお気に召したらしい。


一方のぼせてしまった私はソファーで横になる。




「みっちゃん大丈夫?」


「……」


「はい保冷剤」


「ありがと…」



保冷剤を脇に挟んで深呼吸する。


…テンも同じだけ風呂にいたはずなのに、なぜ平気なんだろう。

私が弱いのか。





「…大丈夫、落ち着いてきた」


「じゃあカレー!カレー食べよう!」


「…へいへい」


「うめぇ!」


「あ!ちょっと!」



オタマでカレーをすすり散らかすテンを羽交い絞めにし、やっとこさちゃぶ台に皿を並べる頃にはもう22時を過ぎていた。











「珍しいね、みっちゃんから誘ってくるの」


「や…さっきのぼせちゃってあんまりできなかったし」



夕飯のあと、久しぶりに私からテンをベッドに誘った。

小っ恥ずかしいのでいつもテンから誘われるのを待ってばかりだが、今日は気分がノッている。






「いいなーこの胸ー…」


「全部みっちゃんのだよ」


「ありがたいね」



ベッドに腰掛けるテンの胸をひたすら揉んだり吸ったりする。

触り心地が非常にいい。

きっと夢や希望が詰まっているのだろう。

私が好きなテンの部位でもかなり上位にいる。




……。



「…ふふっ、みっちゃんさぁ」


「え、なに?痛かった?」


「だっていつもめちゃくちゃ真剣な顔して揉むからさぁ!あははは!」


「そんな笑わなくても…」


「ほんとにみっちゃんはかわいいね!」


「…テンのほうがかわいいよ。胸大きいし」


「みっちゃん胸好き過ぎー」




いつも前半は私がひたすらテンを、特に胸を好きにし、後半はテンが私を好きにする。

正しい手順など知らないが、お互い満足できるのでこれで定着している。


テンに触るのも触られるのも好きだ。

気持ちがいい。







「…みっちゃん、うまくなったよね」


「そうかな」


「手つきが尋常じゃないよ。おっぱいマスターになれるかも」


「ふふ…テンのしか知らないのに」


「イエスマイマスター」


「意味違くない?」




諸々済むと裸のまましばらく雑談に興じる。


…おかしなやりとりが多いが、幸せを感じる時間だ。

なんだか会話でもセックスしている気がする。





「明日の夕飯何がいい?」


「肉…かな…」


「それ私のお腹」


「……」


「…テン?」



私の腹を枕にして寝息をたてはじめるテン。

時計を見るともう0時を回っていた。


そっとテンの頭を撫でてから布団をかけ、私も目を閉じる。




…ダイエットとかしようかな。



















「…テン」


「んー?」



仕事から帰ってきてソファーで溶けているテンに思い切って声をかける。


今日はテンに頼み事…というかお願いというか、聞いてほしいことがあった。



…少し緊張する。



「……」



手汗をエプロンで拭く。





……。





「……私バイトしようと思うんだけど」



今私は生活のための全ての資金をテンに頼っている。

テンは何も言わないが、やはり罪悪感は拭えない。


そしてもう一つ、自分で貯めたお金でやりたいことがあった。




「どしたの急に」


テンが不思議そうな顔でこちらを見る。




「…やっぱり収入0はちょっと罪悪感ある」


「あらま」


「あと自分のお金でやりたいことができたから…あ、もちろん扶養の範囲から出ないように稼ぐよ」


「そっか…」




テンは視線を落とし、足をぶらぶらしながら考え込んだ。












「…ね、みっちゃん、ちょっと昔の話していい?」


「ん」



夜、セックスのあとでテンが私の胸に顔を埋めながら話し始めた。



「…私小さい時にお母さん出て行っちゃったから、お父さんと二人暮らししてたのね」


「…知ってる」


「うん。そんでお父さん、寂しいとすぐお酒飲むのね」


「…」


「そういうのずっと見てたから私もおんなじような感じになったんだけど」


「…うん」


「最近気付いたんだけど、みっちゃんが仕事やめてから半年くらい、一人で全然飲んでないのね」


「…」



そういえば飲食の仕事をしていた頃、私が帰るとテンが酒を飲んで待っていることが多かった。



…悪いことをした。




「…ごめん」


テンを抱きしめる。



「…ううん、それはよくってね。バイトも全然いいと思うんだけどね」


テンが私を見上げる。

そして少し困ったような顔で言葉を続けた。



「こんなこと言ったらみっちゃんバイトしにくくなるのもわかってるんだけど、みっちゃんだから言っちゃった…」


「……」


「…」






それ以降会話はなく、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
















翌朝、目が覚めるとテンはまだ私の胸の上にいた。


テンの長い髪をしばらくいじりながら考えをまとめる。






「テン、私やっぱりバイトするよ」


「…んー…寝起き一発目でそれー…?」


「昨日言い逃してたんだけど、車の免許取ろうと思ってるんだ」


「そうなのー…」


「それでね…私の親戚が近いうちに免許返納して実家に車が来るらしくて」


「…その車もらえるの…?」


「うん、何もなければ多分。だから、私がバイトして免許取って、車持ちたいなって」


「そっかー…」



早口で一気に言ってしまう。


テンは目を擦りながらぼーっと聞いていたが、私が言い終えると少し笑って言った。




「…車あったら、いつでも旅行に行けるね」


「あっ、それ」


テンの言葉に食い気味で反応する。


それこそまさに私のやりたいことだった。


私が運転してテンとちょっとした旅行に行く。

流行りの音楽でもかけて、二人で。





遠くない未来、それは実現できそうだ。
















バイトはすぐに決まった。


いつも買い物に行くスーパーが午前中のレジ打ち用員を募集していたのだ。

久々の面接に少し身構えていたが、ほぼ電話と履歴書だけでさっさと採用された。




別に労働は好きではないが目標があれば頑張れる。


…たとえ周りが歳上ばかりで前職の経験が一つも活かせなくても。


当面は教習所に通うために、車が手に入ったらガソリン代や車検、メンテナンス費用のために働く。


もちろん今まで通り家事は私がやり、テンが帰ってくる時間には絶対に夕飯と風呂を準備して待つ。

これだけは守ろうと心に決めた。



前の職場であんなに無気力に働いていたのが嘘のように、今の私はやる気に満ちている。







「じゃ、行きますか」


「うぃー」


「テンそれ私の靴」



朝、テンと一緒に家を出る。

駅までテンを見送り、私はバイト先へ。




レジ打ちの最中はいつもテンとの旅行について考えている。

どこに行こう何をしようと想像を膨らませて楽しくなっているうちに退勤時間になる。

パートのおばさま方とは別に仲良くしなくてもいい。

休憩中の家庭の愚痴に愛想笑いをしていればだいたい満足してくれるし、それ以上何も発展しない。



バイトが終わると買い物をして、直帰する。



…気楽だ。

大きな責任を負う必要もなく、コミュニケーションも最低限でいい。セクハラもない。


さらに働き始めて気づいたのだが、何がいつ安くなるのか把握でき、それを社割で買えるのがなかなかおいしい。



このバイトは長く続けられそうだ。


















「おかえりみっちゃーん!誕生日おめでとう!」


「ただい…うぉ…花が、花がすごい…あ、ありがとう」


「さぁさぁ早く荷物を置いてお誕生日席へどうぞ!」


「ちゃぶ台は円卓…あれ?ちゃぶ台は?花に埋もれて見えないんだけど」


「ヘリコニアで囲んだ中にあるよ!」


「ヘリコプター?」




24歳の誕生日、私がバイトから帰ってくると部屋が花だらけになっていた。

それもジャングルに咲いていそうな見たこともない色鮮やかな花ばかりだ。


…互いの誕生日にサプライズをするのは割と恒例になりつつあったが、今回は一段とすごい。



「めちゃくちゃいい香りだけど、これどうしたの」


「知り合いに専門のお花屋さんがいてね!借りてきた!」


「へぇ…すごいね…」


「最初はバラの花束とか考えたんだけど、地味かなーって」


「ふふ…まぁこれと比べたらね」


「本当はラフレシア置きたかったんだけど、全然咲いてないし死臭がするらしいから諦めたんだー」


「英断だよ…」


マンションで死臭はまずい。





「こちら本日のランチになりまーす」


私がきょろきょろしながらちゃぶ台にたどり着くと、テンがどこからか料理を運んできた。



「みっちゃんみたいに上手にできなかったけど…けっこう頑張って作ったよ」


「おいしそうじゃん」


テンの好きなチキンカレーだった。


…普段料理をしないテンが台所で悪戦苦闘する姿を思い浮かべてクスリと笑う。



「…私もこれ、買ってきたよ」


私もスーパーで買ったシャンパンをちゃぶ台に並べる。


「わー珍しい。これ何味のシャンパン?」


「さぁ…なんか甘くて飲みやすいらしいから買ってみた。特別感出そうだし」


「いいねいいね!今日は昼から酒盛りと行こうぜ!」


「いえーい」



私の脳内思い出帳に、ジャングルの中でカレーを食べシャンパンを飲むという謎の思い出が加わった。





「みっちゃんみっちゃん」


「なにかね」


食後に花を眺めながら皿を洗っていると、テンがニヤニヤしながら話しかけてきた。



「実は誕生日プレゼントも用意しているのですが」


「すごいね、まだあるんだ」


「でも今はまだあげられないのです…」


「?…どゆこと?」


「あと2週間くらいかな…まだ内緒!とにかくすっごいのあげるから、期待してていいよ!」


「オッケー。期待しとく」



一体何をくれるのだろう。










「目が回るー!」


「テン大丈夫…?おっとっ…と…」



シャンパンを飲みきり、酔っ払ってフラフラしているテンを支えようと立ち上がると、私もクラっときた。

半年ほど飲まないうちに私も弱くなったようだ。



「あははは!みっちゃんふらふら!」


「あ、こら…じっとして…」


「このままえっちしよう!」


「え」


「絶対気持ちいいよ!」


「……」



そうかもしれない。



…いや、確実に気持ちいい。



こんなに綺麗でいい香りの花に囲まれて、こんなに頭ふわふわの状態でテンに触れたら、気持ちいいに決まっている。


あれ…すごい、ここは楽園なのかもしれない。











夢中でテンに触れる。

テンも夢中で私に触る。


いつもは楽しむことに重点を置いているのだが、今は違う。


…なんというか、タガが外れている。


とにかく死ぬほど気持ちいい。

オーガズムなんて普段ほとんど気にしないのに、一体どうしたことだろうか。



「みつき…っ」


テンが欲望剥き出しのギラついた目で私を見る。





…かわいい。
















「テンー、花屋さんもう来るって。…大丈夫?」


「…うぇー…あたまいたいよみっちゃーん…」


「はいこれ、二日酔いの薬とバファリン」


「さんくす…」



今日はテンも私も休みだが、家でゆっくり過ごすことになりそうだ。



















「ねぇみっちゃん、今日は何の日か知ってる?」


「んー?」



夕飯のあと、シンクの汚れをスポンジで擦っていると急にテンに訊ねられた。



…何の日のだろう。


私とテンの誕生日ではない。

付き合いだした記念日…でもない。

両親の誕生日でもない…はず。


本当に何の日だろう?



「……」


「ふふふ…みっちゃん、こっちにおいで」



首を傾げる私にテンが手招きする。



「…えーなんだろ…ほんとにわからないんだけど…」



エプロンで手を拭きながら台所を出ると、テンがこちらに向かって小さな箱を差し出していた。





……。





……?





「……え」











「みつき、結婚しよう」





テンが箱を開けた。


…綺麗なリングが入っている。













……結婚?



結婚って……あの結婚?



え、今…?



どゆこと?



「どゆこと?」



湧いた疑問はそのまま口から出た。




「二週間前にみっちゃんの誕生日会やったよね」


「うん…あ、もしかして誕生日プレゼントって…」


「そう」


「…なんで今日?何か記念日だった?」


「ううん、そうじゃなくてね」


「?」


「うちテレビないし、みっちゃんニュースとか見ないから知らないと思うんだけど」


「うん」


「明日の0時から同性婚が国に正式に認められるんだ」


「えっ」



光の速さでスマホを取り出し、同性婚について調べる。


…間違いない。

裁判所と市役所のホームページにも記載がある。





「………」



テンの顔とスマホを交互に見ながらしばらく呆然とする。





















「…わかった、結婚しよう」




だが特に断る理由はなかった。


一生一緒にいることはとっくに決まっている。


そのうえでさらに国がお墨付きをくれるというのだ。



これはもう結婚するしかない。



…じわじわと実感と喜びが湧いてくる。





「やったー!じゃ、はいこれ!婚姻届ね!書いたら今夜役所に出しに行こう!」


「え」


喜びを噛み締めようとしているところで目の前に婚姻届を突き出される。


「うちのお父さんにもみっちゃんの両親にももう許可とってあるから!」


「え」


「みっちゃん愛してる!」


「あ、私も…」


「みっちゃん手ぇ出して!指輪はめるね!」


「あ、うん……じゃなくて!」



テンションがおかしくなっているテンを横目に慌てて両親とテンの父親に連絡を入れる。


…何も知らないのは私だけだった…。











「私が断ったらどうする気だったの?」


「ふふ、そんなことありえないよ。みっちゃんだもん」



0時前、テンと近所の役所までの道を歩く。


…まぁ驚きはしたが、断るという選択肢は私の中にはなかった。



「もっとロマンチックなのとか色々考えたんだけど、景色が綺麗なところは遠いんだよねぇ…」


「私シンク磨いてたとこだったし…」


「あはは、すぐ婚姻届出しに行きたかったから、結局家でしちゃったー」


「まぁいいんじゃない。こっちのほうが気楽で」






役所の窓口にはもう何組かの同性カップルらしき人々が並んでいた。

皆0時を今か今かと待っているようだ。


テンと私もその列の最後尾に並ぶ。





「…そういえばテン」


「んー?」


「結婚したら名字ってどうするの?変える?」


「あ、それ考えてなかった…」


「テンの名字だと私は…白峰満月かー…」


「え…めっちゃ美しい…」


「あはは、なかなかいいね」


「私は小林華天、になるね」


「名字が名前にだいぶ負けてる気がする…」


「みっちゃんがいいなら私の名字を推したいな!」


「いいんじゃない。…あ、そうすると保険証とかの名前も変更しないと…」


「あー!12時過ぎた!結婚おめでとう私達!白峰家にようこそー!」



はしゃぐテンを眺めながら、心の中で新しい自分の名前を反芻する。




白峰満月。




テンとお揃いの名字。


…うん。なんだかとてもいい感じだ。




これで私も晴れて人妻、そして正真正銘主婦になったわけだ。



















「お父さん喜んでくれて良かったね!」


「……まぁそうだけど」



テンの実家から帰る電車の中、緊張から開放されてぐったりしている私とは反対にテンは楽しそうだ。



「私が最後に会ったのって高校の頃だったっけ…次が結婚の挨拶になるとはねー…あー緊張した…」


「ご趣味は…?とか言い出すからお見合いでも始まるのかと思っちゃったよ」


「うあぁー…恥ずかしいから誰にも言わないでよー…」


「あはは、言わない言わない」


「でもお義父さん、あんなに泣くとは思わなかった」


「すごい涙脆い人だから多分これからも家族のイベントの時はあんな感じになるよ」


「まじか…」



…次に会うのは盆か正月か。











「お義父さんとお義母さん喜んでくれて良かったね!」


「…まぁ…そうなんだけど…」



私の実家から帰る電車の中、謎の疲労でぐったりしている私とは反対にテンは楽しそうだ。


…なにやらデジャブを感じる…。



「テンは全然緊張してなかったね…っていうか話めちゃくちゃ盛り上がってたし」


「うん!たまに電話してたからね!」


「…え?うちの親と?」


「うん。お義母さんと」


初耳過ぎる。


「…何話すの」


「みっちゃんがどんな料理作ってくれたーとか、新しく買った服が似合ってたーとか…」


「私より仲良さそう…」


「今度ダブルデートしようぜ」


「それはちょっと」



どうやらうちは嫁姑問題とは縁が無さそうだ。





















「試験」なんて名の付くものを受けたのは何年振りだろうか…。

大学入試以来かもしれない。



運転免許センターのエントランスに並ぶ硬いイスに深く座り、大きな溜息をつく。


先日の仮免試験では苦手なクランクをなんとか乗り切った。

今日はペーパーテストの悪質な言葉遊び引っ掛け問題をなんとかクリアした…と思う。多分…。




…あとは掲示板に自分の番号があるのを確認し、免許証をもらって帰るだけだ。




……。




番号…あるかな…。







「……」



立ち上がって一つ伸びをし、今日の受験者が集まっている掲示板前に移動する。


私の番号は198。





…100番から…。


…190、



195、


197、



198。



よかった、あった。198。



手元の紙と掲示板の番号を何度か見返す。

見間違いではない。



「よし…」



目標の一つはこれで達成できた。











「ただいまみっちゃーん」


「おかえりー」


「みっちゃん免許どうだった?」


「ばっちり。受かったよ」


「えー!見せて見せて!」


「ふははー、この免許証が目に入らぬかー」


「ははーっ」



交付されたてほやほやの免許証を掲げると、テンはその場にひれ伏した。


「名前もちゃんと白峰満月になってるよ」


「おお…流石我が妻よ…」


「土下座しながらだと迫力出ないね」




夕飯の席は筆記試験がいかに姑息な問題ばかりだったかとか、免許証の写真が変顔みたいになったとかの話で盛り上がった。










「次は車かー…」



就寝前、ベッドでテンを待ちながらまた旅行の妄想に耽っていると、テンがニヤニヤしながら寝室に入ってきた。



「…テン?」


「みっちゃんすごい嬉しそうだね」




…嬉しい。


「…嬉しいよ。テンのためにできることが増えるのが嬉しい」


「お、おおぅ…照れるね…」



今のは自分でもちょっと照れる。





…。



……というか…。




「…………もしかして私、重い?」




ふいに前にテンに「重い女風」なんて言ったのを思い出した。


…最近の私の言動こそ割と重い女風な気がする。




「全然?吹けば飛んじゃう」


テンはケラケラと笑いながら私の隣に寝転がった。



「そんな軽くないやい」


…テンが嫌じゃないのなら、いいや。







「もらえる車ってどんなの?」


「白の軽だって。もう実家に来てるらしいから来週くらいにもらってくる予定」


「このマンション駐車場ついてたっけ?」


「管理人さんに一応余ってるところ借りれないか聞いてみるよ。だめだったら裏の月極借りようと思ってる」


「やる気に溢れるみっちゃんも素敵…」


「どうも」



目を擦りながら私の上によじ登ってくるテンの背中に手をまわす。






「…明日の夕飯何がいい?」


「…魚」


「それ私のお腹」


































「忘れ物ない?」


「ないぜ!」


「シートベルトした?」


「したぜ!」


「ミラーよし、ガソリンよし、ライトも点くし」


「あ、あれは?車の後ろに缶引きずるやつは?」


「道交法に引っかかるよ」


「残念!」


「よし、それじゃ出発します」


「行くぜ新婚旅行!」



テンの掛け声に合わせて意気揚々とマイカーのエンジンをかける。


行き先は有名な温泉街だ。

新婚旅行というには少し地味かもしれないが、色々サプライズも用意している。



テンが眠りこけるくらいの安全運転で向かおう。









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