ダークエルフのお姉さんといちゃこらダンジョン生活

かわせひろし

ダークエルフのお姉さんといちゃこらダンジョン生活

 ボウルに卵を割り入れ、溶きほぐす。

 砂糖を加えて、泡立てる。

 小麦粉とふくらし粉をふるい入れ、へらでさっくり混ぜ合わす。

 溶かしバターと生クリームを加えて、さらに手早く混ぜていく。

 楽しそうに鼻歌まじりの男の子。エプロン姿が似合っている。華奢で、長い金髪を頭の後ろで結わいているので、女の子のようにも見える。

 生地を型に流し入れ、トントンと軽く落として空気をぬく。手慣れた様子が、年に似合わずいつも家事をしていることを物語っている。

 天板に型ごと生地を乗せると、振り向いた。そこには大きな鋳鉄製のクッキングストーブ。焚き口の扉を開けると、魔核から精製した燃料石が、いい具合に燃えていた。

 うなずいて、今度はとなりのオーブンの扉を開く。十分に予熱されていることを確認すると、生地を入れて、ふたを閉める。

 あまく香ばしいにおいが漂い始める。

「いいにおいだね、リィム」

 男の子は声の主を振り返る。戸口に立っていたのは妙齢の美女。

 長身でスタイルよく、短く切りそろえられた黒髪に、切れ長の目。きりっと引きしまった面立ち。何より印象的なのは、その長くとがった耳と浅黒い肌。

 ダークエルフだ。

「おかえりなさい、マキエちゃん」

 声をかけられた男の子リィムは、同居人の帰宅にぱっと顔をほころばせた。粉だらけの手をエプロンでぬぐいながら、トトトと歩み寄る。するとマキエと呼ばれたダークエルフも満面の笑みで、リィムをぎゅっと抱きしめた。

「粉がついちゃうよ、マキエちゃん」

「んー、気にしない。あまい、いいにおいがリィムからもするね。食べちゃいたい」

「もう、マキエちゃん。……あれ?」

 リィムはマキエの後ろに、所在なげに立っている人影に気づいた。

「マキエちゃん、お客様?」

 マキエのあふれんばかりの愛情表現はいつものことなのだが、それを人に見られていたと思うとリィムは恥ずかしくなって、あわてて体を引きはなす。

「ああ、ギルド会館で会ってね。仕事の話があるそうなんだけど、お茶の時間だから、家にさそったんだ。アリステラだ。昔いっしょにパーティを組んでた」

 赤毛のそばかすで真面目そうなお姉さんだった。目のやり場に困っている様子。

 それはそうだろう。一度はなれたはずなのに、マキエは再び寄ってきて、リィムをしっかり抱きしめている。

「ちょっ……! マキエちゃん、お客様の前だから放して……!」

 リィムの抗議。しかしマキエはまったく気にしていない様子。

「アリス、紹介するよ。うちの奥さん、リィムだ」

「奥さんじゃない!」

「実質奥さんじゃないか。ご飯は美味しいし、掃除、洗濯、つくろい物と家事は完璧だし、それにこんなに可愛いし。だいたい奥さんなんて言われたくないなら、もっと男らしくなんないと。ほらこの辺とか、もっと筋肉つけて……」

「ひゃん! お客様の前でどこさわってるの、もう!」

 マキエはリィムの身体をなでまわす。そして一つ悪い笑みを浮かべると、ふうっと吐息を耳にふきかけ、カリカリと爪を立てる。

「あっ……」

「口ではいやだいやだと言ってるが、体はそうは言っていないみたいだが? なんなら夜のお勤めもしてくれていいんだよ?」

「セクハラ! マキエちゃん、最近エロ親父過ぎ! お客様、困ってるじゃん!」

 マキエは見た目も行動もりりしくてかっこいいタイプの女性なのだが、近頃ちょっとかっこいいの中の「男らしい」成分が、おかしな方向に進んでいる。小さいころからいっしょに暮らす大好きなお姉ちゃんの変貌に、リィムは手を焼いている。

 初めて目にする来客にとってはなおさらだろう。アリステラはますます顔を赤くして、視線を激しく泳がせている。

「ふむ、冗談はこれくらいにしておこうか。ちょうどマフィンも焼き上がる頃合いだしね」

 マキエはすました顔でクンクンとにおいをかぐ。

「もう、冗談じゃすまないよ、マキエちゃん……。あ、でもほんとだ、時間だ。ちょっと待ってくださいね、すぐお茶の用意をしますから」

 乱れたエプロンを整えながら、リィムは鍋つかみをはめるとコンロ下のオーブンのふたを開け、焼き上がったマフィンを取り出した。ふわりとあまいにおいが広がる。それを皿に盛り、コンロにかけてあったポットにお湯がわいていることを確認すると、お客様の分までティーカップを並べてお茶の準備。その手際のよさは確かに「奥さん」だった。

「ふむ。それでアリスは私に、その仕事を手伝ってほしいんだね。ダンジョン深層階への遠征か」

 リィムに入れてもらった紅茶を味わいながら、マキエはアリスの申し出を確認する。

「そうです。マキエ先輩は、その階層付近まで潜った経験のある、この街でも数少ないSランク冒険者です。多くのパーティと組んでの大規模遠征ですけど、人数は十分でも経験者は不足しています。ぜひお力を……」

「よそはどうだか知らないが、君のところは経験者ぞろいじゃないか。時間に余裕をもって、無理しないようにすれば大丈夫だよ。それに私には無理だよ。長い遠征になるんだろう? リィムが一人で留守番になってしまう」

「そこが気になるのでしたら、その間、我々の屋敷でお世話することもできますよ」

「君のパーティが構えている、あのお屋敷? だめだめ、リィムをよそに預けるなんて。リィムは可愛いから、身の危険がある」

「そんなことしませんよ」

「君の所には、サリナがいるだろ。あいつが特にダメだ」

 マキエは顔をしかめた。単に引き受けたくないからの言い訳ではなく、本当に懸念しているようだ。さすがにアリステラの声にあきれたトーンが混じった。

「エルフとダークエルフが仲悪いのは知ってますけど、サリナ先輩はそんな人じゃないですよ」

「そうだとしても、私に禁断症状が出るから、無理。一日一回リィムのにおいをかがないと、手がふるえる」

 アリステラは一つため息をついた。

「本当に噂通りなんですね、先輩。その子を溺愛していて、面倒を見るために半引退状態というのは」

「別にダンジョンには今でも潜ってるぞ」

「ソロの日帰りか、その子を連れての低層階行きだけだと聞きましたよ? それで生活に困らないほどかせげているのはさすがですけど、もったいないですよ。もっと活躍できるのに……」

 自分のことのようにくやしそうな顔。それを見てマキエは微笑む。

「すまないね、アリス。本当はそれを気にして、声をかけてくれたんだろ? 私が終わった人呼ばわりされているのは、私も知ってる」

「だったら……!」

「でも私には冒険者として功を成し名を上げるより、リィムといっしょにいることの方が大切なんだ。すまないな」

「……本当に、その子の面倒もうちのお屋敷で見れますから、考えておいてくださいね」

 名残惜しそうだったが、マキエの意思は固いとさとったのだろう。アリステラは席を立った。帰り際、リィムに声をかける。

「紅茶もマフィンも美味しかったよ。ありがとう」

 自分の願いの邪魔になっている男の子に、そうフォローを入れる。いい人なんだなと、リィムは思った。

 そんな人の言葉だから、さっきのやりとりが気になってしまう。自分の面倒を見ているせいで、マキエの評価が下がっているという。

 アリステラを見送り、ティーカップを片づけながら、リィムはマキエに謝った。

「ごめんね、マキエちゃん。僕の面倒を見てくれてるせいで……」

 突然の言葉にちょっとおどろいたような顔をした後、マキエはふっと微笑み、リィムの頭を優しくなでた。

「なんだ、さっきの言葉を気にしているのか? 気にすることはないんだ。リィムといっしょにいることの方が大切っていうのは、本当なんだぞ」

「でも……」

 そのままリィムを包み込むように抱くと、やおら身体をなでまわし始めた。

「ちょおっ……?」

「そんなに気にしてるなら、私にもっとサービスしてくれてもいいんだぞ? 夜のお勤めの相手をだな……」

「マキエちゃん、ほんと最近、エロ親父過ぎ!」

 だいなしである。

 しかしリィムに押しのけられたマキエは反省するでもなく、それより何か思いついたようで、にやりと悪い笑みを浮かべた。

「ふーん、じゃあしょうがない。無理矢理しとねを共にするしかないな」

「え?」

「そろそろひとかせぎしないといけないのは確かだから、二人でダンジョンに潜ろう」


 その日のうちに準備を済ませ、早めに寝てしっかりコンディションを整えて、二人は翌日、この街の冒険者ギルドが管理するダンジョンへと潜った。

 モンスターがうようよと湧いてくるダンジョンは、この街の核心と言える。複雑に枝分かれしたその構造は大きく、街の下深くまで広がり、全貌はいまだ明らかになっていない。そこで一山当てようという冒険者が集まり、その冒険者相手に商売する商人が集まり、そうして街ができあがった。街の作りも経済もダンジョンを中心として成立している。

 今日もダンジョンは冒険者たちを飲み込む。その何層か潜った人気の少ない外れの方で、マキエとリィムはモンスターと戦っていた。

「気をつけろリィム! 毒針を持ってるぞ!」

「う、うん!」

 飛び交うハチ型のモンスター、ベスパ・ゲリエス。ハチと言っても人の頭ぐらいの大きさで、群れを成しておそってくる、かなり厄介な相手だった。「ゲリエス」は疾風という言葉から来ていて、その名のごとく、かなりのスピードの群れがふきすさぶ風のようにおそいかかってくる。駆け出し冒険者では対応できない。

 しかしそこはS級冒険者。マキエはそんな厄介なモンスターをバンバン斬り落としていく。群れで飛び込んでくるのだが、実際に針を突き出して攻撃してこれるポジションにいるのは少数だ。それを瞬時に見極めて斬り捨てる。

 しかもリィムを後ろにかばって、常に毒針を食らわないようポジションを取っている。確かにアリステラが惜しむだけの腕前だった。

 やがてマキエはベスパ・ゲリエスをすべて倒し切った。

 しかしそれだけでは済まなかった。ベスパ・ゲリエスと戦っている間に、新たなモンスターが引き寄せられていた。今度はかなり大型だ。

 魔獣ケルベロス・アルドーレス。三つの頭を持つ獰猛なモンスター。姿形は犬だがサイズは人に負けない大きさで、それぞれの口から炎をはく。こちらは駆け出しどころか経験を積んだベテランでさえ、手を焼く相手だ。

 それでもマキエにはひるむ様子はない。炎をかわしながら、呪文を唱える。基本は剣士だが、器用に魔法もこなす。手に持つ剣だけでなく、身体の周りにずらりと真空の刃が浮かび上がり、次々と魔獣の身体を切り裂いていく。

 一つ一つは相手に致命傷を与えるほどではないが、それはマキエが望んだことだった。相手が弱ってきたところで、マキエはリィムに呼びかける。

「今だ、リィム!」

「うん!」

 今度は少しはなれた所で見守っていたリィムは、鞘から短剣をぬくと、さっとひと振り。ぼうっと剣がうなると、炎の濁流が生まれて、魔獣におそいかかる。相手も自らの炎で押し返そうとしたが、それをも飲み込み、魔剣の炎はすべてを焼きつくした。

 炭化してくずれさる身体から、ころりとこぶし大の結晶が転がり落ちた。

 とどめをゆずられたリィムが、ぽおっと光に包まれる。

「お、よしよし、レベルアップしたな。それじゃ魔核を回収してから確認しよう」

 マキエは先ほど転がり落ちた結晶を拾った。

 魔核。それはエネルギーの塊で、この世界を支える存在だった。

 精製すると、いつもリィムが調理に使っている燃料石となったり、灯りのもととなる光源になったりする。天然の鉱床としても存在するのだが、モンスターの体内に生物濃縮されてできあがった物の方が、圧倒的に純度が高い。

 そもそもダンジョンが魔核鉱石の天然鉱床の中にできるのだ。なので、そこにすむ生物が体内にその成分を取り込み、モンスターとなる。ダンジョンのあちこちで鉱床がぼんやり光り、中には明るい光で満たされ、植物の生い茂る巨大空間も存在する。

 だがその鉱床を掘っても、低純度の物では精製するのに手間もコストもかかる。それなら生物濃縮されたモンスターの魔核を集めた方が、手っ取り早い。濃縮を重ねた、つまり大型で強いモンスターの魔核であればあるほど、純度が高く取引価格も上がる。こうして一攫千金を狙う冒険者たちがダンジョンに集まるのだ。

 ケルベロス・アルドーレスは焼きつくされたので、魔核は勝手に転がり落ちてきたが、斬り捨てられたベスパ・ゲリエスはそうではない。解体するひと手間がいる。ここでがぜん張り切るのがリィムだった。魚をまるごと買ってきても自分でさばける調理の腕前が、ここで発揮できる。

 魔核ができるのは、昆虫型のモンスターでは消化管のそば。リィムは魔剣を突き立てて、腹部の外骨格を割っていく。ぬめりを気にせず脂肪体を探り、魔核を見つけると、魔剣の刃を器用に使い、切り開いていく。リィムの魔剣は武器としてより、包丁代わりに大活躍するのだった。

 すいすいと解体して魔核を次々と取り出す。ほどなくすべての魔核を回収した。かなりの量だ。これをギルドに持っていって換金すれば、しばらくお金には困らない。

「よし、それじゃレベルアップの成果を確認しようか」

 集めた魔核を背嚢につめて、マキエが振り返った。リィムはステータスウインドウを開く。それをのぞき込むマキエ。ちょっと眉根が寄っていく。

 それを見たリィムが、不安そうにたずねる。

「マキエちゃん、何かよくないの?」

「ん、いや、レベルはちゃんと上がっているよ。ごめん、ただちょっとバランスが気になったんだよ」

「バランス? だめな項目があるの?」

「ううん、大丈夫。別にだめなところがあるわけじゃないんだ。本当にちょっとしたことなんだよ。気にしないで」

 わしわしと頭をなでる。

「本当だぞ。数値もちゃんと伸びてるし、どんどん強くなってる。一人前の冒険者も、もうすぐだ」

 ちょっとうれしそうに、はにかむリィム。けれどすぐ表情がくもる。

「でも僕、マキエちゃんにくっついて、おこぼれをもらってるだけだから……」

「そんなことは気にしなくていいんだ。新人冒険者で見習いとして先輩パーティに入れてもらってる奴はめずらしくないだろ。それと同じだ」

 それでもリィムは気になってしまう。マキエはリィムにかなりあまい。戦闘はほぼ彼女がこなし、リィムは守られてばかり。それでいて、先ほどのように大物のとどめだけをささせてくれて、それで経験値をかせいでいる。

 しかも自分の装備は至れり尽くせり。防具は高性能。持っている魔剣は本人が魔法を使えなくても強力な術を使えるというもので、その辺の駆け出し冒険者では持っているわけがないというレア物だ。つまりリィムの身につけている装備の総額はかなりのお値段で、それをマキエが全部そろえてくれた。

 そういう装備と配慮に守られてレベルが上がったと言われても、自分の戦闘能力が上がっている実感は全然ないのだ。

 やっぱり自分はマキエのお荷物なのではないか。それがとても気になるのだった。

 そんなリィムにマキエが声をかけた。

「さあ、ご飯にしよう。私は結界を張ってくるから、料理してくれるかい」

「うん」

 マキエは今日ビバークする岩陰の周りに結界用の杭を打つ。呪文が彫り込まれていて、ダンジョンで野営する場合に、寝ている間にモンスターにおそわれないようにするものだ。中の人間の気配を消してくれる。それを何本も打ち込む。常識的な量をはるかに超えた密度だった。

 これはマキエが過保護で心配性だから、というだけではなかった。実際に、これぐらいの量が必要だという、事情があるのだ。

「マキエちゃん、ご飯できたよー!」

「こっちも終わった。おお、美味しそうだね」

 パンとスープに干し肉と、簡単な物だが、こうして戦いが終わって疲れたところで食べると、本当に美味しい。

「今日のスープはいつもと一味ちがうね。何か変えたのかい」

「うん、ちょっとハーブを加えたの。疲れに効くやつ。いつもマキエちゃんにがんばってもらってるから、何かいいのないかなと思って」

 ほめられてうれしそうなリィム。マキエはぎゅっと抱き寄せた。

「ありがとう、本当に美味しいよ」

 リィムが、自分の過保護とも言えるぐらいの配慮を気にしていることは、マキエも気づいていた。そこでリィムは自分には何ができるかと考えて、マキエのために少しでも負担が和らぐよう準備をしてきていた。その真っ直ぐな気質は本当に愛おしい。

 それに比べて自分はねじ曲がってるなあと思わなくもないが、こちらもやはりとある事情にからんでいる。

「さあ、じゃあ寝ようか。こっちに入って」

 マキエがブランケットを開いてリィムに声をかける。リィムはちょっと困った顔。

「ねえマキエちゃん。本当にそれ一枚しかないの? 新しいの、買わないの?」

「うん、そうだよ。魔物除けの呪文が織り込まれたブランケットは、お値段が張るからね。先にサイズが合わなくなったリィムの防具を新調しないといけなかったから、これ一枚しか用意できなかったんだよ。ごめんねえ」

 そう言いながら、全然悪びれた様子がない。にっこにっこと期待感あふれる満面の笑みだ。

「そ、そしたら僕、それ使わないで寝るよ。そんなに寒くないし」

「だめだよ、リィム。ダンジョンをなめちゃいけない。いつどこからどんなモンスターが来るか、わからないんだ。ちゃんと万全を期さないと」

 有無を言わせぬ調子と正論でリィムをうながす。でも目の色だけがちがう。本心を表している。

「ううー」

「さあ、おいで、おいで」

 リィムは渋々とブランケットに入る。その身体をマキエがぎゅっと抱きしめる。

「マキエちゃん……」

「なんだい、くっつかないと二人入れないだろう」

 今日は当然お風呂に入れていないので、二人ともよごれているはずなのに、なぜかマキエからいいにおいがする。しかもいろいろふわふわとやわらかい。マキエはきたえ上げられた剣士なのに。

「どうした? 小さい頃からこうしていっしょに寝てるじゃないか」

「……意地悪」

 もじもじと居心地悪そうなリィムに、マキエは微笑みかける。ちょっと悪い笑みだ。

 これぐらいの役得があってもいいだろうと、マキエは思っていた。

 この過保護には理由があるのだ。

 リィムはマキエが昔、ずっとお世話になっていた先輩冒険者夫婦の忘れ形見だ。二人が亡くなった後、マキエが面倒を見ている。赤ん坊の頃から知っていて、もう家族のようなものだから、それ自体は負担と思ったことはない。

 恥ずかしそうにもじもじとしていたリィムだったが、戦いの疲れには抵抗できなかったようだ。すぐにすやすやと眠りに就いた。

 その寝顔をながめながら、マリエの心には愛おしさがこみ上げてくる。

 ただこみ上げてくるだけではない。それは心の内を満たして、激しく渦巻き、あっというまにあふれそうになっていく。もう愛おしさの大洪水だ。

 これが大問題なのだった。

 先ほどステータスウインドウで顔をしかめて見つめていたのは、リィムの持つユニークスキル。『魅魔誘引』。

 こんなスキルをマキエは知らなかった。いろいろ調べてみたけれど、先例も見つからない。

 どうやらモンスターを引きつける効果を持つようだ。そういう点ではバッドスキル。リィムはマキエくらいしか冒険者を知らないので、このダンジョン行きが常識外れであることに気づかない。この階層で、あのレベルのモンスターが出るはずはないのだ。リィムに引きつけられているのだと思われる。

 これぐらいの浅い階層は、大勢の冒険者に探索しつくされている。そしてこの辺りはあまりモンスターの出現率が高くないゾーンとして知られ、人出は多くない。そういう場所だから、マキエはここにやってきた。リィムのユニークスキルを人に知られたくないのだ。

 このスキルが、ただのバッドスキルなら対処は簡単だ。ダンジョンに立ち入らない人生を選べばいい。モンスターに出会わない生き方をすればいいだけだ。

 ところがこの『魅魔誘引』は、ただモンスターを引きつけるだけではなかった。リィムがモンスターにとって「魅力的」に映るらしい。効果はモンスターの性質によるようなのだ。

 知能が低いもの、攻撃的な本能を持つものには、リィムの「魅力」は餌としてのそれだ。美味しそうだと認識し、おそってくる。先ほどのモンスター達がそうだ。

 知能がある程度あっておとなしい性質のものだと、それが「なつく」という結果に変わる。「魅力」が好意を引き出す。何度か体験したが、そうなったときは、本当にモンスターたちが面白いように言うことを聞く。職業的に言えば調教師、テイマーに向いているということだ。これなら将来に向けて有望な資質と言えるだろう。

 そして問題はこの次。

 高い知能を持ち、人と同等に人語を解するレベルのモンスターだと、「魅力」のレベルがさらに上がる。「心酔」、「陶酔」と言えるぐらいの状態だ。ある種族のカリスマとなってそれを統べることができるだろう。例えばそれは高位のドラゴン。モンスターの中で頂点に立つような存在を意のままに従わせることができる。そうなれば、世界すらその手ににぎれるかもしれない。

 そんな力は放ってはおかれないだろう。悪用しようと寄ってくる者もいるにちがいない。

 だからマキエはリィムを守らなくてはいけないのだ。少なくとも自分の力でトラブルを解決できるようになるまでは。幼いリィムがそんな特殊なスキル持ちだと知った時から、それがマキエの使命となった。

 さてその高い知能を持つモンスターに対して、「心酔」とも言えるレベルの力を発揮するというスキルの効果。それをどうやって確認したのかというと。

 それは今まさに、マキエの身の上に起きている。

 どうやらこのスキルはモンスターだけではなく、人型の異種族にも効くらしい。エルフもその対象になるようで、リィムに惹きつけられる気持ちが止まらなくなっているのだ。

 赤ちゃんの頃から可愛いなとは思っていたし、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。でもその気持ちが、自分でもおかしいと感じるほどに強くなってきた。自分のステータスウインドウには状態異常になっていることが表示されている。『魅魔誘引』が効いている証拠だ。

 先ほどリィムのステータスを確認したところ、このスキルのレベルがさらに上がってしまっていた。もう突出した状態。バランスが悪いというのはそういうことだ。

 レベルが上がれば、自分で自覚してコントロールできるようになるのではないかと期待しているのだが、今のところその様子はなく、オートスキルとして常時発動している。それぐらいしか解決の方法がないのに、非常に困ったことだ。

 その影響を受けていることを表に出さないように今まで我慢していた。だが、もうだめだ。「最近マキエちゃん、エロ親父っぽい」とリィムに言われているが、必死におさえてこうなのだ。セクハラで済ませるだけでも、鋼の精神力がいる。

 アリステラのパーティの屋敷に預けるなんてとんでもない。予備知識がない状態でこのスキルにさらされたら、あそこにいるエルフはひとたまりもないだろう。あっという間にリィムが「食べられて」しまう。

「うん……」

「あっ……」

 自分の腕の中でリィムが身じろぎした。それだけでゾクゾクと快感が走る。

 好き。

 大好き。

 もう食べちゃいたいぐらい好き。

 もうこの身をすべて食べてほしいというぐらい好き。

 うっとりとリィムの髪をなでさすりながら、自分はいつまでいいお姉ちゃんでいられるのだろうかと、いやもういいお姉ちゃんじゃなくてもいいかなと、マキエの心はゆれ動いていた。

 ダンジョンの夜は更けてゆく。


〈了〉

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