第20話 帝都から来た婚約者

 ことの発端は2年前のこと、ジャンルイジ大公の婚約者アリアンヌが大公城へやってきたときのことだった。

 結婚前の花嫁修業の為にアリアンヌはやってきた。

 結婚式の予定は1年後、すでに結婚式場の手配、花嫁衣裳の為のデザイナーの確保は済ませてあった。

 アリアンヌに少しでも早く大公城での生活に慣れてもらうため力を尽くすつもりだった。


 彼女が訪れた当日にジャンルイジ大公は顔合わせをした。

 ジャンルイジ大公の姿をみてアリアンヌは一瞬頬をひきつらせていた。

 何かあったのだろうかと首を傾げたが、気にせずジャンルイジ大公は食事前の歓談の場を設けた。

 ジャンルイジ大公、アリアンヌ以外の者が部屋から出た後にアリアンヌはすくっと立ち上がった。


「信じられない」


 彼女はぽつっと一言零した。


「私は帝都一の美貌を持つ令嬢と言われていたのよ」


 確かにそのようだ。

 金の艶やかな髪は黄金の絹のように美しく、瞳は皇帝家の縁戚の為高貴な紫色、肌は透き通るように白くきめ細かかった。そして何よりも整った顔立ちで、帝都一の美貌と言われても不思議はないだろう。


「そのようだな。このように美しい令嬢ははじめて会う」

「それなのに、どうしてあなたは豚のように醜いのですか!」


 その一言にジャンルイジ大公は目をぱちぱちとした。


「肖像画をみてこれならと妥協したのに、出会ってみればそのでっぷり腹! 二重顎はハムのよう。何て見苦しい豚なのかしら」


 聞き間違いではなかったようだ。

 まさか初対面の令嬢に豚と罵倒されるとは思わなかった。

 確かに肖像画、戦争中に描かれたジャンルイジ大公の姿に比べると今は体格が変わってしまった。筋肉よりも脂肪が目立つ肥満体型であった。

 戦争が終わった後の処理で、1日中机にかじりつき運動がすっかりおろそかになり食生活も乱れてしまった。

 その自覚はあった。


「お姉様はあの美しいカリスト様なのに! 何であの鼠女は帝国一のスマートな美男子が婚約者で私はあなたのような豚なの!」


 興奮しきったアリアンヌをまず宥めようとジャンルイジ大公は声をかけようとした。


「気安く私を呼ばないでちょうだい! ああ、見るのも不快だわ。あなたなんて……」


 ふるふると震えたアリアンヌはきぃっとジャンルイジ大公を睨みつけた。

 そして今まで以上の強い口調で罵った。


「あなたのような豚大公は私の視界に入らないで頂戴。そのまま部屋に閉じこもっていればいいのだわ」


 電撃が走ったような感覚を覚えた。

 言うだけ満足したアリアンヌはジャンルイジ大公から視線をそらし、部屋から飛び出していった。


「食事は部屋でとるわ!」


 部屋の外で控えていたメイドにそう命じて彼女は与えられた部屋へと去っていった。


 残されたジャンルイジ大公は茫然とした。

 あまりにぶしつけな無礼な物言いすぎて怒りを通り越し呆れた。

 あれが帝国唯一の公爵、ロヴェリア家の令嬢なのか。

 いくら肥満体型でも軽々しく他者を豚と詰るのはどうかと思われる。


 心配するパルドンにどういったものかと悩みながらもジャンルイジ大公はいつも通り過ごした。

 その日はアリアンヌとは別々の食事の時間を過ごすこととなった。

 日が経つにつれジャンルイジ大公は自分の中の異変に気付いた。


 部屋を出ようとすると妙に周りの視線が気になって仕方ない。また、アリアンヌに出会うかもしれないと思うとしばらくしてすぐに部屋へと戻ってしまった。

 仕事の為に執務室へ行かなければならないのに、こうなっては仕方ない。

 パルドンに頼み、溜っていた仕事を自室に持ってきた。

 ここからジャンルイジ大公の寝室は仕事場になり、食事をとる場所となってしまった。


 2週間経過したところでアリアンヌが寝室へと飛び込んできた。

 突然すぎてジャンルイジ大公は胸が跳びはねるように驚いてしまった。

 姿を隠さねばという焦燥感に襲われてしまう。


「ごきげんよう。大公様、改めて今後のことでお話に来ました」


 メイドたちが困った表情で後を追いかけて来た。

 確か今は大公妃になるための教育を受けている時間のはずだ。


「私はわざわざこちらへやってきてあげたのです。なのに、大公妃の仕事なんて面倒ごとを私に押し付けるのはやめていただけます?」


 何を言っているのだと声を出そうにもうまく声が出せずにいた。


「これからは私に割り振ろうとする仕事は全部あなたがやってください。当然よね。私の夫になれるのだから」


 あははとアリアンヌは笑った。


「面倒な教育係は早々に追い出して下さる?今からブティックにでかけますの。豪華な馬車を、護衛は見栄えの良い騎士を連れて行きますわ。いいですわよね」


 あまりに失礼な言葉で、教育を疑いたくなる程だ。

 それなのにジャンルイジ大公は何も言えず、自然と首を縦に振った。


「代金は全部大公さまへの請求にしますわね。よろしく」


 上機嫌のアリアンヌは言うだけ言って部屋から出ていった。


「ああ、ようやく息がつける。豚小屋には入りたくなかったのに」


 扉が閉ざされる時に言った言葉はあまりに無礼なものだった。

 それなのにジャンルイジ大公はじめ大公城の誰もアリアンヌを嗜めることができなかった。


 大公妃教育から解放されたアリアンヌは自由に振る舞い続けた。

 必要な時以外はジャンルイジ大公を訪れることもしない。訪れたと思えば、ジャンルイジ大公を蔑ろにする言葉であった。


「そんな体では動くのもたいへんでしょう。気にせずベッドでごろごろされれば。豚にはお似合いですもの」


 どんどんアリアンヌの罵倒は悪化していく一方であった。

 それなのに誰もアリアンヌを注意することができず、アリアンヌの気分は向上し続けていた。

 毎日お茶会を開いてはメイドを奴隷のように扱い、大公領の爵位を持つ家の令嬢をメイドのように扱う。一人の令嬢が気に喰わなければ、他の令嬢を同調させて彼女を精神的に追い詰めた。数人の美しい令嬢が表舞台から姿を消した。

 騎士や従僕で見目麗しい者がいればアリアンヌは迷わず自室へと呼びこんで、淫らな生活を送っていた。中には許嫁がいる者もいたが、アリアンヌの手によって篭絡された男は婚約破棄を言い渡す有様だ。数日後のお茶会でアリアンヌはそれを話題に出し、婚約破棄されたばかりの令嬢のコンプレックスを指摘して責め立て追い詰めた。

 大公家の費用で衣装や装飾品をどんどん買い占めて、贅沢な日々を送るばかりか大公城、大公領の雰囲気を変えてしまった。

 それなのに誰も彼女を止めることができなかった。


「あの許嫁をどうにかしろ! ジジ」


 我慢できないと言わんばかりにルフィーノが部屋を訪問した。

 魔法棟所属の彼をアリアンヌは見初めて彼を恋人にしようとし追い詰めていたようだ。

 研究にも支障が起き、ルフィーノは迷惑をしていた。


「いくらなんでもあの女のやっていることは酷すぎる! 限度がある」


 貴族社会について気にしていない我を押し通すルフィーノが言うのだからよっぽどだ。


「何故誰も何も言わない! 何故!!……」


 ぶちぶち文句を言っていたルフィーノはベッド上のジャンルイジ大公をみて急に黙り始めた。


「なるほど。他の連中には興味なかったから気づかなかった。私はかなり阿呆だ」


 自分の節穴っぷりをルフィーノは責めた。


「ジジ、お前はあの女の魔法ですっかり変わり果ててしまっている。これはかなり厄介だ」


 ジャンルイジ大公の容態を確認してルフィーノはようやくアリアンヌの魔法をつきとめた。

 魅了魔法と、言霊魔法を持ち彼女は無意識にそれを発散している。

 滅多にみられない言霊魔法をこのように使うなどかなり恐ろしい存在だった。


「対策はしてみるが私には力不足だ。フランを呼ぼう」


 フラン、フランチェスカは今は聖国で留学中の神官であった。

 ジャンルイジ大公、ルフィーノの幼馴染であり同じ家庭教師の元で勉学をともにした仲だった。


「そうか、どうりで」


 ようやくジャンルイジ大公は今までの異変の真理にたどり着いた。

 自分の体調の異変はアリアンヌのはじめに発信した言霊による影響だった。

 そして時折訪問したアリアンヌは重ね掛けするように言霊を繰り返し続けた。

 すっかりジャンルイジ大公は人らしい生活を喪失して変わり果ててしまった。

 クッションがないと座位を保つこともできず、手が伸ばせる範囲のものを取り出すことしかできない。


 おかしいと思っても、魔法によるものとは気づけずジャンルイジ大公は魔法棟へ助けを求めることを失念していた。

 もっと早くルフィーノに声をかければ違ったかもしれない。


「とにかく、フランが来るまでの我慢だ。それまで私も彼女の魔法を研究、対策を練ろう」


 ルフィーノは頭の中で構想を練って、すぐに部屋を飛び出した。

 そして1か月後に、アリアンヌは大公領から姿を消した。

 フランチェスカがたどり着き、ルフィーノと協力しアリアンヌの魔法を一部無効化することに成功できた。

 はじめて多くの大公領の民から批判されアリアンヌは怯えて逃げ出してしまったのだ。


 悪女は去った。


 それでも問題はたくさん取り残された。アリアンヌの被害が大きかった。

 1年かけてようやく復帰できた者がいれば良い方である。

 特にジャンルイジ大公の被害は甚大であった。

 フランチェスカが治癒魔法、神聖魔法を施してもジャンルイジ大公の根本にかけられた言霊を解除するのはできなかった。

 さらに修練を積む為にフランチェスカは巡礼の旅に出た。

 彼女が戻ってきた時に少しでも変われればいいのだが、ジャンルイジ大公の体調は悪くなる一方であった。

 彼は自分の容姿を不特定多数にみられることを恐怖に感じ、パルドンはじめ一部の者だけしか部屋へ入れなかった。

 その為彼の周りの環境はどんどん悪化し、彼の身の清潔面は保つことができず彼の体は少しずつ弱っていく一方であった。


 私もこれまでか。このまま弱って無様に死んでしまうのか。


 せめてビアンカ公女が成人するまでは生きなければと思っていた。

 彼女の後後の生活を考えながらジャンルイジ大公は変わり果てた不規則で不健康な生活を続けた。

 アリアンヌのことを忘れた頃に皇帝から手紙が届けられた。

 アリアンヌの逃亡に関する謝罪と、代わりの花嫁を寄越すという内容だった。

 大公家としてはあまりに無礼なことで怒るべきだという声もあった。

 だが、アリアンヌが来るよりはましだろうとジャンルイジ大公はその花嫁を受け入れることにした。

 調べによると元は皇后になる予定の令嬢であったが、アリアンヌに陥れられてこちらへ参ることとなったアリアンヌの被害者だとわかった。


 アリアンヌ程の酷い令嬢でなければ何でもよい。どうせお互い干渉せず生きるのだから。


 ジャンルイジ大公は結婚後の別居生活を考えていた。


 こんな醜い大公と一緒に過ごすより、別居の方がましなはずだと。


「大丈夫ですか!」


 許可した者しか出入りできないはずのジャンルイジ大公の部屋に見知らぬ令嬢が入ってきた。

 ジャンルイジ大公は慌てて傍にあった紐をひっぱり天蓋ベッドのカーテンをおろした。

 一瞬であるが、外の光とともに現れた令嬢は美しく目を奪われそうになった。

 彼女に自分の醜い姿を見られると焦燥感にかられ、ジャンルイジ大公は必至に胸を押さえつけた。

 この時ジャンルイジ大公は何が起きたか理解できなかった。

 予想外のことを発言する彼女にジャンルイジ大公はすぐに胸の苦しみを忘れ混乱するまま部屋から追い出してしまった。


 帝国では貧相な色と言われる鼠色(ブルーグレイ)の髪であるが光に照らされた色はきらきらして綺麗で、いきいきとした赤い瞳はルビーのように美しかった。

 カーテンが閉ざされる前に一瞬みえた彼女の顔が頭から離れなかった。

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