第3話 引き籠った大公殿下

 アンジェロ大公領、帝国の北東に位置するこの領地はかつては全く別の国家であった。5代前の皇帝に忠誠を誓うことで、帝国の一部となったのだ。

 敵国の騎馬民族の猛攻から守る東の壁と呼ばれるアンジェロ大公領は大事な拠点でもあった。

 皇帝家とは深い関係を結んでおり、その架け橋はルドヴィカの実家が担っていた。


「ようこそ、おいでくさいました」


 大公領に訪れたらすぐに結婚式をあげられた。

 元はアリアンヌが着るはずであったウェディングドレスをルドヴィカの体格に合わせて縫い直し、新郎は現れずオルランド卿という騎士団長が新郎代行を務めた。自分の為ではないドレス、新郎ではない者の代行結婚と信じられない挙式であった。

 前世のルドヴィカにとっては耐えられなかった。

 カリスト皇帝からの婚約破棄の上にこの扱いは屈辱とさえ感じた。


 どこまでこの屈辱に耐えればいいのだと神を呪ったものだ。

 今はそんな気分ではない。


「大公妃、大丈夫ですか?」

「ええ、大公城を早くみたいわ。早く案内してくれないかしら」


 式の不満がくるかと警戒していたオルランド卿は思いのほか驚いた。

 すぐに姿勢をただしルドヴィカをエスコートした。


 式場から馬車でしばらく移動したところで大公城へ到着した。

 敷地内に入ると大勢の使用人たちがルドヴィカを出迎えた。


「お初にお目にかかります。大公妃さま、私は執事長のパドアンといいます。何かご不明の点があれば何なりと」


 恭しく挨拶する執事長の背後の使用人たちは険しい表情でルドヴィカを睨んでいた。


 それもそうである。

 大公領側からすれば、ロヴェリア公爵家とガンドルフォ皇帝家の対応は実に不誠実であっただろう。


 花嫁として迎え入れたアリアンヌは半年間どんな風に過ごしていたか前世で聞き及んでいた。

 教育はサボり、メイドを奴隷のように扱い時には侮辱を与える。お気に入りの騎士や従僕を見つけては寝台へと誘い込み、淫らな日々を送っていたそうだ。さらに、婚約者であるジャンルイジ大公に対しての横柄な態度は酷かった。これを聞いた時はあまりのことにルドヴィカはめまいを覚えた。


 そりゃ、アリアンヌの姉のルドヴィカに良い感情など抱けるはずもない。

 さらに前世のルドヴィカは自暴自棄となり贅沢にドレスや装飾品を買いあさっていた。アリアンヌ程ではないにしても、大公妃の責務を放棄し贅沢三昧をするのは褒められたものではない。

 それでも彼ら使用人たちは最低限の給仕を全うしたのはさすがだと褒めるべきだろう。


「さて、まずは大公妃にはいろいろな案内を」

「まずは大公殿下への挨拶をさせてちょうだい」


 ここでの生活方法や、与えられる金銭・財源についての説明であるが2回目のことであり後でもいいだろう。

 まずはこの大公城の主であり、ルドヴィカの夫となる男との顔合わせが優先されるべきであろう。


「大公殿下は体調が優れず」


 新郎代行の時も同じ話であった。


「まぁ、夫の体調不良。それであればお見舞いを、看病をせねばなりませんね!」


 ルドヴィカは大声をあげた。

 そしてささっと使用人たちの隙間を通り過ぎ、廊下を突っ切った。

 あまりにスムーズな動きに使用人たちは反応ができなかった。


「た、大公妃……お待ちください! お待ちを、そちらへ行ってはいけません」


 使用人たちはルドヴィカの後を追いかけるが、ルドヴィカはスカートの裾をあげてささっと走った。

 この時の為にあらかじめ歩きやすい靴に履き替えて良かった。

 大公領へ行く途中に靴屋さんをみかけて、走りやすい靴を仕入れて馬車の中で履き替えたのだ。


「何であの方角がわかるのでしょう」


 メイドはぽつりと口にする。

 ルドヴィカの向かう先はジャンルイジ大公の寝室であった。


 そら、前世で知っているからよ。


 ルドヴィカは後ろの言葉に心の中で応えてやる。


「失礼いたします!」


 ルドヴィカは寝室前の扉をこんこんと叩いた。


「誰だ」


 くぐもった男の声は感慨深かった。


「ルドヴィカと申します。殿下への挨拶へ参りました」


 前世、挨拶に向かったのは結婚してから1週間後のことであった。

 なかなか会ってくれない夫にしびれを切らしてルドヴィカはジャンルイジ大公の寝室へと訪問したのを昨日のことのように思い出された。

 1週間後も今も大きく変わらないだろう。


「ば、な……なんで」


 部屋の奥からどんがらがっしゃんと盛大な食器の落ちる音がする。これも前世と変わらない。きっと記憶の通りの部屋環境なのだろう。


「まぁ、殿下! 大丈夫ですか!」


 心配するそぶりをみせながらルドヴィカは部屋の中へと入り込んだ。

 使用人たちが止めるよりも前に。

 そうでもしないとジャンルイジに出会う機会など訪れない。

 ルドヴィカは大胆に行動した。


 部屋の中は酷い異臭を放っていた。

 匂いをごまかす為に香を焚いているように思えた。

 窓は閉ざし切られ、カーテンで太陽の光が入らないようにびっしりと締めくくられている。


 寝台付近には大量の書類と、先ほど落としたと思われる食器が散乱していた。同時に甘い果物や、菓子類、油たっぷりの食事の残り物が辺り一面を汚していた。

 さぁっとカーテンが閉ざされる音が流れる。

 天蓋ベッド周辺のカーテンが下りたのである。


 ジャンルイジは自身の姿を見られまいと必死に隠してあった。

 ほのかな灯り加減で体のラインがみえる。

 まんまるとしたお腹のラインは前世の通りである。


「BMIどのくらいかしら」


 ルドヴィカはぽつりとつぶやいた。

 BMIというのは体重・身長から計算された肥満度のことである。

 国際基準では25以上を過体重、30以上を肥満としている。


「大公妃様、殿下はその……とにかくお部屋へ行きましょう!」


 執事長の言葉にルドヴィカはようやく目的を思い出した。

 他の使用人たちは見当たらない。主人の部屋に許可なく入れないから部屋の外で待機しているようだ。


「まぁ、殿下! すごい音がしましたが大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だ。物を落としただけだから心配するな」


 必死にこらえる言葉は予想通りだ。前世もこうだった。


「殿下。それでは挨拶を……私はルドヴィカと申します。殿下、お顔をみせてください」

「やめた方がいい」

「何故です」

「……醜いからだ」


 ようやく絞り出す声にルドヴィカはずきりと胸の奥が痛んだ。

 この時この男がこの言葉を発するのにどれだけの苦しみが込められていたか。

 それすらも理解できなかった前世の自分が愚かしくて仕方ない。


「私は殿下を醜いと思いません」

「嘘を言うな」


 はっきりとした断定、どうしてここまでのことを発するのか。

 それはジャンルイジじゃないとわからないことだろう。


「こんな醜い男に嫁いでお前も災難だと思っているだろう。城内の範囲であれば自由に過ごせばいい。社交費用も与えてやるから好きに生きればいい。恋人も作りたければ自由にしろ。ただし後継は妹のビアンカのものだ」


 ビアンカという名にもなつかしさを覚えた。

 ルドヴィカが抱えた後悔のひとつである。

 少しでもビアンカに触れ合うことをしていればあの悲劇は回避できたかもしれない。

 ジャンルイジ大公が死んだ後、ルドヴィカは小さな屋敷を与えられて年金暮らしをできるように手配された。ジャンルイジ大公の遺言のおかげである。

 あれだけ自暴自棄に、贅沢三昧をし、大公妃としての責務もはたしていなかったというのにルドヴィカはようやくジャンルイジの人となりに気づいた。

 その後、帝国へ叛意を示したビアンカは大きな戦争を起こし大公領を火の海と化した。最後に捕えられたビアンカは処刑され、残されたルドヴィカは辺境の修道院へと追放され貧しい余生を送ることとなった。

 もし自分がジャンルイジのことを少しでも知ろうとすれば、ビアンカに少しでも触れ合おうとしていれば痛ましい戦争を止められたかもしれない。


「さぁ、わかったなら早々に出ていけ」


 黙り続けたルドヴィカをジャンルイジは命じた。突き放す物言いであるが、その裏にどれだけの感情が秘められていたかルドヴィカは知りたい。


「嫌です」


 ルドヴィカははっきりと拒否し、ジャンルイジの天幕ベッドのカーテンに手をかけた。

 あらわになったジャンルイジの姿を改めて確認する。


 まんまるとでてしまったお腹、寝返りすらうてない程の巨体。

 足の状態はひどくむくんでいる。ちゃんとケアはされていないようだ。

 唯一自由に動かせる手はベッドわきの机に置かれた書類と食べ物に手を伸ばすのが精いっぱいだ。

 まんまるの顔に酷い無精ひげ。


 大公城の廊下に飾られた歴代大公の肖像画を思い出す。その中にかつてのジャンルイジ大公の姿、かつては騎馬民族を難なく撃退した英雄時代の姿があった。

 このように太る前は精悍な偉丈夫だったというのに、今は見る影もない。


 それでも伸ばし切った茶髪の前髪の隙間からみえる空色の瞳は透き通るように綺麗だった。

 酷く怯えた瞳にルドヴィカは優しく微笑んだ。


「あなたは私に好きにしろとおっしゃいました」


 改めてジャンルイジの反応をみる。根は素直な性格なのだというのが伝わってくる。


「だから私は自由にします」


 大丈夫、たいへんだけどやってみせる。


「ジャンルイジ様、私はこれからあなたの健康を管理します!」


 ルドヴィカは大きく宣言した。

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