第2話 婚約破棄されたレディー
「私、カリスト・ガンドルフォはアリアンヌ・ロヴェリアと正式に婚約をする!」
カリスト皇帝からの言葉にルドヴィカはぽかんと口を開いた。
13歳の頃より宮殿で妃教育を受けていたルドヴィカがカリスト皇帝の皇后候補というのは明白であった。
本日の社交界で、ルドヴィカは普段よりも着飾っていたのはその為だ。
それなのに予想外のことが起きてしまった。
カリスト皇帝が妃にと望んだのは自分ではなく、1つ年下の妹アリアンヌであった。
「どういうことか教えていただけますか?」
未だに状況を把握できずにいる。
公にされていなくてもルドヴィカはカリストの妃になるために皇帝家から直々に教育を施されていた。
それなのに、正式に公表された婚約者はルドヴィカの妹アリアンヌであった。
「お姉様、ごめんなさい」
「お前が謝る必要などない。これは運命なのだ」
運命という言葉が出るとは思わず笑いがこみあげてきそうだ。
今の自分はどんなことでも笑っていられる自信がある。
「アリアンヌ、あなたはアンジェロ大公妃になる予定だったでしょう」
ジェロニカ帝国唯一の公爵家であるロヴェリア家は皇帝家と大公家の関係を結ぶ為にそれぞれに妃を送る役目を受けていた。
長女のルドヴィカは、カリスト皇帝の妃に。
次女のアリアンヌは、アンジェロ大公妃に。
アリアンヌは2年前に婚約前の花嫁修業の為にアンジェロ大公領へ向かった。しかし、半年後に勝手に戻ってきた。
「アンジェロ大公様は酷いお方です。恐ろしい姿で、私を脅しかけるのです。あのような場所へ嫁ぐなど嫌ですわ」
涙ながら訴えるアリアンヌに父母は甘やかしてアリアンヌの帰還を迎えた。
そして社交界に堂々と参加して、カリストと親しい間柄になっていく。
カリストからはアリアンヌはルドヴィカの妹だから大事にしないといけないと言われ、ルドヴィカは仕方ないことだと認めていた。
半年前にカリストは皇帝となり、忙しく一緒に過ごせることが減っていった。
ルドヴィカはそれでももうすぐ彼の妃になる身なのだから耐えなければと言い聞かせていた。皇帝になったばかりでたいへんなカリストの負担になってはいけないと。
気づけばこのようなことになっていたとは。
後から聞くと、アリアンヌとカリスト皇太子は何度も逢瀬を繰り返していたそうだ。
知らなかったのは自分だけだったと知りルドヴィカは自分の愚かしさに頭を痛めた。
今の自分はまさに社交界の笑い噺の主人公である。
「それでは私はどうなるのですか。陛下の為に5年も捧げた私は……」
13歳の頃から宮殿で過ごし、皇太子妃に相応しく教育を受けていた。
父母に会いたいと願う日もあったが、それでも国母になるためと言われて我慢を強いられてきたというのに。
対してアリアンヌは大公領で過ごした1年を除けば父母の元で過ごし、カリスト皇太子と逢瀬を楽しんでいた。そんな彼女が皇太子妃となり、自分はどうなるのだ。
「5年間受けた教育は決して無駄にはならない。アンジェロ大公の元へはお前が嫁ぐように」
訳がわからない。
どうして自分が妹が嫁ぐ予定だった男の元へ嫁がされるのだ。
「お姉様、私たちの幸せの為よ」
アリアンヌの言葉にルドヴィカはかっとなり、持っていた扇をアリアンヌに投げつけた。
どうして自分がここまで耐え続けなければならないのだ。
「何という酷いことを。やはりアリアンヌの言っていたことは本当だったのだな」
カリストの言っていることはよくわからなかった。
「お前がアリアンヌを虐めていたということだ。そんな冷たい女は私の妃に相応しくない。お前など醜いアンジェロ大公妃がお似合いだ」
嘲笑と侮蔑の言葉を並べるカリストにも無償に腹が立った。
ルドヴィカが言葉をどんなに並べようとカリストはただの言い訳としてしか取らなかった。
「どうして私の言葉を聞いてくれないのですか! 私は陛下の妃になるためにずっと厳しい教育を、受けて来たのに」
「ええい、しつこいぞ!」
カリストはルドヴィカの右頬を叩いた。
あまりの痛みにルドヴィカは茫然とした。
そして今の一瞬でルドヴィカは今いる自分の場を改めてみやった。
「そもそも私はお前を妃候補に認めていない。父上たちが勝手に決めたことだ。こんなみすぼらしい姿の令嬢を私は認めたくない。このアリアンヌをみてみよ。私と同じ金髪に紫の瞳を持つ高貴な血筋を濃く受け継いだと言わんばかりの姿、これこそ妃に相応しい姿だ」
その言葉に社交界は嘲笑で埋め尽くされた。
「私も前々から思っていましたの」
「あのような鼠色の髪の令嬢など大丈夫かと」
「国の威信に関わりますからね」
こぞって人々はルドヴィカの特徴を上げ連ね、対してアリアンヌの姿を褒めたたえた。
ルドヴィカはなおも驚いた表情を続けている。
余程ショックだったのだろうと人々は笑った。
当のルドヴィカとしては驚いたのは別のところであった。
「ここ、は……薔薇宮殿」
懐かしい荘厳な装飾にルドヴィカは周りをみた。
確かに視界にうつる多くの淑女たちのドレスは当時の最先端の流行のものである。
「私、まさか戻ってきたの?」
右の頬を抑えながらルドヴィカはぽつりとつぶやいた。
「何? お姉様、どうしちゃったの?」
婚約破棄されて、皇帝に頬を叩かれて頭がいかれてしまったのだろうか。
アリアンヌの言葉にルドヴィカは今の自分の状況を見直した。
アリアンヌ、どうしてあの時彼女が皇后に選ばれたのか理解できなかった。
ルドヴィカはゆっくりとアリアンヌの方へ近づいた。
「きゃ」
アリアンヌは怯えた表情でカリストの背中へと隠れて行った。
カリストは険しい表情でルドヴィカを睨みつける。
詳しく解析はできなかったが、アリアンヌの香りに触れた今なら理解できる。
彼女の放つ香りは魅惑魔法の一種である。
しかもあまりに自然に溶け込んでいるので誰も気づくこともない。
もしかすると宮殿魔法使いがぐるになっている可能性もある。
前世ルドヴィカは大公夫人となった後自暴自棄となり、最期は田舎の修道院で貧しい余生を過ごすこととなった。
その間、自分に隠された魔法の才能に気づき、ひたすら磨き上げてきた。
ルドヴィカが前世得た魔法は透視魔法であった。これでわずかな魔法の流れを感知することができた。
この香りで周りを味方にしつつカリスト皇帝を陥落したのだろう。
だが、カリスト皇帝が今ルドヴィカに放った「みすぼらしい姿」という言葉は以前より抱えていた不満であるのをルドヴィカは知っていた。
彼の影口を一度だけ聞いたことがあった。
それでも皇后としてお役に立てればきっと自分を理解してもらえると信じてルドヴィカは勉強を頑張ったというのに。
魅惑魔法があろうとなかろうとルドヴィカとカリスト皇帝との関係はいずれは終わっていたことだろう。
今のルドヴィカには彼への執着などなかった。
前世の婚約破棄、そして全てを奪われたあの時から彼への想いなど消えてしまっていた。
カリスト皇帝よりもルドヴィカは何よりも優先しなければならないことがある。
「陛下、謹んでジャンルイジ・アンジェロ大公の元へ嫁いで参ります。どうかお元気で」
ルドヴィカはドレスの裾を広げて淑女の礼をとった。
今までの狼狽が嘘のようなひどく落ち着いた仕草である。
「ああ、わかったのであればただちに準備をいたせ」
追い出されるように宮殿を出るとルドヴィカの荷物をまとめて積まれた馬車が待機していた。
前世では必死に訴えるルドヴィカを騎士たちが取り押さえてこの馬車へと放り込んだのだった。
今度は自分の足で踏み込んでやる。
「どうしたの? まさか淑女のエスコートもできないのかしら」
一向に動こうとしない騎士にルドヴィカは呆れた。
慌てて騎士はルドヴィカに手を差し出し、ルドヴィカはそれで馬車の中へと入った。
真夜中の路を駆ける馬車の中、ルドヴィカは今の状況を整理した。
実はルドヴィカには前世の記憶がある。
それはカリストに婚約破棄されて自暴自棄になり惨めな最期を送ることとなったルドヴィカの1回目の人生である。
次に送ったのはこことは遠い別世界の日本という島国で、医者をしていた菊丘朱美の人生である。病院のガラスに突っ込むトラックに巻き込まれてしまうなどあまりな最期であった。
次に転生した先が今まさにこのルドヴィカへと戻るとは。
「まさか、2回目のルドヴィカの人生を送ることになるなんて。神様は意地悪なのか……」
ルドヴィカは夜の外の風景を眺めながらため息をついた。
「それとも慈悲なのかしら」
1回目のルドヴィカの記憶、そして別世界の菊丘朱美の記憶を経てルドヴィカは再び分岐点へと立たされていた。
ルドヴィカが最期に悔やんだこと。願ったこと。
どういう訳か、神はそれに応えてくれたようである。
窓に映し出された自分の姿をふとみる。
鼠色(ブルーグレー)のウェーブのかかった髪である。
ルドヴィカが一番のコンプレックスであった。切りたくとも淑女の姿を保つ為に切ることもできず、前世は誤魔化すように金品で飾り立てていったのを思い出した。我ながらバカなことだと思いながらルドヴィカはカーテンを閉ざした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます