第6話 栞
——
目覚まし時計を午前七時に合わせた後、ベッドのなかに潜り込んだ。
部屋の電気を消した後、しばらく目を瞑ってみたが、最近は夜中でも気温が下がらず、なかなか寝付くことができなかった。
「……」
「そういえば」
すでに準備を終えていたランドセルをもう一度開くと、中から時間割表を取り出した。
「小夜中もだよな……いいこと考えた」
俺はベッドに戻ると、目覚まし時計にもう一度手を伸ばした。
開いた窓の外から風が流れ込み、光とともにカーテンが揺れている。
鈴虫の鳴き声が耳に届く。今度は眠れそうだ。
*
「小夜中驚くかな?」
翌朝の通学路。思わず口に出した本心と、最後くらい小夜中には楽をさせてやろうという気持ち。半分づつ頭で描きながら通学路を歩いていると、目の前には学校が見えてきた。
自分たちのクラスの下駄箱を見ると、当然のように上履きばかりが収められていた。
「小夜中は……」
念のため彼女のネームプレートが掲げられた場所を確認する——よかった。まだ来ていない。
下駄箱から自分の上履きを取り出し、足元に置いた。自然と視線が足元に向く。
「……ん?」
陽光を浴びた俺の足元から、影が校舎に向かって伸びている——その横にもう一つ、帽子を象った小柄な影が並んでいた。
「……」
横に立ったその影は、何やらそわわそわわと体を動かしていた。
「……福太郎君」
薄々分かっていたことだが、その声を聞いて確信に変わった——計画失敗。
振り返ると想像していた彼女が、目深に帽子を被りながらこちらを見つめていた。
「今日、早いね」
「小夜中おはよう、今日はその、たまたま目が早く覚めたんだ」
帽子のつばで目元を隠している小夜中に対して、口からでまかせを言ってしまう——本当は俺が視線を隠したいくらいだ。
*
手に持った黒板消しを走らせると黒板に残っていたチョークの粉が舞う。光に照らされ、銀色にきらめきながら窓の外へと流れていく。
窓の外からは、幾重にも重なり合ったセミの大合唱が響いている。
「うーんっ。っしょ、……はぁっ」
セミの鳴き声にかき消されるぐらいの、小さな声が断続的に耳に入ってくる。横に目を向けると、小夜中が黒板上部へ懸命に腕を伸ばしている。
背伸びをする彼女を見ながら、一学期最後の日である今日を頭の中で少しばかり振り返ってみた——体育館での終業式を終えたし、教室に戻ってきたからは夏休みでの心構え等を先生から聞いた後、通知表も受け取った。通知表の中身をゆっくりと除いた際、隣席の男子が「福太郎、顔色が悪いんじゃないか?」などと、にやけた面で話しかけてきたことがしゃくにさわる……まあ自宅に帰った後、どう説明するか今も考え中だけどな。
「……くん」
「……?」
「福太郎君」
小さく柔らかい声に我に返ると、学級日誌を持った小夜中が目の前に立っていた。
「ごめん、何だった?」
「私のところ書いたから……福太郎君も書いて。職員室に持っていくから」
小夜中は手の持っていた学級日誌を開くと俺に手渡してくれた。
「そうだな……何を書こうか」
俺は自分の席に着いて鉛筆を手に取った。
「……」
いざ何かを書こうと、紙を前にしても言葉が浮かんでこない。夏休みの読書感想文のように、しばらく白紙と睨めっこをしていた——が小夜中を待たせている罪悪感から、彼女の姿を求めて教室内を見渡した。
「あれ……どこ行った?」
いつの間にか、教室から小夜中の姿がいなくなっていた。誰もいなくなった教室で一瞬呆気にとられたが、すぐさま教室後ろの扉が開き小夜中が戻ってきた。手には普段後ろの棚に飾られている花瓶を持っていた。小夜中は花瓶を元の場所にゆっくりと戻すとポケットからハンカチを取り出して花瓶の縁を拭っていた。花瓶から顔を出す花が変わっていた。藤色の花が生き生きとしている。
「……素直に書こう」
小夜中の姿をみて自然と言葉がこぼれた。
そこからは、鉛筆がすらすらと走り、学級日誌をほんの数分で埋めることができた。若干自身の気持ちが出てしまっているが、まあいいだろう。
「小夜中、書けたよ」
学級日誌を受け取った小夜中は、教卓に置かれたプリントの束も運ぼうとした。
「そっちは俺が持つよ、職員室まで一緒に行こう」
「あ……うん」
少しためらう表情を浮かべたが、小夜中は小さく頷き、二人で書類を抱えると一階の職員室まで向かった。
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