元勇者の逃亡劇

猫野早良

勇者がいた国

第1話 勇者の生まれ変わり

 見たこともない森の中に私は一人佇んでいた。


 周りはうっそうと木々が生い茂っているが、ここだけは高木がなく視界が広い。その開けた場所に清らかな泉があり、その岸に私はぽつんと立っていた。

 見上げれば満点の星空で、つまり夜だということが分かる。それなのに辺り妙に明るいのはなぜだろうか。

 その原因すぐに分かった――泉だ。泉が光っている。水が淡く発光しているおかげで、苦もなく辺りを見渡せるのだ。

 

 それにしても、こんな不思議な泉は見たことがない。放たれる光は柔らかく美しく、まるで夢でも見ているようだ。

 ……と、そこで私は気づく。なるほど、これは夢なのだ。

 それと同時に、私はもう一つあることに気付いた。泉の対岸に誰かいるのだ。

 一体、誰だろう。よくよく目を凝らすと、そこに立っていたのは私と似た年頃の男の子だった。

 ただ、その恰好には雲泥うんでいの差があった。

 彼が着ているのはシミ一つない真っ白な寝間着で、どこかがほつれた様子もない。一方、私が着ているのは継ぎはぎだらけで、元の色がよく分からない鼠色のワンピースだった。

 おそらく良い家の子供なのだろう。彼と私では圧倒的な落差がある。


 私がじっと見つめていたせいか、男の子の方もこちらに気付き見返してきた。

金髪の下に碧色の大きな双眸。身なりだけではなく、容姿もかなり整った子であった。

 それにしても、一体誰だろう。今まで、彼と会ったことはないはずだ。でも、不思議と懐かしさを覚える。

 私の住んでいる村は貧しく、こんな裕福そうな子供はいないのに、確かにどこかで会った気がする――そう考えた瞬間だった。


「――っ!?」


 突然、体にバチンと電流のようなものが走った。

 頭の中が真っ白になったかと思うと、次の瞬間には恐ろしい量の情報の奔流に襲われた。

 まるで、今まで堅く封じ込められていた物が一気に放たれたようだ。見たこともないはずの光景、知らないはずの知識、そして誰かの感情がどっと私の頭の中にあふれかえる。

 

 怒涛の記憶の洪水の中、私は対岸の少年を見る。少年の方もこちらを見ていた。

 目と目が合う。そして、私は悟った。


「あなたは……エドワルド殿下」


 それは前世で私が使えていた主君の名前だった。そして、少年の前世でもある。

 そう、私は前世の記憶を思い出したのだ。

 

 少年が叫んだ。

「絶対に君を見つけるからっ!」

 そして、唐突に私は目を覚ました。



 ガタガタと揺れる馬車の中、私はとても混乱していた。一度に蘇った膨大な前世の記憶への処理に頭が追い付いていない。とにかく落ち着くために、私は一つ一つ記憶を整理することにした。


 私の名前はリベア。もうすぐ十四になる。性別は女。

 そして、今蘇よみがえった記憶が確かなら、私には前世がある。

 

 前世での私の名は、ルキア・クレスメント。

 今から百年ほど前に、魔王を討伐してこの世界に平和をもたらした勇者の名前だ。 つまり、私は勇者の生まれ変わりということになる。

 そして夢で出会った少年の前世はエドワルド・ティルナノーグ。ルキアが仕えた君主である。


 ……。

 …………。

 ………………って、いやいやいや!

 私が勇者の生まれ変わりなんて、恐れ多いにもほどがある。こんなこと誰か知られたら、指をさして笑われるか、頭の病気を心配されるかどちらかだ。


 ……いや、しかし。でも、しかし。あるんだよなー、ルキア・クレスメントとしての記憶がしっかり、と。


  ……とりあえず、とりあえずだ。

 私の頭がおかしくなってしまった懸念けねんは横に置いておいて、本当に前世が勇者であったという方向性で考えてみよう。


 勇者ルキアの話は有名で、この国の人間なら子供でも知っている。

 彼女は魔王を退治して世界を救った英雄で、その勇敢さや圧倒的な強さ、弱者に見せる優しさ――ルキアの英雄談はとても華麗なものだ。

 そして、それは私の中に蘇ったルキアの記憶とまるで違った。



 そもそもルキアは勇者になどなりたくなかったのだ。


 

 言い伝えでは、ルキアは民を思って自ら魔王討伐に志願したということになっているが、これは間違いである。

 ルキアは生来の臆病者で、そんなことできるわけがなかった。

 騎士の家系に生まれたが、剣術は凡人の域を出なかった。

 一つ、ルキアが唯一人に誇れるものがあるとすれば『魔術』という新しい技術をつくったことだろう。それがエドワルド王の目に留まり、彼女は宮廷魔術師として招かれた。


 魔術は魔王への有力な対抗策になり得ると期待された。ルキアに課せられたのは、誰でも使える魔術の開発だった。

 しかし、それは失敗に終わる。ルキアの開発した魔術のほとんどが当の本人にしか使えず、軍事運用することは不可能だったからだ。

 周りの貴族たちは彼女を糾弾きゅうだんし、こう言った。


――下らない研究をやっている暇があるのなら自ら魔王でも退治してこい、と。


 結果、なし崩し的ルキアは勇者に祭り上げられ、半ば強制的に魔王討伐を任ぜられたのだ。


 あと、なぜかルキア一人で魔王討伐したというように語られているが、これも誤りだ。

 敵は何百、何千、何万という魔物を配下におく魔王。そんな相手に立ち向かうのが一人なんて、正気の沙汰さたじゃない。単なる自殺行為だ。

 実際はエドワルド王と周辺諸国から兵や精鋭の戦士を貸してもらい、その皆を率いてルキアは戦ったのだが、それでも魔王軍との戦いは恐ろしく大変だった。

 英雄談で語られるような華麗なものとは程遠い、泥臭いもの。きつい、痛い、汚い……物理的にも精神的にも痛めつけられる毎日。

 ルキアが運よく魔王軍相手に勝利を収めていけた理由は、魔物たちに知恵者が少なく、個々の能力が高くても軍としてのまとまりがなかったからだ。

 だから、ルキアたちは知恵を絞り、奇襲やら罠やらで何とか魔物たちに対抗していった。

 大きな落とし穴に魔物を落として、上から矢で集中攻撃。

 斬首作戦――幻術で魔物に化けて近づき、その大将をだまし討ち。

 また、あるときは催眠魔術で敵を眠らせ、文字通り寝首を刈り取り。

 人間相手にやれば卑怯と罵られても仕方ない所業の数々。しかし、おとぎ話みたいに正々堂々真正面から――なんて土台無理な話だった。

  ほんとうに、後世の人間はルキアを美化しすぎだと思う。


 魔王討伐の行軍中、ルキアが渇望していたのは『自由』だった。

 名誉も称賛もいらない。全てを放棄して逃げ出してしまいたかったルキアだったが、色々な事情でそれも叶わなかった。


 ルキアに残されたのは二つに一つ。任務達成か、死か。

 魔王討伐という使命を果たせばこの苦行から解放される――それだけを心の支えにしてルキアは死に物狂いで奮闘し、そして信じられないことに、とうとう魔王を倒したのだ。

 しかし、悲しきかな。そこでルキアの幸運は尽きてしまったらしい。

 ようやく使命を果たして、余生はのんびり魔術研究でもして過ごそうと考えていた矢先、彼女は流行り病であっという間に死んでしまったのだった。

 こうして二十年にも満たないルキアの人生は幕を閉じたわけである。



 もう、二度とあんな人生はごめんだ――そう、過去を振り返り心から『私』は思う。

 今度こそ自由に生きたい――切実に『私』は願う。

 もはや、自分がルキアであるということに私は違和感を覚えなくなっていた。


 どうやらルキアの記憶を辿るうちに、それが見知らぬ情報ではなく、感情を伴った思い出として感じるようになったみたいだ。

 もちろん、私の頭がおかしくなってしまったという可能性は捨てきれないものの、そうだったとして私にそれを確かめるすべはない。

 私の前世はルキア。一先ひとまず、それを受け入れることにした。


 さて、それを踏まえてだ。

 私が思い出すのは、夢の中の出来事。そう、前世での主君エドワルド王のことだ。

 エドワルド王は、勇者ルキアと共に語り継がれている存在だ。彼は賢王と誉れ高かった。

 勇者ルキアを見出した先見の明。

 魔王に脅かされる諸国を取りまとめ、手厚く勇者を助けたこと。

 魔王討伐後は混乱する世の中を治めた手腕は、歴代王の中でもトップクラスだとうたわれている。


 どうやら夢の中の少年もエドワルド王としての記憶を取り戻している様子だった。

 だって、彼は言った。絶対に私を見つけると。

 

 ……。

 ……それは、つまりアレだろうか。

 私は半眼になる。

 今世でも私を自分につかえさせ、こき使おうという……その宣言だろうか。前世であれだけ働いたのにまだ足りないと言うのか。


 ぞわぁと、鳥肌が立つのを感じた。

 エドワルド王は確かにずば抜けて優秀な王だった。だが、彼に勇者として任命された身としては、文字通り「死ぬまで働かせられた」という感想しかない。


 魔王討伐の行軍中、何度も私は彼に手紙を送った。

 自分には荷が重すぎる、役目を辞任したい……そういう旨を手紙にしたためた時、私はまだエドワルド王との友情を信じていたのだろう。

 出会った当初、彼はちょっと冷たかったが、会うたびにその態度を軟化させていった。いつの間にか、魔術について楽しく語り合うようになった。

 だから、私は錯覚していたのだ。彼と私の間に、主君と臣下以上の……友情めいた絆があると……。


 私が何通も送った手紙、それは一通として返事がなかった。

 ため息と共に、思わず涙がこぼれてしまったことを今も覚えている。

 エドワルド王にとって、所詮しょせん私は駒の一つにすぎなかったのだろう。それを再確認したのだった。

 もっとも、彼には彼の立場があっただろうから、恨んではいない。恨んではいないが……、できる限り近寄りたくもない人物であることに間違いない。

 ならば、あの少年に見つからないことが今後の最重要課題と言える。


 そう!今世こそ、私は自由を謳歌おうかするのだ!


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