06 父

 夕食時。現代の食卓には凡そ無い長いテーブルに、盛り付けまで凝りに凝られた料理が並べられる。それを当然のものと受け入れて食事をとる三人の姿を、ルチナ様の後ろから眺めていた。

 今朝整えたルチナ様の髪が乱れている。それどころか、クルス様、レオン様の髪もだ。

 あの後は結局、クルス様から逃げるように庭園へと飛び出したルチナ様……を追うわたしと、わたし達を追うクルス様の鬼ごっこが始まってしまったのだった。その様子をガボスの中から眺めていた(のであろう)レオン様をルチナ様が引っ張り出し、二人が並んで駆け出す。微笑ましいとも、羨ましいとも思いながらルチナ様を追いかけていたわたしに、クルス様は耳打ちをしてきた。


「俺と君がここで居なくなったら、あいつら、慌てて探し始めるぞ」


 あのときのクルス様は、普段の優しさとはなにかが違う、そう、少し意地悪な雰囲気というか、違和感があったように思えた。

 自分はルチナ様のしもべなのだから、と断りを入れる前に茂みの中に連れ込まれ――結果、隠れた二人と探した二人、四人ともが髪を乱すことになったのだった。

 ――回想終わり。


「まったく! レイラとお兄様がはしゃぐから!」


 と、頬を膨らませたのはルチナ様だった。レオン様のため、かわいく結い上げた髪が台無しになってしまったのを怒っているのだろう。


「違う。始めたのはルチナだ」


 諫めるのは兄君の方。それにまたルチナ様が反論して……の繰り返しだ。レオン様はというと、黙々と食べ進めている。とてもマイペースな人だ。立ち位置の関係上、ルチナ様のお顔は見えないけど、ルチナ様と向かい合う形で座っているレオン様の顔はよく見える位置なので、気を付けなければならない。下手に見すぎると、また見つめ合うことになりかねない。多分、この人はそういう癖の持ち主なのだろうから。


「お兄様! こうなったら明日はわたしと勝負を――」


 その時、バタンと大きな音を立てて食堂の扉が開かれた。

 金色の髪に、緑色の瞳のその男性は、一瞬にして場の空気を掌握した。入ってきた足音は二つ。そのどちらもが、かつ、かつと規則的な音を食堂に響かせていた。

 それまで賑やかに喧嘩をしていた兄妹の父――ギュンター=ディートリヒ様は、冷ややかな視線をルチナ様に向けていた。


「お……お父様」

「ルチナ。その髪はどうしたのかな」


 口元は笑み、口調こそ穏やかではあるものの、声にはまったく温かみというものがない。

 僕は、この声色を知っている。父が、兄が、僕に言葉をくれるとき、決まってこんな声をしていた。だからかな。ディートリヒ公の声を聞くと、心の中で何度も何度も謝ってしまう。何もできなくてごめんなさい。上手くできなくてごめんなさい。迷惑をかけてごめんなさい。視界に入ってごめんなさい。そうやって謝り倒して、どうにかほんの一瞬でも居場所を作らなければいけないような気がしてしまう。

 

「昼間に……お兄様と……遊んでいて……」

「午後は勉強をしたと聞いていたが……。違うのかな、クルス」

「もちろん、勉強はしていましたよ」


 ルチナ様から、笑顔が失われる。視線が逃げ場を求めるように行き来している。守らなきゃ。わたしがやらなくちゃ。


「あ、あの……これは……」

「君は弁えようか。これは天に関係のない、我が家の事だからね」


 言葉を続けることはできなかった。

 ディートリヒ公の背後に控えていた黒髪の男性――今の“わたし”の父親が、黙って首を横に振る。「ごめんなさい」と、頭の中で呟かれた言葉は、いったい誰に向けられたものだったのか、自分でもよく分からなくなってしまった。


「可愛いルチナ。君にはね、我が家の繁栄という大事な大事な役目があるんだよ。天から遣わされたという彼女をそばに置いているのもそう、すべては君が上手に“役目”を真っ当できるようにだ。分かるね」

「はい……」

「それじゃあ言ってみようか。ルチナ? 君がやるべきことはなに?」

「……お、王太子様と、結ばれて、王の血筋を産むこと、です」

「よくわかってるじゃないか」


 ディートリヒ公が優美な手つきでルチナ様の頭を撫でる。ちぐはぐな威圧と優しさに誰もが違和感を覚えているはずなのに、誰も何も言うことができない。


「食事の邪魔をしてしまい申し訳ないね。レオン君……君も心行くまで寛いでいくといい」

「ありがとうございます」


 その後、ディートリヒ公が出て行った後も、ルチナ様に笑顔が戻ることは無かった。

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