第45話「永遠に貴方と婚約するつもりはありません」

 毎日毎日、自分の部屋で朝夜祈りを捧げて一週間が経った。

 エリオットは帰ってこない。


 それどころか、他の団員が帰ってきた様子さえ見えない。

 本当に大丈夫だろうか。エリオットは本当に生きているのだろうかと、独りでいると不安になってくる。


 このままじゃ明日の仕事にも支障が出てしまうだろう。

 気持ちを切り替えてカフェにでも行こうかと支度をしようとした、そのとき。


 ――コンコン。


 扉をノックする音が聞こえた。


「エリオットだ!」


 帰ってきたんだわ!

 部屋着で迎えるのも申し訳ないと思いつつ、リビングを勢いよく走ってドアを開けた。


 エリオット、待ってたわ。

 そう伝えようとした、けれど……。


「え……」


 そこには、会いたくもない金髪の青年――アルヴィーン殿下が、笑みを湛えて立っていた。


「殿下……」


 後ろには何人もの護衛を抱え、お忍びで来たのか王族専用の馬車ではなく、普通の馬車が停まっている。

 扉を開けたことを後悔した。


 いつもの私だったら警戒して開けなかったはずだ。

 だって、エリオットはこの家の鍵を持っているから、わざわざノックしたりなんてしない。


 ――傍にいるようにするけど、アイリスが一人のとき、絶対に男の人に近寄ったらいけないよ。家にいるときに誰かが来たからってドアを開けたりするのもダメ。


 ああ、エリオットが以前そう言っていたのに。

 エリオットが帰ってきたのだと、不安に押しつぶされそうだった私は錯覚してしまったのだ。


 扉を閉めようとする前に、殿下は何の躊躇いもなく家の中へと入ってきた。


「久しぶりだな、アイリス」

「……殿下、何の用でしょう」

「悪いが、従者にお前がどこに住んでいるのか探ってもらった。……お前、本当にアイリスだよな?」

「え……?」

「見るからに普通の女性じゃないか。俺にもう一度惚れてもらうために、運動していたのか?」


 なわけないでしょう、と口から出かかってしまった。

 どうやったらその思考に辿り着くのか不思議で仕方ない。


 それに、私への用も察しがついていた。


「それで、何の用ですか?」

「ああ、お前は単刀直入に言わないと気が済まないタイプだったよな。……俺ともう一度婚約してほしい」


 やっぱり。


 そこから殿下は、ミリアが自分の婚約者として振舞ってくれない、品がない、金使いが荒い、仕事ができないなどと、ミリアの愚痴をたらたらと連ねている。


 私は殿下に聞こえないくらいの小さなため息を吐いて、これでは愚痴だけで小一時間はかかりそうだなと思い、口を挟んだ。


「それでは、ミリアと婚約を解消し、私と再度婚約するのですか?」

「いや、ミリアとは婚約したままだ。番だからな。お前は第二夫人として、俺の仕事をしてくれるだけでいい。あとは茶会や夜会に出て、俺の婚約者相応の振舞いをしてくれればいい」


 ……何それ。

 怒りで血が出そうなほど拳を握りしめる。


 それって、私が殿下の面倒事を引き受けるだけの道具扱いってことよね……?


「ミリアが番だったのは本当に残念だ。お前が番だったら愛していたのにな」


 畳みかけるようなその言葉は、ミリアが聞いていたら泣き叫んだことだろう。

 殿下は……『番だから』人を愛せると思っているんだ。


 ――俺は、アイリスが番だから優しくしてるんじゃない。アイリスが、俺のことを支えてくれているから、俺のことを大事にしてくれているから優しくしてるんだ。


 エリオットの優しさとは大違いな偽りの優しさを、殿下はミリアに向けてるんだわ。


「……無責任にも程があります。貴方はミリア様を『運命の番として』愛しているのでしょう。なら私が殿下の婚約者になる理由はありません。どうぞ、お帰りください」

「……なんだと。俺の命令が聞けないのか。俺はローズウェリー王国の王太子だぞ」

「ええ、王太子であろうともこんな最低な命令は聞けませんわ。ミリア様に王太子の婚約者としての立ち居振る舞いや勉学を教えるくらい、貴方なら家庭教師を派遣するなりどうとでもできるでしょう。それでもミリア様が学ぶ姿勢を取らないのならそれまでです。殿下はミリア様と婚約した責任を果たして下さい。私からは以上です。どうぞ、お帰りになって」

「ごちゃごちゃうるさいことを俺に言うな!」

「きゃっ!?」


 ――バシンッ!

 殿下が怒鳴り散らかし、私が避ける前に頬を叩いてきた。


 衝撃で、頭が揺れる。

 叩かれたところの痛みから、頬を押さえた。


 足がよろけて、殿下に抱えていた感情が怒りから恐怖に変わる。

 こいつ、王太子である自分の言うこと聞かないからって、暴力まで振るうわけ!?


「……最っ低」


 殿下に聞こえないように小さな声で呟く。

 じんじんと痛む頬を押さえ、私は殿下と距離を取る。


 殿下は眉間に皺を寄せ、鬼のような形相で私を見つめていた。


「もう一度言う。俺の婚約者になれ」


 私はごくりと唾を飲みこむ。

 何度言ったって、同じだ。


「私は貴方と婚約を結ぶつもりはありません。この先も永遠に、殿下と婚約する予定はございませんわ」

「……っ!」


 殿下がもう一度叩こうと襲いかかってくる。

 何度叩かれたって私の意思は変わらない。


 殿下とは絶対に婚約しないし、殿下の仕事なんて一切手伝う気はないし、もう貴族の茶会や夜会に参加する気など全くない。


 殿下が拳を振り上げる。

 どんなに痛くたって我慢しようと目を瞑った。


「……?」


 だけど、いつまで経っても痛みはやってこない。

 恐る恐る目を開けると、そこには……一か月と数日ぶりに見た、彼がいた。


 艶やかな銀髪に、陽に反射して煌めく海のような瞳。

 背が高くて肌が白く、俳優にように整った顔立ち。


 ……エリオットが、殿下の振り上げた腕を力強く掴んでいた。


「お、お前は……獣人騎士団のッ!」

「ローズウェリー王国の王太子ともあろう方が、女性に暴力を振るおうとなさるとは。この国も堕ちたものですね」


 エリオットは殿下の腕を後ろに回し、ダンッと床に押しつける。

 殿下は痛みに顔を歪め、それでも尚エリオットを睨んでいた。


「いきなり何をする! 俺は王太子だぞ!」

「貴方こそ、人の家に勝手に入って何をしに来られたんですか? ……アイリス、頬が赤くなってる。叩かれたんだね?」

「……一回だけ叩かれたわ」

「では、殿下を暴行罪と住居侵入罪で軍に引き渡します。よろしいですね?」

「……! なんなんだ、お前は! いきなり俺たちの間に入ってきて! 俺はもう一度アイリスに婚約者になってほしいと頼んでるだけだぞ!」

「……婚約者、ね。どうしていきなり殿下とアイリスの間に入ってきたんだと思います?」


 エリオットは殿下ににこりと微笑む。

 だけど、瞳は全く笑っていなくて、激しい怒りを灯していた。


 殿下はしばらく黙ったあと、ハッと目を見開く。


「お前、まさか、アイリスの……」

「ええ、アイリスの『運命の番』です。ですからアイリスが殿下の婚約者になることはありません。諦めてください」

「……」


 腕を拘束されて床に突っ伏したままの殿下は、私とエリオットを交互に見つめて「そういうことだったのか……」と憤りの言葉を漏らす。


 これで諦めてくれるかと思いきや、殿下がハッと嘲笑い始めた。


「なるほどな。『番だから』お前たちは仲睦まじくやっているわけだ。俺もミリアとは仲良くしているぞ? 番だからな。――がっ!?」


 殿下の発言に我慢ならなかったのか、エリオットが殿下の顔面を床に叩きつけた。


 痛みと床に押しつけられたことで殿下は口が回らず、これ以上何も発さない。

 拘束されてないほうの手と足を無様にバタバタさせているだけだ。


「番でなくても、俺はアイリスを愛しています。貴方はアイリスを愛す資格もない!」


 エリオットが玄関のほうを一瞥して何かの合図をする。

 振り替えって玄関を見ると、そこには何十人もの獣人騎士団がいて、殿下の護衛全員を拘束していた。


 さらに殿下の何倍もガタイの良い数人の団員が、殿下を起き上がらせ手錠をかけていた。


 殿下は床に叩きつけられた時間が長かったのかいつの間にか気絶していて、団員たちに担ぎ上げられ、馬車へと連行されていった。

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