第16話「同棲なんて私……できるの!?」

◇◇◇


 二人でスイーツブッフェを堪能したあと、エリオットが辻馬車を拾ってくれた。


 辻馬車だから、中は狭い。

 二人で密着する形に座らなくてはならなくて、ドキドキと鼓動が速くなってしまう。


 エリオットの匂いがすぐそこにある。

 『運命の番』だからか、この匂いに包まれてしまいたいと思ってしまう。


 服越しに二の腕があたって、男の人に自分から触れたことがない私は顔から首まで熱くなるのがわかった。


「ベスティエ街は行ったことある?」


 急に話しかけられて、至近距離のエリオットと視線がぶつかる。


 な、なんて顔が良いの……! あまりに整った顔立ちが眩しすぎて視線を逸らしそうになってしまった。


 緊張しつつも私は首を振る。


 『王シン』は王都での恋愛話だったから、他の街など聞いたこともない。


「いえ、ありません」

「ないなら、きっと驚くと思う。獣人だらけだから」

「そうなんですか!?」


 瞬間目を輝かせた私に、エリオットはくすりと笑った。


「アイリスって、獣人が好きなの?」

「あ……その、決して見世物のようには思ってないんです。ただ、獣耳とか尻尾がフワフワなのを見ると、どうしてもモフモフしてしまいたくなるっていうか……」

「俺の耳でも触る? 尻尾でも構わないよ」

「へ!? いいんですか!?」


 ぐいっと顔を近づけて興奮まがいに叫ぶと、エリオットは少し目尻を朱くして私から顔を逸らした。


「あ、ああ。触っていいよ。ほら」


 エリオットが少し前屈みになる。

 エリオットも緊張しているのか、獣耳がぴくりと少しだけ動いている。


 馬車の窓が開いているから、フサフサの毛が風にそよいでゆらゆら揺れていた。

 私はごくりと唾を嚥下する。


「じゃあ……失礼します」


 両手で片耳にゆっくり……触れる。


 ……モフ。

 モフモフ。

 モフモフモフ。


「は……はわぁ~~~~」


 な、なんという心地良い毛並み!!

 思ったよりもサラサラしていて、でも若干ごわっとするところもある。


 銀色の毛が私の指に絡みついて、すっごくフワフワ。


 ずっと、触っていたい……。

 もう一日中触っていたいわ、これは……。


 気づいたら私はエリオットの頭を自分のほうに抱き寄せ、獣耳をこれでもかというほどに撫でていた。


「ア、アイリス……?」

「モフモフ! モフモフ!」

「アイリス、もういいかな……?」

「モフモフ! モフモフ!」

「その、この体勢ちょっと恥ずかしいから……」

「モッフモフ! はぁ、最高~~~!」

「お願い、話を聞いてくれ……」


 モフモフして何分経ったのだろうか。

 いつの間にか辻馬車は停まっていて、エリオットが住んでいる街、ベスティエ街に到着したのだった。


「す、すごい……! モフモフがいっぱいっ!!」


 ベスティエ街は右を見ても左を見ても獣人だらけで、私にとっては楽園でしかない。


 どうしてベスティエ街に獣人が多いかというと、大昔、人間と獣人の紛争が起きたときに獣人の拠点がこの街だったからだそうだ。


 それから約百年以上かけて、獣人が住みやすい街として開拓されていったらしい。


 尻尾や耳の毛並みを整えるブラシや香油が売られ、獣人は人間よりもたくさん食べることからレストランも食事の量が多いという。


 よく食べる私としても嬉しいことだ。


「かわいい! みんなモフモフでかわいい!」


 私がきょろきょろ辺りを見渡していると、エリオットが「アイリス」と名前を呼んだ。


「他の獣人の尻尾とか触ってもいいけど、女性だけにしてくれよ? 男の獣人の尻尾や耳なんか、絶対触っちゃダメだからね」

「? わかりました」


 モフモフの誘惑に耐えろというのも私にとっては難しいけれど……エリオットが何故か真剣そうに言っていたから他の男性の獣耳などは触らないようにしよう。


 エリオットは真摯な顔から砕けた表情になって、「あと、口調」と優しく言った。


「口調?」

「敬語なんて使わなくていい。俺ともっと気軽に話して」

「でも……」

「モフモフを眺めてるときみたいな、素の君と話がしたい」


 エリオットが柔く笑む。


 ――素の君と話がしたい。


 そんなこと、殿下には一言も言われたことがなかった。


 学園でも殿下の婚約者として、そして公爵令嬢という立場として表情を緩めることは一切しなかったし、家でも勉学に追い込まれる。


 素の自分を出すことなんて、ルルアと一緒のときくらいだった。

 それでも、多少の遠慮はしていたと思う。


 その言葉が嬉しくて、心の奥がじんわりと温まる。


「……ありがとう。お言葉に甘えて、普通の口調にするね。よろしくね、エリオット」

「……」


 私が微笑みを向けると、何故かエリオットは手の甲を口にあてて俯いた。


「いきなり普通の口調になると……ちょっとクるな」

「クる?」

「いや、なんでもない。……着いたな。ここだよ、俺の家」


 獣人だらけのベスティエ街を歩いて辿り着いたエリオットの家は、煉瓦と白い窓が特徴の一軒家だった。

 確かに、部屋が余っていそうな大きさの家だ。


 エリオットが鍵を開けて中に招いてくれる。

 目の前に広がるリビングは物が少なく、きちんと整頓されていた。


 ところどころに観葉植物が飾ってあり、かつての私がいた屋敷よりもシンプルで落ち着きのある内装だ。


「お風呂溜めておくから、適当に腰かけて寛いでいて」

「うん。ありがとう」


 木製の椅子にゆっくり座ると、エリオットが「こんなものしかないけど」と言って温かい紅茶を出してくれた。


「紅茶なんて……頂いてしまっていいの?」

「ああ。外は寒かっただろう? 冷えた身体を温めてくれ」

「……ありがとう」


 礼を言ってから真っ白のティーカップに注がれた紅茶を一口飲む。

 私が家にいた頃の紅茶の味とは少し違うけれど、十分美味しくて、安心する味だった。


 エリオットがお風呂に湯を溜めに行ったから、私は一人でリビングを見渡す。

 シンプルなインテリアに、整然された本やアクセサリー。

 全て、エリオットが購入したものなのかな。


「え……待って。私、これからお、男の人と、一緒に住むの……!?」


 幸い泊まっていた宿は今日で終わりだったから朝に会計も済ませてあるし、泊まる予定の宿もない。

 じゃあこれから、エリオットと一緒に……一つ屋根の下で暮らすってこと!?


「いや、同意したのは私だけど! 私だけども!」


 心を落ち着かせるために紅茶をぐいぐい飲む。

 公爵令嬢のときの私じゃありえない所作だ。

 同棲なんて前世でもしたことがないし今世だってしていない。


 私、ちゃんと同棲できる……?


 両手で頬を押さえて悶えているうちに、湯を溜め終えたエリオットが来てしまった。


「先に入っていて。入浴剤も好きに使っていいから」

「あ……ありがとう」


 同棲について悶々と考えていた手前、目を合わせるのが恥ずかしかった。

 私はエリオットの言葉に従いお風呂場へと急ぐ。


 バスルームの扉を開ける前に、入浴剤の他にもスキンケア、シャンプーなど全部好きに使っていいと言ってくれた。


 お言葉に甘えてジャスミンの入浴剤を湯に入れる。

 お風呂場を見渡した瞬間、またもや顔に熱が上った。


 浴室用ラックに置かれているシャンプーも、コンディショナーも、ボディソープも……異性のもの!?

 しかも『運命の番』が使用している!?

 あのサラサラの銀髪の狼イケメン獣人が使っているもの!?


「し、失礼、します……」


 私は湯に入っているのも恥ずかしくなってすぐに上がり、シャンプーやボディソープをほんのちょっとだけ使って洗ったのだった。

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