その日のために……

秋色

〈前編〉

 子どもの頃、家族で大いにハマっていた連続ドラマがある。舞台は大正時代の日本で、お転婆なお嬢様の家庭を舞台に当時の社会を描いたようなドラマだった。序盤では、お嬢様はまだ女学生で、かすりの着物に袴姿でお下げ髪のリボンをヒラヒラと揺らしていた。趣のある街路を編上げブーツで颯爽と歩いているシーンが印象的だった。

 家族愛あり、友情あり、そして足を引っ張る憎まれ役もいたりの波乱万丈なドラマだ。時には家族や知人のちょっぴり悲しいエピソードの回もあったり。


 オレもついつい家族につられ、真剣に見始めた。終盤になると、ドラマの序盤から出ていたクールな感じの男の出演が増えてきた。もしかして女学校を卒業し家業を手伝っているお嬢様と恋仲になるのではと予感しつつ、それでもクールな男の態度は淡々としていて、「やっぱそれはないな」と可能性を否定した。お嬢様は家業の染物業一筋に生きていく決心をしていたし、そういう終わり方をするのもドラマとして悪くないように思えた。または……。


 このドラマの登場人物に、少年の頃からヒロインの親の染物工場で、染師として働いている純朴な田舎育ちの青年がいた。田舎育ちの青年はずっとそのヒロインの事を好きだったものの、身分差から告白する事は諦めていた。でも子どものオレは内心ヒロインと結ばれる可能性を期待しつつ、ドラマを見ていた。


 小六の夏休みに卓球教室の夏合宿があり、一回ドラマを見逃した。その前の回は、お嬢様はクールな男とケンカし、仕事の上でも離れるような展開だった。


一回見逃して次の回を見ると……


「あれ?」


 お嬢様はクールな男と仲直りし、親密にしていた。いや、それどころか結婚の約束まで。

 え!? どうなっているんだ。このドラマは。会話の中で、昨日、春の海岸を一緒に歩いて……なんて話題が出てきた。どうやらあんなに冷めたかった二人の間に変化が起きたのには、海を見ながら歩いた事が関係しているらしい。が、そんなに一気に好き同士になるものだろうか? 子どもの頃のオレにはドラマを作った人の考えや大人の世界というものが分からなかった。


 お嬢様に片想いしていた純朴青年の方はと言うと、最終回の三話位前に、不治の病が発見され、余命いくばくと言う。最終回では彼の死が暗にほのめかされていた。レトロな教会に喪服を身に付けたお嬢様一家が現れるというシーンがそれだ。長年、工場に身を捧げてくれた彼のためにも染物業を諦めないと誓うお嬢様一家。孤独に死んでいった青年の事を思うとこの宣言は取ってつけたようで、複雑な心境だった。

 

 最終回は二人の幸せそうな新婚生活と順調な染物工場の様子が映り、明るい未来を予感させるラストだった。ラストのテロップの途中に田舎育ちの青年役の役者さんの名前がひっそりと出た時、カッコ書きで「回想」と書かれてあった。そして最後に「完」の文字。


「良かったね」

それがオレ以外の家族の感想。そんなに簡単な感想で締め括れないオレ。


「え? でも?」


「苦いのも人生の一部」

有無を言わさず母親は言う。


「そうかな。納得いかないけど」


「あんたは途中を真剣に見てなかったもんね」


 いや、見逃したのはたった一回だけ。たった一回を見逃したが為に、オレにはドラマの終盤の怒涛どとうの展開とオレ以外の家族全員がスッキリしたという最終回の感動が分からなかったんだ。特にお嬢様とクール男の恋の顛末てんまつが。


 でも大人の恋愛ってそんなものなのかもしれない、と思った。ある特別な日に突然仲が深まる。それには海辺を歩いたり、なんて事が必要なんだろう。自分にもいつかそんな日が来るのだろうか、と不思議な気持ちになった。

 ドラマはその後何度か再放送されていたけど、何故かいつもその一話だけ、なんだかんだで見逃してしまう。ついにはその一話の内容を空想しては、自己満足に浸ってみたり。それでも心のどこかに、忘れ物を取りに行っていない感じが常にあった。あるいは雑誌のクイズでどうしても解けなかった一問があるような。




*****


 気が付けばいつも視界に入っているような女の子がいた。

 幼なじみで沙綾さあやという名前の女の子。幼稚園の頃はよく一緒に遊んでいたから、家族同士も知り合いだ。彼女の親は離婚していて、シングルマザーの母親だけだったけど。小中学校の頃は、高い確率で同じクラスだった。中学を卒業し、成績に沿って進学した高校も同じだった。

 昔みたあのドラマのヒロイン役の女優さんに似ている。あのドラマのお嬢様のようにお転婆ではないけど。小さい頃一緒に遊んでいた頃から大人しい性格の子だった沙綾は、成長していくうちにだんだん内気で陰キャの女の子に変わってしまった。

 男子と女子で遊ぶグループも違うような環境だ。気になっていてもあまり話しかけたりもしなかった。



 でもそのうち……なんて思いが常にあった。いつか話しかけよう、と。そして何となく、いつかそのうちオレと沙綾は付き合うようになるんじゃないかって。そしていつか……。


 そんな空想をするようになったのはいつの頃からだろう。自分の後をトコトコついてきてた子ども時代の沙綾の事が忘れられなかったせいかな。いや、子ども時代だけじゃなくてずっと好きだった?


 あのドラマのように、ある日突然仲が深まる日が来るんだろうと思うようになったのはいつからだろう。そう言えばあのドラマの男のように、自分はぶっきらぼうなタイプだと気付き始めた頃からかもしれない。そうだ。オレはあの男みたいにクールなタイプなんだって。

 高一の時クラスは別だったけど、選択科目毎にクラス分けされた高二では、同じクラスになった。ただしラブコメでよくある幼なじみ設定とは違って、真面目な沙綾には気安く話しかけたりもできず。かと言って、知らない仲じゃないからかえってぎこちない。


「町田君、先生が呼んでたよ」

そんな小声のちょっとした会話もうれしくて、でも名字に君付けなんて他人行儀に感じられて少し傷ついたりもして。

 そんな時、ふと思い出す。昔みたドラマでも、お嬢様は初め、相手の男と距離を置いていたじゃないかって。

 

 

 地学を選択しているクラスでは、高二の夏に授業の延長として天体観測教室という行事が行われる。地学の教師と一緒に地元の天文台へ行き、一泊二日で星の観測を行うというもの。

 ところがその八月の上旬の二日間は、ちょうど卓球部の合宿とカブっていた。で、気になりつつも自由参加の天体観測教室の方は断った。地学を選択した生徒で不参加は、卓球部のオレだけだった。


 一学期の終業式間近、天体観測教室のパンフレットを教室でクラスメートの大川と見ていた。オレ達は高校に入ってからまるでコンビみたいな二人だった。いや、大川はノンビリしていてオレなんかよりずっといいヤツ。

 大川は三世代同居の大家族で暮らしていて、会話の中によく、「じいちゃんが」とか「ばあちゃんが」とか「オカンが」といった具合に家族の誰かが登場する。真っ直ぐで、根拠のない噂話には決して耳を貸さない。そして誰かが学校を病欠した時は大して親しくないやつでも「あいつ、大丈夫かな?」と気にしたりするお人好し。

 授業がかったるく感じる朝、教室に入り、コンビの相手が見えると何となくホッとする。そして何気ない会話が始まる。誰もが経験する学生時代。眩しい朝の陽射しを窓の外に感じながら。


 パンフレットには、現代的で洒落た造りの天文台の観測室の写真があった。夕暮れ時のライトアップされた天文台の建物の外観も。パンフレットを囲む女子達から、期待に胸はずませる声が聞こえてくる。


「町田、お前ホントに行かんの?」と大川。


「オレもさ、卓球部がなければ行くんだけどな。合宿絶対断れね~し。一日、合宿抜け出したいとこやけど、顧問怖えーし。たった一日、いや一晩なんだけどな」とオレ。


「一日だけ、許可もらったらいいやん」


「無理」


 そんな会話があった。

たった一日。またもやオレは一つの回を逃した。


*****



 合宿の三日目の晩、大川から写メが送られてきた。その日が天体観測教室という日。天文台の窓から撮られた夕焼けの画像だった。オレは天文台から見える風景はこんな感じかぁと思った。


「一番星と月。ホントは星空を送りたかったけど、携帯じゃ夜空は上手く撮れんかった」

 そんな大川の説明付き。大川の書いてる月は、写メの画像ではちっぽけな点位にしか見えなかった。


 そして夏休みの終わりが近付いたある日の事。大川から会話式アプリにメッセージが入った。


――オレ、沙綾ちゃんと付き合うようになった。町田の幼なじみの。天体観測教室で沙綾ちゃんが一人でポツンとしてたんで話しかけたら、結構色々話はずんだのがきっかけ。意外とよく笑う子なんだ――


 ショッピングモールの広場で手を繋いでいる二人を目撃したのは、その数日後だった。

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