第3話 ゼロデイ・オブ・ダンジョン


 翌朝。


「歩……お前、昨日は何してたんだ?」


 何にもなかった雰囲気で朝食に混ざったけど、やっぱり問い詰められてしまった。

 嘘で言い逃れるのが楽だけど……言いたくない。俺、嘘は嫌いなんだ。


「いやあ、実はちょっと東京まで遊びに行ったりしてて……」


 本当だ。色々とやるべきことがあった。


「もしかして、体育祭が嫌すぎて逃げようとしたのか?」


 図星を突かれた、みたいなリアクションをしておいた。

 実際、体育祭は嫌だ。


「なら安心だな。体育祭は中止になったそうだぞ」


 よし。俺がダンジョンを潰したことで、惨事が起きる未来は防げた。

 ここ以外にもいくつかダンジョンは出現するけど、どこも自衛隊が対応するはずだ。

 ……とはいえ、かなりの死人が出るかもしれない。

 俺に出来ることはやっておいたけど、どれぐらいの被害になるかな……。


「中止?」

「校庭の中心に大穴が開いたらしい。しかも、地下に変な洞窟まで見つかったそうだ。……お前、スコップ買って何してたんだ?」

「延々と穴を掘ってた。そういう趣味があるらしくて」

「それが本当だったら逆に心配だぞ父さん」

「いやいや! だってドイツ人が旅行で海辺に行ったらみんな穴とか掘るし! 夏になると北海の砂浜がボコボコになるぐらいメジャーな娯楽だし!」

「どういう嘘なんだ……?」

「ほんとだって!」


 なんかドイツ人が砂浜に穴掘ってるの何回も見たし! この目で!


「まあまあお父さん、重機でもなければ掘れない穴らしいじゃない? きっと歩は無実よ。人間、穴が掘りたくなることぐらいあるわ」

「あるか?」

「あるわ。私だってときどき穴が掘りたくなる気分になるもの。ねえ?」

「やめてくれ!」


 父さんが微妙に顔を赤くしながら味噌汁を飲んだ。

 ……え、っと……。


「なんで朝飯食いながら両親の性生活の事情について聞かされなきゃいけないんだ!?」

「あら、ただの穴掘りの話なのに。さすが、学校を抜け出して夜遊びしてくる悪い子は違うわねえ? 今時みんなスマホで色々見てるっていうけど、進んでるわ……」

「母さんがやりたがってるだけで実際にやったことはない! そこの醤油取って!!!」


 父さんが必死に醤油を要求して会話を切った。

 ……こんな形で十五年越しに家庭内ヒエラルキー真実を知ってしまうなんて。

 もしもし俺の脳味噌くん、ちょっと一部だけ壊死して記憶喪失してくれない?


「ところでお父さん、仕事の調子はどうなの?」

「あ、ああ、順調だぞ。タービンブレードに使う新素材の実証試験が終わって、もうすぐジェットエンジンの試作が始まるんだ」


 二人で協力して会話を逸した。

 俺の父さんは〈湘南重工〉のエンジニアだ。

 戦闘機のエンジンに関わってるらしい。確か材料が専門だったと思う。


「最近は物騒だからな。みんなを守るために、必死でやってるよ。……会社は軍需なんか不採算だからって取り潰そうとしてくるから大変でさあ……」

「へえ」


 もうすぐダンジョン出現で事情が変わって、兵器の需要は跳ね上がる。

 ……でも、戦闘機の需要はないか。父さんの部門、潰されちゃうな。かわいそうに。


「ごちそうさま。歩、体育祭も無くなったし暇だろ? 皆で映画でも見に行くか?」

「んー……穴掘りすぎて筋肉痛なんだけど……」

「何してるんだほんとに。じゃあ、ゆっくりするか」

「いや、行く」


 ……家族で一緒に出かけるなんて、次にできるのは何時になるか分からないし。

 あと数時間もすればダンジョンが出現するんだ。



-2023年10月7日 11時13分 内閣総理大臣官邸 閣議室-



 勢揃いした閣僚たちが、街中に現れた怪物のことをモニタ越しに見つめていた。


「いったい……何が起きているのかね?」


 勢ぞろいした内閣の誰一人として、首相の言葉に答える術を持たなかった。

 自衛隊から送られてくるリアルタイム映像を眺め、呆然とするほかない。


「……理解できない事が起きている事は確かですな。少なくとも、我々は昨日までの世界の常識が通じない相手と相対している。その覚悟を固めなくてはなりません」


 防衛大臣・鷲田わしだ倫司ともじが言った。


「各地に出現した”不明洞窟”への展開は完了しております。避難も順調に進行中。人類史上に前例のない大事件であることを考えれば、順調も順調と言うべきでしょう」

「あ、ああ……しかし、ずいぶんと対応が早い。やはり、有事を睨んだ自衛隊の改造は正解だったということではないかね、うんうん……」

「ええ、その通りです」


 鷲田は平静を装って追従したが、内心は恐怖で心臓が飛び出しそうだった。

 洞窟やら化け物やら、マンガじみた出来事に対して実際に立ち向かい、その責任を取らなければならない、という立場の重圧は無論だが、直近の懸念は別にあった。


(私の不祥事……どこから漏れた……!)


 怪文書が送られてきたのだ。

 数人しか知らぬはずの不祥事を記した脅迫状が。

 これを見つけた秘書が血相を変えて持ち込んできたのも当然であった。


 その上、内容が奇妙を極めた。10月7日の10時、全世界に”ダンジョン”が発生する……中から化け物が飛び出してくる……この化け物はこれこれこういう理屈で動いている……。

 実際の不祥事が記されている以上、荒唐無稽な妄想文と切って捨てることはできなかった。

 ”未来から来た”という差し出し主の自称ですら、事がここに至っては真実かもしれない。ゆえに、鷲田は前もって自衛隊の展開を指示できたのだ。


(まさか本当に未来から……であるならば、まだマシだ……!)


 この怪文書を受け取ったのは、鷲田一人ではない。

 脅迫部分を抜いた同様の文章が、昨日の夕方から夜にかけて電子メール形式であらゆる官公庁やマスコミに送られている。

 送信元は東京駅の公衆Wifiだったという。容易には特定できないそうだ。


(おそらく本当に、この”ダンジョン”とやらの被害を防ぐために動いている! この際、私の不祥事などどうでもいい……見つけ出さなければ……この国を守るために……!)


 冷や汗を流しながら、鷲田は自衛隊の映像を見守った。街中へ出現したライオンじみた四足獣を、自衛官たちが取り囲んでいる。

 怪文書にあった通り、銃弾の効きが悪い。刃物へ切り替えて、彼らは必死に立ち向かう。

 一人がつまずき、頭から食い殺された。


「ああっ……」


 グロテスクな映像に、閣僚たちから悲鳴が漏れる。


(戦死者。だが、メディアからの追求は強くないだろう。これほどの異常事態ならば強い報道管制を敷ける。……半ば戦時体制のような形で、彼らを英雄化するほかないか……)


 鷲田は自衛隊出身だ。戦死者を見ても思考が止まらない程度には肝が座っていた。


 数人の犠牲を出しながら、自衛官たちが必死に応戦し、ライオン風の化け物をダンジョンへ追い返す。再編成の後、彼らは穴の中へと踏み込んだ。

 ……突然、緑のスライムが死角から飛びかかり、運の悪い自衛官の頭に張り付く。

 引き剥がそうと格闘しても効果がないまま一人が窒息死した。


(これは。文章にあった〈ハガースライム〉か)


 スライムが次の犠牲者へ飛び移る。張り付かれた男が拳銃を抜き、必死に顔面へ張り付いたスライムを撃ったが、特に効果はなかった。

 さしたるダメージもなく受け止められた銃弾が、体内にいくつも浮かぶ。


「な、なんなんだねあれは! 生物なのか!? 兵器なのかね!?」

「気分が……申し訳ない、少し離席を……」


 首相や大臣たちのほうが、現場の自衛官よりもはるかに狼狽していた。

 無理もない。まるでパニックホラーだ。


 スライムが更に跳ぶ。ナイフで必死に格闘しても、不定形のスライムにはまともなダメージが入らなかった。

 四人目の犠牲者が出るか、と思われた瞬間、機転を効かせた指揮官がスライムをヘルメットで受け止め、手榴弾を食わせて放り投げた。

 スライムの死骸が四散し、全てがダンジョンへ還っていく。


(この一瞬で自衛官が三人も殉職した……情報が正しければ、これでもDEが全く削れていない無傷の状態か。ダンジョンコアとやらを壊すためには、いったいどれだけの犠牲を出す必要があるのだ?)


 鷲田は身震いした。この場の中でただ一人、彼は怪文書の内容が真実だと知っている。

 これからダンジョンは増える一方。手をこまねいていれば日本は滅亡する。

 脅威を目の当たりにした今となっては、寒気を覚えずにはいられない情報であった。


(戦争。そう、これは戦争だ。軍需企業と連携を取り、兵器の急造態勢を整えなければ。DEとやらの研究も急務だ。基礎材料に強く、手が空いている企業といえば……)


「湘南重工、か」


 彼は呟いた。確か、陰野とかいう名前の優秀な研究者がいたはずだ。


(同時に、自衛隊や警察の剣道会を中心に戦力を抽出して、ダンジョン対処専用の部門を用意し……管轄はどうなる? 法制はどこから? 警察官僚からの反発は? 予算は降りるか? ……厳しいな。仮に成功しても、どうにも戦力が足りない……)


 鷲田は沈思する。

 彼は怪文書にあった提案を考慮した。


(ダンジョンの民間公開と民間探索者制度の設立、か)


 そんなことが可能なはずがない。誰もが反発するだろう。

 だが、ダンジョン攻略に必要な戦力が多すぎる。軍隊だけでは手が回らない。


(根回しだけでも……しておくべきだろう……)


 これほど昨日が恋しいと思ったことはないな、と鷲田は思う。

 一夜にして、全ては変わった。


「首相! 外務省から連絡です、アメリカでもテキサスに不明洞窟出現の報が! 既に現地の市民が銃火器を持って立ち向かい、多大な死者を出したと……ええっ、中国でも! 大変です、全世界が……戦火に飲み込まれています……!」


 きっともう、昨日までの世界は二度と戻ってこないのだ。

 人類は多大な犠牲を払うことになる。絶望の中で足掻く苦しい日々が続くだろう。


「……む!?」


 鷲田のスマホに、予想外の連絡が入った。

 神奈川の長谷高校に出現すると予言されていたダンジョンが、”攻略済み”だったのだという。


「首相! これを!」


 添付された画像をモニタに映し出す。

 閣議室に集まった一同が、一斉に息を呑んだ。


 ダンジョンの通路を、数百……あるいは、数千にも達する〈ハガースライム〉の死骸が埋め尽くしていた。

 自衛隊のエリートですら苦戦する化け物が、まるで屠殺場の家畜のように無造作に積み重なっている。


 誰一人として、まともな言葉を発せなかった。

 ここで何があった? いったい……どんな存在が、こんな地獄を作り出したのか?


 

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