迷いネコを追って
嘉ノ海 祈
第1話
「ニックスー!ニックス!…一体どこに行ってしまったのかしら」
姿を消した相棒を探して、王宮の庭を歩き回る。しかし、国のシンボルとしても有名なこの庭は広すぎて簡単に見つけられるものではなかった。
美しい造形を保つ植木も、生き生きと咲き誇る花々も今は探しものの障害でしかない。
猫の好みそうな植木の隙間に至るまで捜索をしたが、結局相棒は見つからず、遂に体力の限界がきてしまった。
「はぁ、駄目だわ。ここは広すぎるわね。ちょっと休憩…」
確か近くにベンチがあったはずだ。そこで一休みしよう。
そう思い私がベンチのある場所へと向かうと、そこには既に先客がいた。
「…リリアナ?」
「殿下…!」
ふわっと吹いた風が、透き通った金色の髪を靡く。先にベンチに腰掛けていたのは、なんとこの国の第一王子レオナルド・クレゾーニ殿下だった。
流石、この国一の美男子と呼ばれる王子。ベンチ人座っている姿も様になる。何処かの誰かが王子の美しさはこの世の憂いを忘れるほどだと証していたが、全くその通りだと私は思った。相棒を探し回った疲れも、この一瞬で簡単に吹き飛ばされた気がする。
ふと、殿下の膝の上で何かがもぞもぞと動く。その茶色い毛玉には見覚えがあった。
「…って、ニックス!」
探していた相棒は殿下の膝の上で横になりながら大きなあくびをしていた。相変わらずのマイペースっぷりに思わず苦笑いになる。
殿下は私の様子を見て何かを悟ったのか、相棒の長い毛を撫でながらククッと肩を震わせた。
「どうやらこのいたずらっ子はまた逃げ出したようですね。全く、ご主人をあまり困らせてはなりませんよ、ニックス」
殿下の撫で方が心地よいのか、ニックスはゴロゴロと喉を鳴らした。そこに反省の様子はない。
そんな相棒の様子に、はぁとため息をつく私をいたわるように殿下は自分の隣のスペースをポンポンと叩いた。
座れということらしい。歩き回って疲れていた私は、その厚意に甘えてそこに腰を下ろした。
「また爪切りですか?」
殿下の言葉に私は首を横に振る。
「いえ、今回はお風呂です」
その言葉に殿下はククッと喉をならし、肩を震わせた。
「あはは!今度はお風呂でしたか。…まぁ、確かに猫は水が苦手な子も多いですからね。お風呂に入れるのは至難の業かもしれません」
「私も嫌がることをあまりしたくはないのですが、流石に大分汚れてきてしまっているので。毛が長いので絡まるようになってはかわいそうですし、こればかりはちゃんとしないと…」
ニックスはお風呂が大嫌いだ。お風呂という単語を聞いただけで、そそくさと部屋から逃げ出そうとする。今回はなんとかおやつでごまかして風呂場まで連れて行ったのだが、風呂場だと気づいた瞬間窓から逃げ出してしまった。
「懐かしいですね。貴方と初めて会ったのも、こんな暖かな日でした」
殿下の言葉に私は彼に初めて出会った日のこと思い出した。
※※※
「ニックス!ニックスー!…もう、どこに行っちゃったの」
王宮に勤め始めて早3ヶ月。ようやく仕事にも慣れ、穏やかな日常を送れるようになってきたところで事件は発生した。愛猫のニックスが脱走したのだ。
ニックスは私が小さい頃に拾った猫で、拾った当初はそれはそれは天使のように可愛かった。小さな体でプルプル震えて、一生懸命にミルクをねだるその姿にきゅんと胸を打たれたものだ。私は一生懸命に世話をしニックスを育てた。
それから数年して、ニックスは立派な猫に成長した。それはもう猫らしい猫だ。気まぐれでマイペースで少しわがまま。カリカリの餌を出すとそっぽを向いて食べないし、撫でようとして近づくとするりと離れていく。かとおもえば、いきなりスイッチが入ったように甘えてきて、遊んでのアピールを無視すると拗ねる。爪を切ろうとすれば全力で嫌がるし、お風呂にいれようとすればひっかいてきた。そんな世話のかかる彼でも、可愛いと思ってしまうのはやはり親馬鹿というところか。ニックスと過ごす毎日は退屈しなかった。
王宮に勤めることが決まり、王宮で暮らすことが決まった時もニックスを連れてくることに迷いはなかった。ニックスがいない生活なんて考えられなかったのだ。王宮がペット禁止じゃなくて本当に良かったと思う。
「はぁ、広い庭があるからニックスにとってもいい環境だろうと思ったんだけど、爪を切る度にこうも探し回るのはちょっとキツイかも…」
どうしたものかと思いながら庭の奥へと進むと、誰かの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。何となく気になって、私は声がするほうへと足を運ぶ。するとそこには、金色の髪を揺らしながら、猫と戯れる男性の姿があった。
「あはは!いい猫パンチですね。ほら、次はこっち」
雑草をおもちゃ替わりにふりふりと猫に向けて振る男性。猫はそれに乗せられた様に勢いのいいパンチを繰り出している。とても楽しそう―
「って、ニックス!?」
相棒のまさかの登場に私は思わず声を上げた。私の存在に気付いた男性が驚いたようにこちらを振り向く。当のニックスは私のことを対して気に留めることもなく、男性が持ったままの雑草に独りでじゃれついていた。
「…もしかして、この子の飼い主ですか?」
「はい。爪切りをしようとしたら逃げ出してしまって。探していたところなんです」
「それは大変でしたね。見つかって良かったです」
すると男性は未だに雑草にじゃれつこうとしているニックスを掬い上げ、胸に抱いた。そして、ニックスを落とさないように丁寧に持ちながら、私にニックスを差し出してくれる。
「ほら、君のご主人様ですよ」
「あ、ありがとうございます」
ちょっと不満そうなニックスを受取りながらも、私は男性に向かってお礼を述べる。男性は綺麗な微笑みを浮かべながら、いえと謙遜を述べる。
「それでは私はこれで失礼しますね。ニックス、もうご主人様を困らせてはダメですよ?」
…不思議な人だな。穏やかながらも、どこか上品で近づきがたいオーラがある。一体、どこの人なんだろうか。王宮にいるのだから王宮で働いている人なんだろうけど…。
その時、腕の中にいるニックスがもぞもぞと動き出した。私は慌ててニックスを抱きなおし、部屋がある寮へと向かう。また逃げられたらたまったもんじゃない。もうこの広い庭を探すのはこりごりだ。
部屋に戻った私はなんとかニックスをなだめながらも、伸びきった爪を切ったのだった。
※※※
「あの後も、結局ニックスは懲りずに脱走をしていましたよね。まさか王族エリアに入ってくるとは思いもしませんでしたけど」
自分の膝の上で気持ちよさそうに眠る茶色い毛玉。じんわりと膝に伝わってくる熱が生き物の温かみを感じさせる。私はそのふわふわな手並みに指を通す感覚を楽しみながら、懐かしい日々に想いをはせた。
優しい彼女の下で育ったからか、ニックスは少しお転婆だ。ことあるごとに部屋を脱走しては彼女を困らせている。王宮の広い庭を駆け回っている彼女を見つける度に、ああまた脱走したのかと苦笑いしたのものだ。
「その説はすみませんでした…」
「いえ、そのおかげでまた貴方に会うことができたわけですし、彼にはお礼を言いたいくらいですよ」
私がそう言って微笑むと、リリアナはピタっと固まり耳を赤く染めた。未だにこういう言葉には慣れないらしい。可愛らしいものだ。私は再びリリアナに再会した日を思い出した。
※※※
あれは初めてリリアナと出会ってから程ない頃だった。ある日私の部屋に一匹の猫が入ってきた。茶色くてけっこうがっしりとした体格の猫。何処かで見覚えのあるその姿に私は首を傾げた。
「君は…確かニックス?」
その猫は私をチラリと一瞥した後、私のことを対して気に留めることもなく、ベッドに上りごろんと横になった。王子のベッドに堂々と寝っ転がるなんて中々肝のすわった猫だ。ふわぁと大きなあくびをしながらこちらにお腹を向ける彼の姿に私は思わず笑ってしまった。
「ふふふ。君は見る目がいいですね。そのベッド、寝心地いいでしょう?」
この国では珍しい隣国産の高級ベッドだ。寝ることにとにかくこだわりの強い職人が、最高の寝心地を追求し作り上げた品らしい。
毎日が仕事で殆ど自由がない私にとって眠ることは唯一の楽しみだった。だから、いい睡眠に繋がるならと試しに購入してみたのだ。初めはたかがベッド一つでそこまで…などと思っていたがこれが案外よかった。一度横になると朝までぐっすりだ。寝起きのすがすがしさに非常に感動した。
「ふふ、可愛いなぁ」
早速くぅくぅと寝息を立てる猫に、頬が自然と緩む。だが直ぐにこの猫の飼い主であろう彼女を思い出し、私は顎に手を当てた。
「…困りましたね。君がここにいては彼女が心配するでしょう」
きっと彼女は今頃、この猫を探しているのだろう。私の部屋があるのは王族専用のエリアで、彼女が立ち入ることはできない。絶対に見つけられないはずだ。あの細い足で見つかるはずのない猫を探し続けさせるのはあまりにも可哀そうだ。
私は部屋の外にいる衛兵に庭で猫を探してる女性を呼んでくるように伝えた。そして、しばらくして彼女が部屋にやってきた。恐る恐る私の部屋に入ってくる様子はまるで狼におびえる小動物のようだ。私は思わずくすりと笑ってしまった。
「ふふ、そんなに怯えないでも大丈夫ですよ」
私がそう言うと彼女は漸く顔を上げ、私を視界に映す。そして、くるんとした目を大きくして言った。
「あ、貴方は、あの時の…!」
よかった。覚えてなかったらどうしようかと思った。
「久しぶりですね。君の相棒ならそこで寝ていますよ」
私がベッドを指差すと彼女の視線もそちらに向く。とたん驚愕の表情を浮かべた。
「ニックス!?殿下の寝台に上がり込むなんて!…申し訳ありません、うちの子がご迷惑を…」
ものすごい勢いで頭を下げる彼女に、私は微笑みながら頭を上げるように言う。
「全然迷惑ではありませんよ。彼のおかげでこうしてまた君と会えたわけですし、私はニックスがこの部屋に来てくれて嬉しいです」
「へっ!?」
「せっかくの機会です。お茶でも一杯どうですか?」
「えっ!?」
彼女を呼んでいる間にメイドに用意させたお茶の席へ彼女を誘導する。あたふたしている彼女を強引に丸め込み、私は彼女とお茶をする機会を手に入れた。
彼女はリリアナというらしい。最初は緊張して私の言葉に相槌を打つだけだったが、ニックスの話題を振ると少しずつ自分から話すようになってくれた。
目をきらきらとさせながら、ニックスとの慣れそめを語っているリリアナ。私はその様子を微笑ましく思いながら、彼女の話に耳を傾けていた。
「そうですか。ニックスとはそんな前から…」
「はい。ちっちゃい頃はこんなに小さくてまるで天使のようで…って、すみません。私、しゃべりすぎですよね」
ずっと夢中でニックスについて話をしてくれていた彼女だったが、どうやら我に返ってしまったようだ。それをちょっと残念に思いながら、ニックスの方へ視線を向ける。すると、ずっとベッドで横たわっていた体がむくりと起き上がっていた。
「いえ、聞いていて楽しいですよ。気にせずに続けてください…といいたいところですが、どうやらお目覚めのようですね」
「…ニックス!」
私の視線を追った彼女があっと声をあげた。くわっと大きなあくびをするニックスは、彼女の声にこちらを振り向いた。彼女の姿を視界に入れた瞬間、彼はそそくさと立ち上がり逃げようとする。しかし、それを許さず私は彼をさっと掬い上げた。なごなごと文句を言うニックスに私はお茶請けと共に用意させた茹でたささ身を差し出す。すると、ニックスは文句を言うことも忘れそれに夢中になった。そのうちに私は彼女にニックスを渡した。
「あ、ありがとうございます…」
「いえ、お茶の続きはまだ今度にしましょう。ニックス、あまりご主人様を困らせてはなりませんよ」
私は彼女の腕の中にいるニックスにそう言うと、彼女を見送った。あれから1年の月日が経ったが未だにニックスの脱走癖は治らない。私のベッドが気に入ったのかよく私の部屋にやってくるようになり、その度に私は彼女を部屋に招いた。自然と彼女と会話する機会も増え、いつしか自分の中で特別な存在になっていった。
※※※
「…貴方には申し訳ないですが、私はニックスが脱走してくれるのがちょっと嬉しいんですよ」
「え…?」
隣でニックスを撫でながら呟かれた殿下の言葉に、私は思わず殿下を振り向く。ニックスの脱走が嬉しい?それは一体どういうことだろう?
「だって、ニックスは脱走すると必ず私の元に来てくれるでしょう?彼がここにいれば、必然と貴方に会えますからね」
「殿下…」
それって殿下が私に会えるのを楽しみにしてくれているってことなのかな。
「あの出会いがきっかけで私は貴方を知ることができましたし、それから度々ニックスが貴方と引き合わせてくれたおかげで、こうして今の関係になれたのですから、彼には頭が上がりませんね」
言われてみれば何の接点もない私が、こうして殿下と出会えたのはニックスのおかげだ。普通なら王宮に仕えるしがない一般人が、一国の王子とこうして肩を並べてお話しするなどできないはずだ。ましてや、恋人関係だなんて…。
「ふふ、付き合い始めてから大分たつというのに、貴方は変わりませんねリリアナ。顔が赤いですよ。可愛い」
「う、からかわないでください殿下。お会いするのが久々だったから、心の準備ができていないんです」
ここ最近、殿下も私も互いの仕事が忙しく会うことができなかった。今日だって殿下に会えるとは思っていなかったし、こうしてお会いできたこと自体びっくりなのだ。殿下に会えたことに少し舞い上がっている自分がいる。久々に見る殿下の眩しい微笑みにただえさえドキドキを抑えるのに必死なのに、殿下の美しい声で紡がれる甘い言葉が追い打ちをかけてくるのだ。もう心臓が耐えられない。
「からかってなどいませんよ。本当のことを言っているだけです」
ああもう、この人は本当に…熱くなった顔を冷まそうとパタパタ手で仰いでいると、殿下がふっと笑みをこぼした。どうしたのだろうと不思議に思い殿下を見ると、殿下の視線は膝の上にいるニックスに向けられていた。
「実は今日、ちょっと期待をしていたんですよ。ニックスを追いかけた貴方が来てくれないかなって。ここの所、ずっと会えていなかったので寂しくてね。それでこの庭に来てみたんです。そしたら偶然ニックスが現れて、それを追ってきた貴方に会えました」
そうだったんだ。寂しかったのは私だけじゃなかったんだ。
「私も、嬉しかったです。こうして殿下にお会いできて。…その、寂しいと思っていたので」
「リリアナ!」
私の言葉に殿下は嬉しそうな声を上げると、ぎゅっと私を抱きしめてきた。突然のことに思わず固まる。その衝撃で振動が伝わったのか、殿下の膝の上で眠っていたニックスがむくりと顔を起こした。それに気づいた殿下が起こしてしまったことをニックスに謝る。ニックスはそれに答えることもなく、大きなあくびをすると前足をぺろぺろと舐め始めた。
「もうしかしたら、ニックスは私たちの心を感じ取っているのかもしれませんね。今日の脱走も、貴方の寂しさを紛らわせようと思ってのことかもしれません」
「え、そうなの?ニックス?」
全然、そんなそぶりは見られなかったけど。仕事で私が疲れて帰ってこようと、構わず彼の気分に付き合わされたけどなぁ。私がニックスをのぞき込むと、ニックスはのっそりと立ち上がり殿下の膝から飛び降りた。そして、私たちの住む寮に向かって歩き出す。
「え、ちょっと!?ニックス!?」
今日はきちんと戸締りをしてきたので、窓が空いてない。ニックスが部屋にたどり着いても部屋に入れないのだ。私は慌てて彼の後を追おうと腰を上げる。殿下に挨拶を告げると、また時間ができたら会いましょうと言ってくれた。私はそれに笑顔で答えると、ニックスを追いかけてパタパタを庭を走る。
「ふふふ、…またお願いしますよ、ニックス」
私たちを笑顔で見送った殿下のつぶやきは私には届かなかった。この時、殿下の左手に煮干しが入った袋が握られていたことなど、ニックスを追いかけることで頭が一杯だった私は知る由もない。
迷いネコを追って 嘉ノ海 祈 @kanomi-inori
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