殺人無罪:人による人のための裁判

ゆにろく

殺人無罪:人による人のための裁判

「被告人、前へ」


 被告人と呼ばれた、すなわち加害者の男が前へ出る。

 名を、オオヌマ・タローウ。

 彼の犯行はあまりに残虐であった。自分の好みであるという理由だけで、名も知らぬ数多の女性を高度ハッキングにより安全装置を外した電子ナイフで刺殺し、凌辱した。町中に設置された全方位網羅型オールレンジカメラには、計算機改竄型光学迷彩――アングラでは『カメレオン』と呼ばれる――を使用し証拠を一切残さない徹底ぶり。極めて悪質な犯行である。

 サイバー警察犬による徹底的な追跡と、裏社会に詳しい情報通との違法ギリギリの取引などを介しようやく尻尾を掴むことができたのだ。

 当たり前に裁判官たちは皆、死刑が妥当であると決めていた。

 

 ――正確には、決めていたはずだったのだ。


「ここに判決を言い渡す。被告オオヌマは」


 そのとき、裁判官たちは皆、涙を流していた。


「――無罪」


 裁判官たちは極悪非道の犯罪者に同情し、無罪は妥当であると考えたのだ。



 ある時、人工知能を研究し、その技術を世間へ還元することに尽力した男がいた。彼は言った。


「AIに裁判をさせてみてはどうだろうか」


 彼は、絶大な影響力を持つ天才博士だった。故に、この言葉は大きな物議を醸しだしたのだ。


「AIが裁判?」

「感情を持たないニューラルネットのツギハギ玩具に人間を裁かせるなど頭がおかしいのか」

「そうやってAIの幅を利かせることで、利益の拡大がしたいんだろう! この金の亡者め!」

「そんなことしてはいけません。なぜならファティマ第三の予言にそう書かれているからです。もし、それが実現すれば人類は皆、猿のように退化し、彗星が世界中に降り注ぎ、宇宙人が地球に乗り込んでくるのです。いえ、グレイタイプではありません。レプテリアンで――」


 一方。


「実際、人間の裁判ってのはあやふやだ。ルールにのっとり、公平に裁くのは人よりも機械の方が適任なんじゃないか?」

「裁判に関しては大量のデータがあるからな。ディープラーニングにかければなかなかの精度になりそうだ」

「俺は痴漢で捕まった。もしあのとき、AIだったら俺は無罪だったんじゃないか? あぁ、いや、冤罪ってわけじゃないんだが。ワンチャンだよ。ん? 俺は累犯だよ」

「ちょっと面白そう」


 などなど。

 そのため独裁国家寄り、かつ知的好奇心あふれる人間が首脳を務める小国で世界初のAI裁判が実験的に導入される流れとなった。そして、その3年後には例の小国の国内裁判は約9割をAIが担当することになる。

 全くもって人間の目からみても異論のない判決の連続であった。判決の難しいものであったとしても過去の事例を即座に提出し、その結果やこれまでの裁判データからもっともらしい判決を繰り出すジャッジメントマシーン。

 その性質から弁護士や検察官などの必要もなくなる。その職についていたものは、如何にAI裁判が妥当であるかという検証を行う仕事、AIの精度を高めるための研究者としての働き口を与えられた。ちなみに、この時AI裁判に反対していた裁判官や弁護士たちもいたが、彼らは身に覚えのない罪によって牢にぶち込まれた。無論、これは人の裁判である。

 まあそれはともかく、AI裁判には多くのメリットがあった。

 例えば、似たようなケースがあるという理由で冤罪の可能性を正確なパーセンテージ付きで提言するという有能さも兼ね備えていたのだ。AIが導入されて3年後には国全体の冤罪率が減少するというデータすら出てしまった。

 裁判にかかるコストカットを初めとして、裁判官への逆恨みなども消える。無論、裁判は公平かつ合理的。AI裁判は素晴らしいアイデアだったと、首脳は締めた。


 この小国の成功は瞬く間に世界へ広がり、AI裁判が普及し始めた。

 しかし、世界の裁判は、AIに完全には染まらない。AI裁判を「血も涙もない裁判」と揶揄し、AI裁判をそれはそれは絶大に嫌悪する人もいたのだ。

 人は人によって裁かれるべきである。自身の心をすり減らし、深く考え、その良心によって判決を下すことに意味がある。

 結果、最新のテクノロジーを駆使した人の温かみ・・・・・を重んじた裁判が生まれた。

 通称「人による人のための裁判」。『体験型感情尊重裁判』である。



「だからと言って、人間の気持ちを優先すれば良いと言うわけじゃないだろ!」


 ササハラはそう声をあげ、タブレットを地面にたたきつけた。広くなった部屋で頭を抱える。ササハラの婚約者はオオヌマに殺害されたのだ。しかし、オオヌマは無罪となった。


 ササハラの国は、AI裁判でなく、『体験型感情尊重裁判』が主流だったのだ。


「おかしいだろ……。あんな事件が無罪だなんて……。血も涙もないのはどっちなんだ」


 『体験型感情尊重裁判』。それは、加害者の脳を分析し記憶をコピーし、裁判官がその人生を疑似体験するというもの。その体験を得て、良心に従い判決をする。


 ――オオヌマは、酷く荒んだ人生を送っていた。


 オオヌマは、孤児だ。そして引き取られた先の孤児院で、同性愛者兼幼児性愛者であった院長に徹底的に嬲られた。そこを抜け出すと、ある家庭に引き取られ、そこで児童虐待を受けた。その状況を助けたのはNPOの児童養護団体だ。しかし、そのNPO法人もろくな組織でなく、犯罪シンジケートにつながっていたという。

 そうした苦難のあと、低賃金かつ悪質な労働環境で彼は働くことになる。

 彼は生涯、誰からも愛されなかった。

 その鬱屈が30すぎに爆発し、NPO法人で作ったコネをふんだんに利用した凶悪犯罪が起こったのだ。

 そういった過去が彼をゆがめてしまった。その過去を裁判官たちは体験・・した。あまりに凄惨な出来事、絶対的な孤独。それは同情を呼んだ。

 オオヌマを無罪とし、安寧の地で彼にカウンセリングを施すというのが裁判の結果である。


「確かに歪むのは仕方がないのかもしれない……! でも、オオヌマの精神鑑定は正常グリーンじゃないか! 同情の余地なんかない! 正しく罪を償うべきなんだ! 野放しにするなんて頭がどうかしてる」


 そう罵ったササハラの頭には、法廷で裁判官が放った言葉が蘇る。

 

『過去にオオヌマ被告と同じような来歴を持ち、カウンセリングのみで社会復帰した方がいらっしゃいます』


 馬鹿馬鹿しい。


「そりゃ一体何パーセントのだってんだよ……ちくしょう……」


 社会復帰できなかった人数は何人だろうか。分母は?

 統計といったデータへの軽視。

 そう、AIへの反発は副作用的にデータへの反発を呼んだ。人間の感情を優先するからといって、AIという仕組みの正反対を行く必要はないと言うのに。


「……こんな国はうんざりだ」


 彼は、幼少期をここでない国で過ごした。国籍を変えるのは比較的簡単だった。

 ササハラはこのバカげたシステムを有難がる国から、そして、婚約者の死という悲しみから逃れるため他国へ移住することを決心した。

 婚約者を忘れようとするというのはあまりに残酷な考えだ。しかし、ササハラはそうしなければまともな人生を歩めないと分かっていた。

 彼女を蹂躙した男がのうのうと人生を謳歌している事実に耐えらない。怒りの矛先がわからない。ゆえに過去を捨てるしかない。

 1週間もしないうちに外国籍を取ることができた。この時代は全てオンラインで済む。彼は、くそったれの国に別れを告げるべく空港へ向かった。


「あ」


 ――そして、彼は空港でオオヌマに出会った。


「オオヌマ」


 オオヌマはこちらをみた。

 そして、ひとつ会釈をして歩き出す。

 

 そこから先は覚えていない。

 気づくと、空港の従業員とセキュリティロボによって体の自由を奪われていた。腕にはキズがあった。ひっかきキズだ。


「はは」


 記憶が飛んだが、あることには確信があった。


 ――俺は、オオヌマを絞め殺した。


「ざまぁみろ! バカが! 神様が俺にチャンスをくれたんだ! 裁いたぞ! 俺は裁いた! これが人のための裁判ってやつだな! なあ! オオヌマのクソボケ! てめぇの人生は最後まで――」



「初めまして、ササハラさん」


 ササハラは、留置所の面会室にいた。


「ちゃんとオオヌマは死んだか?」


「……先ほど息を引き取られました」


 ササハラの前に現れた女性の言葉に、思わず口を吊り上げる。


「まさか、空港にいるなんてな」


「……オオヌマさんは、カウンセリングで海外へ行くおつもりだったようです」


 カウンセリング兼療養といったところだろう。国内で酷い目にあったから異国の地でやり直す。オオヌマもササハラと同じことをしようとしていたわけだ。

 とはいえ、ササハラの渡航日と重なったのは運が良かったとしか言いようがない。


「……で、何の用だ」


 この女性とは面識がない。スーツを着ているあたり公的組織の人間で、恐らく今後の裁判についてだろう。


「私は、あなたの意思・・を尋ねに来ました」


「……意思?」


「えぇ」


 女性は、ある紙をこちらへ向けた。


「あなたは昨日、外国籍を取得されましたね?」


「あぁ。それがなんだ」


「あなたが犯罪を犯した場所は空港ですので、適応法は我が国のものですが、国際条約で方式の選択権がございます」


 ササハラは目を丸くした。


「我が国の『体験型感情尊重裁判』になさいますか? それともあなたが国籍を取得された国で主流とされる『AI裁判』になさいますか?」


 ササハラは顔を赤くした。


「馬鹿馬鹿しい! 『体験型感情尊重裁判』なんてありえない。オオヌマを逃がした原因だ。それに頼るなんて! 『AI裁判』に決まって――」


 彼の言葉はそこでピタリと止まった。


 ――もし『体験型感情尊重裁判』なら、俺は無罪なんじゃないか?


 AI裁判なら間違いなく有罪だ。だが『体験型感情尊重裁判』なら。

 きっと裁判官たちは、婚約者を如何に愛していたかをわかってくれる。理解してくれる。人ならば俺に同情してくれる。


 息がつまる。

 言葉が出ない。

 どうすれば。


「? 『AI裁判』でよろしいんですね?」


「ま、待ってくれ!」


 ササハラは、悩んだ。

 誇りを捨てて、自由を掴むか。不自由ながら自分の思いを優先するか。


「――どうなさいますか?」


 ササハラは頭を抱えた。

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