拾壱 ここから始まる青龍争奪戦


「ようこそ、『龍の落とし子』たちよ」


 広々とした正殿に低い声がとどろいた。

 波紋はもんが広がるように伝った言葉に、その場にいた全員がいっせいに顔を上げる。


 玉座には、だれもいない。


 代わりに大広間の最奥にある壇上で、美貌の太師たいしさまがこちらを見下ろしていた。

 人を寄せつけない気高さに、凍りつくような無表情。

 猛虎もうこさえすくみ上がってしまうような威光をたぎらせ、太師たいしさまは大広間を一瞥いちべつする。


「本来ならば皇帝陛下自らみことのりを下されるところだが、あいにくと玉体ぎょくたいが万全でないゆえ、私が代理として諸君らに栄誉ある役目を言い渡す」


 おどろくような、いぶかしむような。

 さまざまな色を含んだささやき声があたりを席巻せっけんする。

 けれどもすぐさま「その前に」と太師さまのよく通る声が周囲のざわめきを制した。


「先に言っておくが、我々は皆を歓迎することはできない。知っての通り、現在洪水こうずいによって各地で飢饉ききんが発生し、国の民の生活は常に逼迫ひっぱくしている状態だ。そして、それはこの地を守護する大神獣、青龍せいりゅうの神力が弱まっているからに他ならない」


 この人、いきなりなにを話しているの?

 唐突の話の展開に、私の頭のなかで疑問と困惑がぐるぐると回る。


 どうやらそれは私だけじゃないらしく、周囲の人々もみんなぽかんと放心したようすで説明に耳を傾けていた。


「それゆえ、陛下は国で最も実力のある料理人のみを優遇したいとお考えだ。ここに集まったのは、各地の食仙しょくせんから宮廷のだい厨師ちゅうしまで、文字通りすべての才能ある料理人。厳正なる審査の結果選ばれた諸君、『龍の落とし子』にはみな資質がある。青龍の契約者となる資格が、だ」


 太師さまの淡々とした語り口は続いていく。


「我々はこのなかで最も早く青龍と契約した『龍の申し子』のみを、正式な宮廷厨師として手厚く迎える。それ以外の落第者については全員、その実力の如何いかんを問わず豪族ごうぞく下賜かしされることになる」


 ざわ……っと周囲が衝撃に大きく波打った。


 なんだ? この人は今、なんと言った?

 大広間にいる全員が、同じ悪夢でも見ているかのようにあぜんとしている。


 この国において、宮廷厨師とは料理人にとって最高の栄誉だと言われている。

 それを下賜する――つまり宮廷厨師の地位を剥奪はくだつし、ただの料理人へ格下げすることは、一度頂上を味わった者たちにとってこれ以上ないほどの屈辱だ。

 おまけに豪族のもとへ蹴り飛ばされた厨師は、一生貴族のために美食を作ることになり、二度と宮廷厨師として返り咲くことはできない。


 ちょっと前につめこんだ知識を、私は必死にたどっていく。

 この宮廷厨師というシステムはかなり昔からあるらしく、蘇国の史書にもたびたび記されていた。

 だからこそ、前代未聞ででたらめな処遇にこの場の厨師たちは動揺を隠しきれないのだろう。


「説明は以上だ」


 そのとき、騒然とする厨師たちのなかからすっとひとつ手が挙がった。

 みんなの視線が集まるなか、ひとりの若い女性が一歩前に歩み出る。


閣下かっか、もう少し詳しく事情説明を。今の話だけで、納得できるはずがありません」


 言葉や仕草の端々から感じられる上品さ。気の強そうな表情は、それでいて淑女しゅくじょ然としたやわらかさも兼ね備えている。

 瞳から明確に感じられる知性の矢は、まっすぐに太師さまを射抜いていた。


「この中から一人、稀代きだいの料理人のみを雇う。それ以外は捨てごまだと言っているのだ。何か不都合なことでも?」

「むしろ不都合なことしかありません。もし本当に青龍と契約した食仙がこのなかに現れたとして、たったひとりのために他全員の犠牲ぎせいを払うことは必要なことなのですか」

「ああ、必要だとも。長らくぬるま湯に浸かってきた君にはわかり得ないことだろうがな、天の寵児ちょうじよ」

「……っ」


 それまで凛とした態度を崩さなかった女性が、ぐっと言葉につまった。

 ざわざわとどよめいていた人々はしんと静まり返り、ふたりの会話に全神経を集中させている。


「極限状態に置かれることで、人の才能はより早く覚醒する。前述した通り、我々に悠然と構えている猶予ゆうよはないのだ」


 ぴしゃりと有無を言わせず言い切った言葉は、どこまでも冷たく重かった。

 さすがにちょっと、かわいそうかも。


「いいねえ。おもしろそう!」


 緊迫した空気をのんきな声が吹き飛ばしたのは、そのときだった。

 横を見れば、ずっとお菓子を頬張っていたあの少年がわくわくと期待に目を輝かせていた。


「つまり、最初に国で一番の食仙となった人が勝ちってことだね」

「違いない」


 にゃははっ、と嬉々とした声が大広間に反響し、少年の目が高揚に爛々らんらんと見開かれた。


 おもしろい?

 これのどこがおもしろいって言うの?


 生き残れるのはひとりだけ。他は全員、死も同然。

 まさに今、料理人の名誉をかけたデスゲームが始まろうとしているというのに。


「本気のってことだよ。僕たちの料理人人生をすべて賭けた、ね」


 奈落ならくの底へ突き落とされた気分になった私に、少年は「最高じゃないか」と語りかける。

 無邪気さからにじみ出るほんの一握りの狂気が、私の心をじくじくとむしばんでいく。


「絶望するにはまだ早い。優秀な厨師のなかには一介の農民から成り上がった者もいる。そこにいる李平りへいが良い見本だ」

「へっ!? お、おら……おれっすか!?」


 突然話をふられ、壁際で青菜みたいにしおれていた長身の男性がぴんと背筋を伸ばした。

 びっくりして目を丸くする彼に、周囲の視線が集まっていく。

 本人はあわあわと両手をふりながら、どうにかこの場から逃げ出そうとしているようだけど、残念ながら無理そうだ。


 そんな彼のことも完璧に無視し、太師さまは今一度さっと一同を見まわした。


「勝てば極楽、負ければ地獄。幼子でもわかるほど単純な規則だ。今さら絶望するくらいなら死ぬ気で自らの腕を磨き上げ、誰よりも早く『龍の申し子』となってみせろ」


 太師さまの言葉はまるで遠い地のおとぎ話みたいに、するすると私の頭のなかに入っていった。


「このなかに『龍の申し子』が誕生する日を心待ちにしている。それでは、諸君に五味の加護があらんことを」


 貴人は身をひるがえして正殿の奥へ去っていった。


 ◆ ◇ ◆


「まあそんなこったろうとは思ったが、さすがにイカれてやがるな」


 宮廷厨師の任命式が終わり、私は外で待ってくれていた護衛くんと再会した。

 任命式での一部始終を簡潔に説明した私に一言、彼は重々しくつぶやいた。


「水神に最も近い食仙を手っ取り早く生み出して治水させる……か。なるほど、国主としては一番賢いやり方だ。ただ、青龍に選ばれたやつ以外の人生がみんなパァになる」


 蘇国の現状は正直言って危うい。

 天災が立て続けに起こり、飢饉によっていつ国が傾いてもおかしくはない。

 それは異世界人の私からしてみても、薄々感じられるくらいには深刻な状況だった。


 だからこそ、皇帝陛下にとってもこれは大きな賭けなのだろう。

 宮廷というせまい鳥かごに見込みのあるひよこをたくさん囲っておいて、育つのを待つ。

 いつか偶然鳳凰ほうおうとなった特別なひな鳥が現れたら、ふつうのひよこは処分すればいいのだ。


「それにしても、とんでもねえばち当たりだな。意図的に神仙しんせんを生み出そうだなんて」

「そうだよね……」


 そもそも食仙という存在は、狙ってなれるようなものじゃない。人ならざる者たちはみんな気まぐれだ。

 彼らがいつだれを気に入るかなんて、運命を司る神様だってきっと知らない。

 わかるのは、料理人としての天性の資質を持つ人だけにチャンスが訪れるということだけ。


 だけどそれならなおさら、私なんかが宮廷厨師に選び抜かれた理由が見当たらない。


「私……食仙のことなんてなんにも知らないのに」


 あのとき、太師さま本人からも直接言われたのだ。


 『色、香、味、形。たしかに、この料理は美食に必要な要素をほとんど備えている。ただひとつ、もっとも肝心な「気」を除いて』

 『美食に対してこれほどの技術、感性、美意識がありながら、霊力すら知らないだと? いったい、どこまで馬鹿にすれば気が済むのだ』


 話の流れから、この大陸における『気』や『霊力』という概念は、美食の真髄しんずいをなす重要な要素であることが推測できる。

 しかし私は異世界からやってきたばかりの異邦いほう人。当然のことながら百味大陸特有の概念など理解し得ない。

 ……理解できないものは料理には生かせない。


 もしかして、あの人はわかってて私を宮廷に送りこんだってこと?

 私には『気』が扱えないということを。食仙になる資質がないということを。


 私を優秀な厨師のにするために。


「ねえ、ワンちゃん」

「は? それ俺様のことか?」

「そうよ。おおかみも犬と同じようなもんでしょ」


 適当につけたあだ名で呼ぶと、彼は変な顔をした。

 たしかろう……みたいな名前をしていたからつい。


「太師さまってどんな人なの? あんた、いつも近くにいるからわかるでしょ」


 私の問いかけに、汪ちゃんはぴくりと体をこわばらせた。


「あの万年真顔鬼畜大邪神はな……とんでもねえやつだ」

「うん。あだ名からだいぶヤバいやつってことは十分わかったわ」


 不意にすんっと表情を消した彼にナチュラルに突っこむ。

 ……なんだか、ものすごく闇を感じた。


 「って、そうじゃなくて!」と今度こそ私は意を決し、声をかたくした。


「あの人って、いったい何者? 私たちになにを隠してるの?」

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