2.愛しい婚約者
ガシャンッ
暗く冷たい塔の一室に令嬢は放りこまれ、鉄扉が施錠される音が響いた。
鉄扉の格子窓からは衛兵達のギラついた目が覗き、令嬢を見て愉快そうに嗤う。
「くくくっ……無様な聖女、いい気味だ。平民のそれも捨て子の分際で、国王陛下に纏わりついて目障りだったんだ」
「平民風情が国王陛下の寵愛を賜ろうだなんておこがましいにもほどがある。だが、幽閉塔に禁固刑とは、もはや見限られたも同然だな……くははっ」
衛兵達が立ち去っていくと、誰もいない塔はシンと静まり返り、物音一つしなくなった。
令嬢が身じろぎすれば、鎖の金属音だけがやけに響き渡る。
暗さに目が慣れた頃、令嬢が辺りを見回すと、そこは何もない部屋だった。
閉ざされた鉄扉、固く冷たい石壁と石床、天井は非常に高く、届かない位置に小窓があるだけで、他には何もない。家具どころか毛布の一枚すらもないのだ。
凍死するほどの寒さではないが、長く居続けることは耐え難い、劣悪な環境だ。
ここから出たければ、早く価値ある花を差し出せと言うことなのだろう。
しかし、令嬢には祝福の花を咲かせられるだけの力はもう残されていない。
冷たい石床や金属の鎖に体温が奪われていき、令嬢は身体を震わせた。
身も心も凍えて蹲り、胸に抱えていた花を見つめ、令嬢はポロポロと涙をこぼす。
「……この花で、あの頃の気持ちを思い出して欲しかった……昔の貴方に、戻ってもらいたかった……」
今は見る影もないほどに変わり果ててしまった、令嬢の愛しい婚約者。
令嬢は出逢った頃の王を、純朴で心優しい王子だった頃の彼を思い出す。
『ごきげんよう、君はここのシスターかな? ……おや、一人なのかい?』
一人ぼっちだった令嬢を見つけ、笑いかけてくれたのは王子だけだった。
教会前に捨てられていた赤子だった令嬢を、拾い育ててくれたシスターが老衰で亡くなり、令嬢は身寄りのない厄介者と蔑まれつつ、一人寂しく暮らしていた。
令嬢の黒髪に黒目の容姿はこの国では人には見ない珍しい色で、黒い魔物のようで気味が悪いと人から避けられ、親しい友人や知人もできずに過ごしていたのだ。
異色な容姿だけではない。令嬢の周囲では異常な現象が起きていたこともあり、なおさら不気味がられていたのだ。
どんな猛暑や干ばつ、厳冬や悪天候に見舞われようと、教会の周辺だけは草木が生い茂り、青々と緑が広がっていたのだから。
何があっても枯れることのない、緑生い茂る教会。そんな不思議な噂を耳にして、王子は寂れた教会へとやってきた。
王子は令嬢の容姿や生まれを蔑んだり嗤ったりすることなく、親身になって話を聞き、優しく接した。
枯れず生い茂る緑の謎を調べるために、王子は教会へと足繁く通い、二人の仲はしだいに深まっていった。
令嬢は王子のことが大好きになり、心優しい彼を信じて隠していた力を使い、彼の目の前で祈りを捧げて見せた。
『――貴方に祝福を――』
周囲の草木が令嬢の想いに共鳴して、瞬く間に祈りは形をなし、小さな愛らしい花を咲かせた。辺り一面に花畑を作って見せたのだ。
『すごい……なんて素晴らしい! 奇跡の力だ!!』
王子は令嬢の力を不気味がることなく、瞳を輝かせて喜んだ。
令嬢を抱き上げ、花畑の中をくるくると回って大歓びした。
それから、王子は民のために力を貸して欲しいと令嬢に懇願したのだ。
『君の祝福の力があれば、飢えや貧しさに苦しむ民を減らせる! お願いだ、私に力を貸してくれ!!』
不気味がられていた力でも誰かの役に立てるのだと知り、令嬢は喜んで協力した。
王子に認められていることが、必要とされていることが、何よりも嬉しく誇らしかったのだ。
令嬢は人々の幸福を願い、一生懸命に祈りを捧げ、祝福の花を咲かせ続けた。
やがて、飢えや貧しさに苦しむ民はいなくなり、令嬢は聖女と呼ばれ、国はどんどんと豊かになっていった。
『愛しい私の聖女、君を心から尊敬し愛している。どうか、私と婚約して欲しい。私が王になり国が落ち着いたら、その時は盛大な結婚式を挙げよう』
国が豊かになるにつれ、王となった王子の要望は変わっていった。
財力を生む金銀財宝の花、権力を生む万病を癒す花、栄誉を生む美貌を得る花、より付加価値の高い祝福の花を要求され、令嬢は望まれるまま王に与え続けた。
それと同時に、王の見た目は美しく――また、どす黒くおぞましい姿へと変貌していった。
周囲の人々には王の姿がたいそう美しく見えていたが、令嬢の目には真っ黒な化物に見えていたのだ。
(……貴方は平凡で嫌いだと言っていたけれど……わたしは貴方の柔らかい麦藁色の髪が、ソバカスの散った小麦色の頬が、はにかんで笑う優しい草色の瞳が、大好きだったの……)
農業を主だった産業とする小国にすぎなかった国は、祝福の花の力で周辺諸国を取りこみ、あとわずかで大陸全土を統べるほどの大国へと成長していった。
国が大きくなればなるほど、王の姿もブクブクと膨れ上がり、巨大化して醜くなっていった。
また、周囲の人々までもが真っ黒に染まっていき、令嬢には怖ろしい化物に見えるようになっていったのだ。
(……わたしにはもう、祝福の花を咲かせることはできない……貴方が望む花は、心を蝕む毒花だった……民を想い、国を憂う、心優しかった貴方をこんなにも変えてしまったのだから……)
人々が変わってしまった原因が、王の望んだ価値ある祝福の花――毒花だと気づいた時にはもう遅かった。
王や民の心は欲にまみれ、真っ黒に染まってしまっていたのだから。
毒花を与えてしまっていたと気づいた令嬢は、己の力が怖ろしくなり、祝福することができなくなっていった。
けれど、令嬢は王に昔の気持ちを思い出してもらいたくて、純朴で心優しかった頃の彼に戻って欲しくて、王を一心に想い祈りを捧げ続け、ようやく小さな愛の花を咲かせたのだった。
「……二人の思い出の花……やっと咲かせられたのに……」
しかし、その愛の花は受け取ってはもらえず、王により踏み潰されてしまった。
粉々になってしまった花の残骸と同じく、もう元に戻すことはできないのだと、令嬢は打ちひしがれ、悲しみに泣き濡れる。
王は『私の聖女』と呼びつつも、令嬢に首輪を着け、鎖に繋いで逃げられなくした。
婚約者と言いつつも冷遇し、祝福の花を搾取し続けて、奴隷のように扱った。
それでも、令嬢は変わってしまった婚約者を、思い出に残る純朴で心優しかった王子を心から愛している。
どんなに酷い仕打ちを受けようとも、どんなに姿形が変わろうとも、今もなお、令嬢は王を愛しているのだ。
王をおぞましい化物の姿に変えたのも、冷酷非道な振る舞いをするのも、すべては与えてしまった毒花のせいなのだと、令嬢は思っていた。
それゆえに、王の心を蝕むと分かっている毒花を望まれるまま与え続けることなど、できるはずがなかったのだ。
「……貴方を愛しているの……だからもう、祝福してあげられない……」
暗く冷たい牢獄の中、令嬢はもう元には戻らない愛の花を見つめ、王との思い出を振り返っては、胸が張り裂ける思いでさめざめと涙をこぼし続けた。
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