第36話 怪奇レポート008.まばたきをする赤い月

「なるほど……。わかりました。

 調査の結果が出ましたら改めてご連絡差し上げます」


 今日のために急ごしらえで作られた応接室で二人の女性と向き合っていた私は、頭を下げながらテーブルの上に置いていたボイスレコーダーを回収して録音停止ボタンを押した。


 桂田部長の紹介だと聞いていたから面倒くさそうなおじさんが来るのを想像していたら、現れたのが若い女性二人組だったので驚いた。

 相手方も同じ想像をしていたのか、私たちを見て表情のこわばりが解けたようだったけど。


「まさかでしたね」


 女性二人組を見送った結城ゆうきちゃんが抑えた声で耳打ちしてくる。


「そうだねー。証拠映像があるお客さんは初めて」

「映像っスか!?」


 ピンクの水玉模様になったみぃちゃんを膝にのせて仕事をしていた真藤しんどうくんがガタッと音を立てながら立ち上がった。

 床に落とされそうになったみぃちゃんは軽い身のこなしで真藤くんのデスクに上がると、「みぃ!」と抗議の声を上げる。


「真藤くん、怖いの苦手でしたよね?」

小津骨おつほねさんと隣の部屋に行くから無理に見なくてもいいよ~」


 気を遣って言ったつもりだったけれど、真藤くんはむっとした顔になった。


「こーづかさん! 俺、この日のために特訓したっス!」


 そう言いながら見せつけてきたのは動画の視聴履歴だ。

 ちょっと前に流行ったホラーゲームの実況や心霊動画のサムネイルがずらりと並んでいる。


「こういうのって怖がらせるために作られてるからねぇ……」

「それに比べれば今日のは可愛いものですよね」


 私と結城ちゃんは顔を見合わせた。

 まあ、本人がいいと言ったのだから見てもらうことにしようか。


「これ、SNSでバズった動画らしいんだけど見たことある?」


 私は依頼者さんから見せられて初めて知った動画だ。


 映像の初めにはかなり赤味の強い、少し欠け始めた月が映っていた。

 いわゆるストロベリームーンと呼ばれるものに似ている気がする。


 数人が喋りながら赤味がかった月を撮影していると、その月が一瞬まばたきをするように点滅した。

 会話をしていたうちの一人がそれに気付き声を上げるとそれに応えるように月がもう一度明滅し、月の模様が眼球のようにぎょろりと動いた瞬間に悲鳴が上がり、カメラが天を仰いで映像は終了する。


「つ、作り物じゃないっスか……」


 余裕なフリをしているけれど、真藤くんの顔は引きつり額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいた。


「作り物っぽく見えますよねぇ、やっぱり」

「そうなんだよね。でも、目撃情報とも一致してるから本物なのかもしれないよ?」


 言いながら、机の上に積まれた資料に手を伸ばす。

 桂田部長が視察に来ていた時から手を付け始めていた「まばたきをする赤い月」の怪異。


 しかし、肝心の情報が「十五夜の前後に現れる」ことと「月が赤くまばたきをするように見える」ことだけ。

 証拠となる動画も撮影したのは持ち込んだ女性二人組ではなく、九月の末頃にネットで拡散されたものだという情報しかない。

 桂田部長には悪いけれど、こんな情報じゃ提供してもらってもどうにもできそうもない。


「なんだか前に見たのと似てるわね」


 小津骨さんがぽつりと漏らす。


「前?」

「香塚さんがここへ初めて来た日のこと、覚えているでしょう?」


 ああ、そうだ。

 忘れるはずがない。

 空を覆っていたのっぺりとした雲と、その切れ間から覗いていたたくさんの目。


「言われてみれば似てますね」

「アカガネの月はオニの月……――」


 不意に、結城ちゃんが呟いた。


「結城ちゃん? なにそれ?」

「思い出したんです。おばあちゃんが昔聞かせてくれた民話、かなぁ? その一節だけがすごく印象に残ってて」

「アカガネ、ねえ。画質が荒いからわかりにくいけど、たしかにそんな感じの色をしているわね」


 茜色? にしては黒っぽい気がするんだけど。

 そう思いながらこっそりスマホで検索してみると、アカガネ色は「銅色」と書くようだ。

 読んで字のごとく、銅のように黒みがかった光沢のある赤のことらしい。


「アカガネ色の月が鬼の月ってどういうことでしょう?」


 うーん、と唸っていた結城ちゃんは、自信なさそうに小さな声を発した。


「アカガネって鬼の名前だった気がします」

「だからアカガネの月はオニの月?」

「たぶん……。アカガネの月は鬼の瞳で、見つかると食べられちゃう? から外に出てはいけないよ、みたいな話だったような……」

「その話、詳しく聞かせてもらえないかしら?」


 小津骨さんの言葉に、結城ちゃんは申し訳なさそうに首を横に振る。


「この話を教えてくれたおばあちゃん、ワタシが小学生の時に死んじゃってるんです」


 他のご家族は、と聞こうとして結城ちゃんが家族を事故で亡くしていることを思い出した。

 うっかり声に出す前に気が付いてよかった。


「キッカイ町に昔から伝わってる話なら地域のお年寄りとかで詳しい人がいたりませんかね?」

「うーん……わたしは心当たりないわね」

「そうだ!」


 口元に手を当てて考え込むような仕草をしていた小津骨さんは、結城ちゃんに目を向けた。


「ワタシのおばあちゃん、物語を作るのが好きな人だったんです! 桃太郎とか浦島太郎とかああいう話に似たような話を作って、泊まりにきたワタシたち孫に聞かせるのが好きだったみたいで。

 だから、アカガネの鬼の話もおばあちゃんの作り話かもしれないです」

「でも、こうして映像に残ってるよね?」


 私が疑問を口にすると、意外にも反応したのは真藤くんだった。


「ゆーきちゃんのその話、孫以外は誰も知らないんスか?」

「んー……、そういえば、修学旅行の時だったかな。同じ部屋だった子たちと夜にみんなで怖い話をしようって流れになって、話したかも」

「その中のメンバーとか、また聞きした人が映像を作ったって可能性ないっスか?」


 真藤くん、案外鋭い?

 たしかに噂話って尾ひれがつくって聞くし、話を聞いた人が映像を作って拡散して、っていうことはあり得ない話じゃないかも。

 それに、私が伏木分室ここに初めて来た日に見たように空に浮かぶ目玉の怪異は実在するみたいだし。


「とりあえず、今年の秋は十五夜の前後にこの映像みたいな事象が起こらないか注意して見張るようにするくらいしかできることはなさそうね。

 結城さんのおばあさんが言うみたいに観測した人間を喰う鬼が本当にいるのならその時は瀬田せださんに助けてもらわないといけないでしょうし……」


 そうならないことを祈るしかないわね、という小津骨さんの言葉に、私たちは心の底から同意した。




【怪奇レポート002.まばたきをする赤い月


 概要:十五夜の前後になると空に赤い月が現れることがあり、それを見続けていると月がまばたきをするように明滅する。

 目撃情報は曖昧なものが多く、本件による被害の報告はなし。


 対応: 証拠として提供された映像は資料として保存済み。

 類似する民話を知る職員によると、本件は創作された物語に尾ひれがつき、それに合わせた映像が作られた可能性がある。

 当面は調査を継続し、実害が発生した際には改めて対策を実施する。】

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