第7話 大人たちの憂鬱


 うちの息子は、とんでもない金の卵だったらしい。

 そんなことを、私はぼんやりと考えていた。




 あの後ラルは応接室に呼び出され、数人の前で質疑応答の時間が与えられた。

 その内容はもちろん、私達と別れたあとラルがとった行動についてだ。


 ラルが王城の中を散策していたところ、牙獣に襲われているクレア様――ラルは彼女がこのディムール王国の姫君だと気付いていなかったようだが――を発見したらしい。


 その後、ラルはクレア様を助けるため牙獣と交戦。

 風属性と土属性の混合魔術で、牙獣を撃破したそうだ。

 さらに突然現れ襲いかかってきた二体目の牙獣と交戦し、そちらも近衛兵の遺品であった剣で仕留めたらしい。


 正直、馬鹿げていると思った。


 たった五歳の息子が、あの牙獣を討伐した? しかも二匹?

 この年齢でそんなことができたのは、かの大罪人・・・・・ぐらいのものであろう。


 だが、ラルの言っていたことは真実だった。

 牙獣の死体の腕からは、ラルの証言通り兵士二人分の血液が検出された。

 

 クレア様の証言もあった。

 そして、その証言の全てが現場の状況と一致する。

 ラルがあの牙獣を討伐したことは、もう疑いようもない。


 重要参考人であるラルとクレア様が退席した後、部屋は重苦しい沈黙に支配されていた。

 今、この応接室の中にはディムール王国のサラスダ将軍とその部下数名、ガベルブック家当主の私、そしてヴァルター国王陛下だけだ。


「さすがはガベルブック家のご子息ですね。初めて目にした魔獣を、あそこまで躊躇なく仕留めてしまえるとは」


「……あれは、少し特殊な気がしますがね」


 サラスダ将軍の賞賛に、曖昧に言葉を濁す。

 たしかに、ガベルブック家は名門だ。歴史に名を残す武人や魔術師をこれまでに数多く輩出してきた。


 だが、それを踏まえてもなお、ラルの強さは異常だと言わざるを得ない。


「まさか、お前もあの子の能力に気付いていなかったのか?」


「はい。恥ずかしい話ではありますが、全く」


 私が今のラルぐらいの年齢だった頃は、手の付けられないほど腕白な子供だったと聞く。

 ラルはかなり大人しい性格だと思っていたが、牙獣の死体の様子を見て、考えを改めた。


 あれは私の子供だ。それも、私などよりもはるかに才能豊かな。


「そうか……」


 ヴァルター陛下は、顎に手を添えながら何かを考えるようなそぶりを見せていた。

 金髪碧眼。その色の組み合わせは、ディムール王家特有のものだ。


「あんな年端もいかない子供が、平然と牙獣を二匹殺せるほどの力を持っていること。それ自体が危険極まりない。……それにラルは、生物を殺すことがどういうことなのか、十分に理解していない可能性が非常に高い」


 幼くして強大な力を持っていることはもちろんだが、それよりも問題視しているのが、ラルの生物を殺すことに対する忌避感。

 ラルにはそれが、欠如しているように感じられたのだ。


 ラルが生き物を殺したのは、今回が初めてのはずだ。

 今回の事件が、ラルの人格形成に悪い影響を及ぼさなければいいが……。


「しかし、お前の息子――ラルフがクレアを救ってくれたことは、紛うことのない事実なのだ。今はただ、ラルフへの感謝の気持ちしかない」


「陛下……」


 ヴァルター陛下の言葉からは、ラルに対する純粋な感謝の気持ちが感じられた。

 たしかに、ラルが駆けつけていなければ、今頃クレア様はこの世にいなかっただろう。


「今回の事件のことを公表し、犯人捜しを進めたいところではあるが、ラルフのことがある。あの子に危険が及ぶのは私としても避けたいところだ」


「ご心配には及びません。私が、全力であの子を護りますので」


 今回の件で、ラルフを自分の家に取り込もうとする貴族も出てくることだろう。

 普通の方法で仕掛けてくるならさほど問題はないが、中には頭のイカレた貴族も存在する。

 ラルの暗殺でも企てられたらたまったものではない。


 だから、そのときは私が全力でラルを護る。


 「うむ」とヴァルター陛下は頷き、


「今回の活躍に報い、ラルフには報奨金と、騎士の勲章(くんしょう)を与えようと思う」


「騎士の勲章!? ラルにですか!?」


 私が驚愕の声を上げたのも無理のないことだと思う。

 勲章を与えられるということは、一人の貴族として国に認められるということだ。

 つまり、下級貴族の地位と、領主として治める土地を与えられるということに他ならない。


 騎士の勲章は、勲章としては最も低い位だが、そもそも五歳の子供に勲章を与えるというのは前例がない。


「国としても私個人としても、クレアを救ってくれた恩を返したい。それに勲章を与えられた者は、王家直属の貴族となる。何かあったときは私もラルフの助けとなろう」


「それはとてもありがたいお言葉ですが、しかし……」


「これは私の気持ちなのだ。どうか、ラルフの親であるお前には認めてほしい」


「……わかりました」


 色々と言いたいことはあったが、ヴァルター陛下の気持ちも理解できるので、特に反論はしなかった。

 しかし、騎士の勲章に報奨金……。これでラルフが増長しなければいいのだが。


 いや、それをさせないのは親である私の役目だな。


「力を持った者を正しき方向へ導くのもまた親の務めだぞ、フレイズ」


 私の内心を見透かしたように、ヴァルター陛下がそんな言葉を口にした。


「もちろんです。あの子は優しい。決して悪の道になど進ませません」


 もし……そんな未来は来ないと信じているが、ラルがその手をどす黒い血で染めるようなことになったら、そのときは、私がラルを止めよう。

 そう決めた。


「まあ、ラルフについての話し合いはこれぐらいにしておこう。それよりも、こちらのほうが問題だ」


 ヴァルター陛下の眼光が鋭くなる。

 そう。ここまでの話し合いは、ラルフという将来有望な期待の新人の処遇についてのもの。

 言うなれば明るい話題だった。


 ここからは、本命の話し合いの始まりだ。


「フレイズ、あの牙獣に見覚えは?」


「いいえ、ありません。あれは私も初めて見る種類の牙獣でした」


 あれほど堅硬な装甲に前身が覆われた牙獣など、今までに見たことがない。


 牙獣の弱点は、動きの遅さとその比較的柔らかい皮膚だ。

 だがその弱点が完璧に無くなった牙獣であれば、討伐難易度が跳ね上がるであろうことは想像に難くない。


 まあ、その牙獣をいとも簡単に討伐したのがラルなのだが。


「つまりそいつは、身体を弄られた合成魔獣(キメラ)、ということですね」


 サラスダ将軍の言葉に、ヴァルター陛下が頷く。


「おそらくクレアの殺害を実行したのは、牙獣を調教することができるほどのレベルの調教師(テイマー)だろう。そして……」


「クレア様の殺害を企てたのは、『憤怒(ふんぬ)』に与(くみ)する、または繋がりを持つ人間、もしくは組織である可能性が高いということですね」


「そういうことだ……」


 部屋の中に、鬱々とした空気が流れる。

 今回の事件、『憤怒』が関与しているのはほぼ間違いないのだが、それを誰もが認めたくない、何かの間違いであってほしいと願っている。


 だが、現実は残酷だ。

 そんな私たちの願いは、誰にも聞き入れられることはない。


 生物の身体を創り変えるという神への冒涜。

 そんなことができるのは、この世界では一人しかいないのだから。




 ――『憤怒』。




 それは、七つの大罪――『色欲(しきよく)』、『傲慢(ごうまん)』、『暴食(ぼうしょく)』、『怠惰(たいだ)』、『嫉妬(しっと)』、『憤怒(ふんぬ)』、『強欲(ごうよく)』――の名を冠する七人の魔術師(マグス)たち、そのうちの一人の通称だ。


 『憤怒』の魔術師についての情報は少ない。

 わかっているのは女性であること、強大な力を持つ魔術師であること、生物の身体を創り変えることができる特殊な力を有している、ということぐらいだ。




 そして最初にその存在が確認されてからおよそ千年もの間、こうして歴史の端々で姿を現し続けている、いわば本物の化け物。




「大罪の魔術師への警戒を強めつつ、クレア様を殺そうとした下手人を捕えたいところではありますが……難しいでしょうね」


 私はそう呟いて、ため息を漏らす。

 大罪の魔術師を討伐しようなどとは考えてはいけない。彼らは災害と同じなのだ。

 ただひたすらに息を潜めて、通り過ぎるのを待つしかない。


「引き続き警戒に当たってくれ。クレアの暗殺に失敗した以上、もう一度襲撃がある可能性も十分にある」


「はい」


 クレア様の身の安全を守ることは絶対だが、守っているだけでは相手を叩くことはできない。

 大罪の魔術師の討伐はともかく、実行犯やその裏で動いている人間を特定、捕縛することはできるのだ。

 クレア様の身の安全のためにも、何としてでも彼らを捕えなければならない。


「それでは、本日の会議は以上とする」


 ヴァルター陛下のその言葉を最後に、今日の会議はお開きとなった。

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