回想 陽鳴~ヒナ~
そこに勇者がいた。英雄と持て囃され、明日も知らぬ人の未来を守るべく、王道を往く男がいた。
そこに魔王がいた。王の座に祭り上げられ、幾千幾万の怨嗟を一身に受け、覇道を歩む女がいた。
剣を交えた。魔法を打ち合い、その拳で殴り合い。月が赤く輝く夜に、その決着は果たされる。
「私の負け、か」
仰向けになりながら彼女は呟く。初めて聞いたその凛とした声は、思いの外よく響いて。
「不思議なものだな……負けたというのに、存外悪くない気分だ」
無表情だった彼女の顔に、ほんの少しだけ笑顔があった。
「こっちも同じだ」
左手を失い、右目はもう使い物にならなくて。流し過ぎた大量の血が俺が二本の足で立つ事を許さなかった。
「勝ったのに、気分は最悪だ」
うつ伏せになって倒れる。顔を向ければそこには、彼女の顔がそこにあった。
「そうだろうな」
俺の満身創痍の体を一瞥すると、彼女は納得したように呟く。会話が出来るのが奇跡だとお互いが誰よりも理解していた。
「お互い、向いてなかったのかもな」
ふと、そんな言葉を呟いた。本当は喋る余力があるなら、互いの喉を締め上げるべきなのだろう。最後の最後の瞬間まで殺し合うのが運命なのだと。
だけど俺達はそんな事より、ただの会話を選んでいた。
「勇者とか魔王とか、世界とか運命とか……そういう類の奴がさ」
「この期に及んで」
否定しようとした彼女は、すぐに俺と同じ結論に至った。運命に逆らうとか、そんな格好の良い物じゃない。
ただ互いがそこにいるから、言葉を交わしただけなのだと。
「いや、そうなのだろうな」
そこでふと、兄弟の顔が頭を過ぎる。あいつは良い王様になれるかとか、生まれてくる子供は似ないで欲しいとか、そんな当たり前の事を噛み締めてから、いつかの問いを思い出す。
「……お前は、やりたい事とかあるか?」
もしも世界が平和なら、俺達は何を望んだのだろう。剣と魔法以外の中から、何を手に取ったのだろう。
「なんだそれは」
「気になるんだ、ほんの少し」
怪訝な彼女の顔に笑いかければ、困ったような顔をされた。それでも答えは……存外すぐに返って来た。きっと子供みたいな夢想を、いつかどこかでしていたのだろう。
「鳥を」
消え入りそうな声で彼女は呟く。
「鳥を見るのが好きなんだ。小さな体で賢明に羽ばたく姿は……見ていていつも癒される」
年頃の少女のような答えに、思わず笑みが溢れていた。だけど視界が滲んだせいで、恥ずかしがる彼女の顔は見えなくて。
「なぁ、勇者よ」
少しづつ意識が薄れていく。
「もし、お前と――」
魔王が逝く。全てを賭け、負けた女は笑って逝った。その身を焦がし続けた渇きが満たされた事を知って。
言葉の続きは聞けなくたって、心残りなんて無かった。
だって君は、きっと……同じ事を考えてくれたんだろう?
勇者は願う。勝利の代償として己が死を悟った男は、その役目に似合わぬ些細な事を願った。
もしも、生まれ変われるのならば。
剣も魔法も必要のない、遠い遠い平和な世界であって欲しいと。
陽のあたる場所で君と小鳥の鳴き声を聞けたなら。
それは他の何よりも、きっと素晴らしい日々だろうと。
瞼を閉じ、そんな淡い夢に微睡むように……その生涯に幕を下ろした。
――どこか違う空の下で、いつか巡り合うときを願って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます