第七話 名前④~アインス=エル=グランテリオス~

「仕損じたか、ユーミリア」


 クソ王子改めクソ王様がユーミリアに偉そうな声をかければ、彼女は深々と頭を下げた。


「申し訳ざいません、陛下」

「才能を継ごうが所詮は温室育ちか」


 興味無さそうな態度でそんな事を言い放つ。全く愛娘に酷い仕打ちだな。


「追って沙汰を下す……座して待て」

「はい……」


 アインスは異空庫から剣を取り出し。ゆっくりと部屋を見回した。


「ここでは狭いな」


 これ以上なく広い部屋だと思いますけどね、俺は。


「外でやるか?」

「ああ」


 了承も得られたようなので、俺達は転移で屋根の上へと移動する。東京の夜空の下んて随分とロマンチックな気もするが、まぁ相手が相手だな。


「ったく王様稼業が板について来たみたいだな」


 それにしてもあの横柄な態度は、あのユリウスを思い出させるには十分だったな。嫌なこと思い出させやがってよぉ、全く。


「ならば王らしく、下賤の輩にも沙汰を下そうではないか」

「ああそうかい。それで、俺に何の罪があるんだよ」

「……こうして生きている事だ」

「それはお互い様だろうが……で、判決は?」

「ユーミリアが最初に言っただろう?」


 アインスは首を鳴らしてから、ジャケットを脱ぎ捨てる。それからネクタイを緩めれば、立派な武闘派マフィアの出来上がりだ。まぁ持ってる剣はアルスフェリア=ハウルには及ばなくとも随分立派な剣だけどな。


「貴様はこの手で」


 俺が剣を構えれば、呼応するようにアインスが剣を構える。さて、久しぶりにやるとしますか。


「『処刑する』」


 兄弟喧嘩って奴をさ。







 互いに派手な魔法を使わなかったのは、必然的にあの頃を思い出したせいだろう。錆びた剣はここにはなくて、立派な二振りの剣を握りしめ。ただ基礎の身体強化と魔力操作を駆使しながら、何度も何度も刃を打ち合う。


 あの俺達が殺し合った場所からは、空なんて見えなかった。重苦しい蓋がいつも頭上にあって、いつかそれを超えると笑って。


 東京の空に星は見えない。辛うじて月は浮かぶが、地上に爛々と輝く街の明かりには敵わない。飛行機なんて非常識な物が頭上を過ぎれば、目の前の男の剣が鼻先を掠める。


 ――弱いな、こいつは。


 今の一撃だって、こいつには渾身のそれだったのだろう。まぁ俺が若い体だというズルをしているが……それにしても王様と勇者じゃ戦いに励んだ時間が違うのだから。


 向こうの息が上がろうが、こっちは別に疲れちゃいない。あれだけ仰々しく登場しておいて、それはあんまりじゃないだろうか。強そうなフリなんてやめれば良いんだ、偉そうな態度も似合わない。


 なぁ、もういいよな。


 ここはもうあの場所どころか、アルスフェリアですらないのだから。こんな場所でこんな事をした所で……近所迷惑になるだけだ。


 剣を振り上げ、こいつの剣を弾き飛ばす。そのまま腹を蹴り飛ばしてやれば、屋上で腹ばいになる情けない男の姿があった。


「あの時の決着がついたようだな」

「そうだな」


 倒れた男に歩み寄る。決着なんてとっくのとうに着いていたのだから。


「俺『達』の勝ちだ」


 俺達はアインスに勝った。あの日の誓いなんてものは、とっくのとうに守られていたのだから。 


「さぁ、勝者の権利だ……私を殺せ。そして誰も届かぬ、強さの頂へと」


 狙いはそれか。処刑される心当たりなんて何処にもないはずだ――だってこれは、壮大な茶番なのだから。


 俺を、勇者を強くする。それだけが勇者の処刑に込められた、たった一つの真意なのだから。


「そうだな」


 だから俺は……このクソ王様の頭を拳骨で殴りつける。俺はここにいる『アインス=エル=グランテリオス』を殺す気なんてなかったのだから。


 殺せる訳ないじゃないか。


「ったく、用があるなら普通に呼び出せっての」


 戸惑う表情を見せるアインスと呼ぶべき男。だけどそいつが誰なのかなんて……とっくの昔に気付いていたんだ。


「あのなぁ」


 しかしこいつの顔見てたら腹立って来たな。


「お前がこっそりアインスの炎魔法を練習してたのも知ってたし、わざとらしく髪型まで似せていたし、丹念に右手の甲を焼いたのも覚えてんだよ!」


 何てことはない、あの戦いで敗北したのは『アインス』だったのだから。見た目を揃え、勇者候補に施されていた色と番号の焼印がある右手を丹念に焼いて、俺に黙って入れ替わった。


 理由なんて決まっている……俺が兄弟を殺せないと知っていたからだ。だからアインスに成り代わって、恨まれてそのまま死のうとしたのだ。


「まぁ、気付いたのは後になってからだけどさ」

「なんで」


 答えなんて始めから目の前にあった。それに気付いたのはまぁ……勇者になって旅をして、物事の分別がつくようになってからだけどさ。


「アインス」


 数字の一を意味する言葉。『翻訳』の都合かドイツ語になっているが……ま、細かいことは良いだろう。


「……アインスなんてお前がつけた名前を、あのいけ好かない野郎が自分から名乗るわけ無いよな?」


 あの俺達が憎んだ男が、こいつのつけた雑な名前を選ぶ訳なかったんだ。あの男なら王に尻尾を振る為に新しい名前を貰ったはずだ。


「『アインス=エル=グランテリオス』って名前こそが、お前がアインスじゃないというこれ以上にない証明だったんだ」


 しかし気づかなかったのか、こいつは。自分のセンスが優れていると本気で考えてそうだからな。


「……そんなにひどい名前か?」


 久しぶりに見た笑顔が、長きにわたる茶番劇の幕を引く。片方の口角だけ上げるその表情、懐かしくて涙が出るね。


「最悪だよ、名付けのセンスも服の趣味もな」

「あ、これ組織の長の伝統的な服装じゃねぇのか? 日本の映画見て予習したんだけどな」


 もっと普通の映画見ろよな。


「ったく、これでオレの計画はぜーんぶご破産かよ。お前にさっさと継承されて、娘に面倒事押し付けてやろうとしたのにさ」

「面倒事、ね」


 大の字になって空を見上げる兄弟に俺は思わず鼻を鳴らす。俺に継承されて強くさせようだなんて、どうやらそっちが本命のようだ。そんな厄介事を引き受けたくなかったが、こればっかりは仕方がない。


「……分け合うんだろ、俺達は」


 兄弟の教えを口にしながら、倒れた男に右手を伸ばす。


「そうだったな」


 握り返された右手には、火傷の痕と皺があったけれど。もうあの憎たらしい数字はどこにも刻まれちゃいない。


「けど、お前が勝手に死んだことは本気で怒ってるからな!?」

「いやー悪い、魔王が相当強くてさ」


 立ち上がるなり先程まで死にかけていたとは思えない元気さで俺に詰め寄るクソ王様。俺だって一応帰ってこようと思ってたんだけどさ。


「けどまぁ、また会えたから良いだろ?」


 随分と時間は経って、アルスフェリアですらないこんな異世界かもしれないけれど。


「おかえり、兄弟」


 変わらない物がここにあった。


「……ただいま、兄弟」

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