第四話 三億円事変⑤~アルスフェリア=ハウル~

 屋上。その名前の通り、学校という建物の上へと転移した。


 だがここに足場はない……上空四千メートルにはそんなものなぞ有りはしない。


「ここは」


 目の前のアリエスが、この異常な光景にも関わらず俺を睨む。


「そうかお前が! お前が勇者だったんだな……顕現せよ、炎槍アグニ!」


 親の仇でも見つけたかのように、彼女は歓喜の笑顔を浮かべ炎の槍を顕現させた。どこで手に入れたのかは知らないが……少なくとも彼女は、ガイアスから炎刃を受け継いではいないのだろう。


「どうだ、どうだどうだどうだどうだっ!」


 自由落下しながらも、魔力で姿勢を制御しながら彼女が無数の突きを放つ。


「私は強い、ミカエルよりも! 私は、私は私が!」


 効かない、当たらない、かすりもしない。彼女は――弱い。


「……お父さんの、一番なんだ!」


 アリエスは叫ぶ。悲痛な赤子のような叫びが東京の空に響いた。


 ガイアスとの関係は知らない、どんな子育てをしていたかなんて興味もない。今俺がするべき事は、さっさとこいつに実力差を見せつける事なのだから。


 だからこんな場所を選んだ、だからこんなやり方をした。


「唸れ」


 聖剣を取り出し、掲げる。握る柄に力を込めて、真っすぐと右手で振り下ろす。


「アルスフェリア=ハウル」


 その名を空に解き放つ。


 ――裂ける。


 ただの一振りの衝撃派が、空に漂う雲を裂いた。直撃はしなくとも、風圧に巻き込まれたアリエスがそのまま体勢を崩して力を失う。


 彼女と目が合う。そこにはもう自信も驕りも消え去っていた。幸いな事に彼女にも、父と同じく実力差を理解するだけの能力はあったのだろう。ただの剣の一振りだからこそ、絶望的な差が存在するとわかってしまう。


 それでもガイアスは着いてきたが、彼女は――。


 時間切れだ、アリエスの腕を掴みそのまま屋上へと降り立つ。だが衝撃までは殺せなかったのか、コンクリートの床が割れる。


「アリエス、悪いが俺の正体を知らせるって言うなら……悪いが次は外さない」


 力なく座り込むアリエスが静かに頷く。流石にこれで逆らうような性格ではないが……少しやり過ぎたみたいだな。


「ったく、そんなに素直なくせになんで俺を憎んでたのかね」


 頭に浮かんだ疑問を彼女に尋ねる。たった一発で聞き分けが良くなるぐらいの素直さがあるなら、始めからそうしてくれればよかったのに。


「勇者クイズ、最終問題」


 ぽつりと、彼女が零すように呟いた。


「お父さんはいつも言うんだ……勇者が帰って来なかったのは、自分が不甲斐ないからだったと」


 アリエスが語り始めれば、その目には涙が浮かんでいた。


「どんな事をしたって、あなたについていくべきだったと……自分はあの時、死ぬべきだったと」


 その場面は想像に難くなかった。ガイアスは態度こそ無礼だったが、誰よりも騎士という肩書に殉じた男だった。そんな義に厚い男が俺に置いていかれた事を……悔やんでいない訳はなかったんだ。


 だけどそれを、あいつは娘の前で言ってしまったんだ。父親という立場でありながら、勇者の仲間という立場だけを望んでいて。自分など、いない方が良いと――それを目の前で言われた彼女は。


「わだじがっ、めのまえにいるのに……!」


 自分が無価値な存在だと――父の生きる意味になれない存在だと――思い込んでしまったのだろう。アリエスが両手で顔を覆いながら叫べば、自然とため息が漏れてしまう。


「ガイアスに伝えとけ。俺はこっちで楽しくやってるから……お前も気にするなってさ」


 あのバカ、気にしすぎなんだよ俺の事を。勇者とかいう存在なんて、出世に利用して忘れてくれて構わないってのに。


「ユウ!」


 聞き慣れた声に振り返れば、屋上の扉を開けるヒナの姿があった。


「良かった、急にいなくなったから」


 俺とアリエスの顔を見るなり、ヒナがいつもの笑顔を浮かべる。おかげで気持ちが楽になるから、いつもの軽口が自然と漏れる。


「あー、ちょっと瞬間移動マジックの練習をだな」

「嘘つき」


 まぁ、流石に誤魔化せないですね今回は。


「はぁー、はぁー、ふぅー、ふぅ〜〜〜〜〜っ」


 遅れて屋上に到着した西園寺先輩が、額に汗を浮かべながら肩で大きく息をする。見た目に違わぬ体力の無さに思わず関心してしまう。


「誰よ、学校を四階建てにしたおばかさんは……!」


 扉を拳で叩きながら、わかりきった事を言い出す先輩。そりゃもうお祖父様にでも言って下さい。


 しかし屋上に辿り着いたのは……どうやらヒナと先輩の二人だけではなかったようだ。


「おい今スゲー音しなかったから?」

「あれ、アニエスさんが倒れて」

「なぁ、一体何が」


 屋上に降り立った時の音が原因だったのか、屋上には野次馬が集まって来ていた。さてヒナや先輩はともかく、こいつらに俺の正体を知られる訳にはいかないんだよな……どうすっかなこの状況。


「き、聞きなさい野次馬ども」


 と、ここで先輩が声を張り上げてくれた。体格の割によく通ったその声は、すぐに生徒達の注目を集めてくれた。


「ここにいるのは……わたしと同じ黒魔術研究部の部員で」


 うなだれるアリエス、何故かひびの入った屋上。この状況を正しく説明できる言葉はただ一つ。


「これが……黒魔術よ!」


 はい。


「黒魔術よ!」


 まぁねぇ。


「黒魔術なのよ!」


 ゴリ押しできるか、これで。


「文化祭でも……やるわよ!」


 いやそれは聞いてないんですけど。


「なんだ手品の練習かよ」


 野次馬の誰かがそう呟けば、自然と集まっていた人が一人また一人と後にする。異世界人が手品を理解できないのと同じく、こちらの世界の人間もまた魔法よりも手品の方が理解しやすいのだろう。


「これでいいわね?」

「ありがとうございます、先輩」


 両手を広げる先輩に、俺は深々と頭を下げる。ヒナとアリエスも下げたのだろう、小声でありがとうございますという声が二つ聞こえてきた。


 きっと今頃驚くほどのドヤ顔をしているに違いないが、今ぐらいは好きなだけそうして欲しい。


「あら、わたしを誰だと思っているの?」


 誰って、そりゃあ勿論。




「理事長の……孫よ!」

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