頑張るあなたに、ご褒美を

ゆーすでん

頑張るあなたに、ご褒美を

 少しの移動時間も無駄には出来ない。

 次は取引先の営業部長との昼会食だ。

 あちらから伝えられていた店の住所を再確認する。

 腕時計を確認すると余裕をもって店に着けそうだ。ほっとして深呼吸する。

 助手席から見える景色は、高いビルと行きかう人々ばかりで見飽きてしまう。

 タブレットに目を戻すと、メールが届いたと知らせている。

 差出人は後部座席の人物。

『今日、部屋に行ってもいい?』

『ダメです。』

『ここ二週間行けてない。行きたい(涙)』

『今日だって、何時に帰れるかわかりませんよ。諦めてください。』

『久々にご褒美頂戴。』

 暫く放っておくことにする。

 会社からのメールに返信しようと文章を打っていると、今度はスマホが震えている。

 見ればSMSメッセージには

『無視しないで。明日は二人とも休みだから一緒に寝たい。五月さん補給したい。』

 補給って何?と突っ込みたい処だが、もうすぐ店の近くだ。短めに返信する。

『祐希の頑張り次第。夕方の取締役会議と海外との中継会議上手くまとめる事。』

 送信してすぐ、カーナビが目的地近くだと知らせてくる。後部座席に顔を向ける。

「社長、そろそろ到着します。ご準備を。」

「ああ、分かった。夕方の会議、何時と何時からだっけ?」

「十七時と二十時です。」

「分かった、絶対に早く終わらせてやる。」

 最後は小声で言っていたが、眉根を寄せて睨むような表情とスマホを潰す勢いで握りしめる拳に本気を感じる。

 車が目的地に着き、ゆっくりと停車した。

 車を降りつつ、空回りしなければいいなと心配になりながら後部座席を開けた。


 現在、二十一時半。

 晩御飯を外で済ませ、スーパーで食材を買って部屋に帰る途中。

 隣にはすれ違う人が二度見するくらい笑顔の彼。恋人繋ぎした手をぶんぶん振りながら歩くから、恥ずかしいったらこの上ない。

 でも、仕事を早く切り上げたら泊ってもいいと約束したから仕方がない。二週間ぶりに一緒に居られるのは、私だって嬉しい。

 今回は彼の思いが神に通じたのか、裏工作の効果とラッキーが重なった。

 まずは取締役会議、事前に副社長と話し合って十件ほどあった案件を二時間で終わらせた。これに関しては、頑張りというか裏技感が半端ない上に副社長の甘さが見える。

 来週お会いしたら、注意しなければ…。

 次の中継会議。取締会議中に相手側から機材トラブルにより再度予定を組ませてほしいと連絡が来た。別の理由があるのではと疑ったが、この日はどうかとすぐ連絡が来たのでほっとした。

 手を繋いで帰りたいと言ったのは彼。

「頑張った恋人にご褒美頂戴。おねがい。」

「これだけでいいならいくらでも。」

 おどけて言うと途端に膨れっ面で、

「嫌だ。足りない、もっと頂戴。」

 熱を帯びた目で見つめるから、繋いでいない反対の手で頬に触れて耳元に顔を寄せる。

「分かったから、早く帰ろう。」

 途端にギラっとした瞳と共に笑顔になる。

 部屋の鍵を開け、扉を通り抜けてすぐに壁際に追いやられ唇を奪われた。二週間ぶりのキス。何度も何度も啄む様に繰り返す。

 そのうちお互いの舌が唇をなぞりだすと、それぞれの腕が確かめ合うように動き出す。

 頬や首筋、背中に触れて呼吸が荒くなる。

「次はどんなご褒美がいい?」

 苦しくなって、呼吸する間に囁く。

「沢山あるから迷う。次は…。」

 二週間分の欲望を叶える時間の始まり。

 次のおねだりを決めながら、湯舟にお湯を張るべく二人で浴室へ向かった。


 私はとある企業の社長秘書だ。

 大学を卒業後、入社して十年以上になる。一年目から秘書課に配属されて、三年経った頃社長秘書に抜擢された。

 愛人候補?なんて嫌味やら嫉妬やらを向けられたが、無我夢中で仕事をこなした。

 今ではそんな人達もどこへやら、結婚もせずに独身を謳歌しているなんてご愛敬。

 五月さんに相談すれば、大抵は解決するなんて噂が立つくらいには成長できた。

 二年前、実の娘の様に可愛がってくれた社長が病気で急死された。

 社長の息子である祐希さんは、三年ほど他社で武者修行をした後この会社に入ったばかりで取締役社長に就任した。

 私はサポート役も兼ねて、社長秘書として祐希さんに就くことになった。これは、祐希さんからの直々のお願いでもあった。

「どうか、僕のサポートをお願いできませんか。子供の頃から知っている貴女だから、信頼できるんです。」

 ふわっと柔らかな笑顔で私に伝える。

 企業の御曹司にしては、浮いたところが無く誠実で実に真面目な青年だ。あの社長の息子さんだと、常々実感する。

 この人を陰で支える、まさに秘書が、私の役目だと思っていた。

 でも、心のどこかでこの可愛い笑顔を抱きしめたいと思ったのは秘密。


 若くして取締役になった祐希さんは一躍時の人となった。雑誌の取材依頼も多く来ていたが、本人の希望で極力断っていた。

 が、やはり企業戦略と新しい社長としての意識を見せるには受けざるを得ないことも多いのが現実。それを見て、目聡く狙ってくるお嬢様が後を絶たなかった。

 前月の営業実績などを報告していた時、ノックも無しに突然ドアが開かれた。

「祐希さん!今日こそ逃がしません。」

 一直線に祐希さんへ向かっていき、抱き付いた女性には見覚えがあった。取引先の社長のお嬢さんで、どうしても会いたいと父親に付いてきて以来、猛烈にアタックし続けている。

 ただ、社長は全く関心を持っていない。

 今日はまた、随分と胸元を強調した服を着ている。突撃とは、随分頑張っている。

 しかし、どうやって受付を通ったのか、パスすら持っていない。受付に電話をせねば。

「祐希さん、会いたかったです。この前聞いた電話番号も繋がらないし。」

 一瞬もやっとしたが、社長とこのお嬢さんは本当にお似合いだ。

 若い二人の邪魔はいけない。さっと移動し、

 ドアの外で一礼をする。

「奈良さん、どこへ行くの?」

「私たちに気を遣ってるんじゃないですか。ねぇ、ゆう…」

 甘えた声が、途中で止まる。

 何故なら、祐希さんはドアの外の私しか見ていないから。私ですら、ドアノブに手を掛けながら固まってしまった。

「申し訳ございませんが、お引取り願えますか。今、彼女と仕事の話をしていますので。」

 目線を私に向けたままで、お嬢様を引き剝がす。お嬢様が負けじと抱き着く。

「いや! デートしてくれるまで絶対に帰らないから。」

 はぁ…と怒りを吐出すかのような溜息をして、もう一度強めにお嬢様の体を引き剥がす。

「いい加減にしていただけませんか。僕は、あなたのお父様との事業に興味があるだけであなたには全く興味が無いんです。これ以上騒ぐなら警備員を呼びますが?

 奈良さん、部屋に入って。話の続きをしよう。」

「パパに事業を見直す様に言うわよ。それでもいいの?」

「あなたのお父様は、あなたとうちの会社のどちらを選ぶでしょうね? うちに断られて困るのは、お父様の方ですよ? お父様の会社は、経営がかなりギリギリの所まで来ていますから。」

 お嬢様の強がりは効かない。残酷だけど、社長の話していることは本当だった。

 お嬢様は、悔しそうに顔を歪めて黙って部屋を出ていく。去り際に、ぎっと睨まれる。

 私は、お辞儀をしながら見送る。

「あんな言い方をされるとは思ってもいませんでした。少々きつすぎたのでは?」

 あんな冷たい言い方は初めてだ。

「諦めてもらうには、あれくらい言うしかないでしょう。それにしても、僕が他の女性に抱き付かれても平気なんですか?」

「驚きましたけど、社長には素敵な方を見つけて頂きたいと思っています。」

「何ですかそれ、母親みたいに。」

「お父様が仰っていましたよ。『彼女のかの字も出てこないんだよ。早く、うちの妻みたいにいい人見つからないかなぁ。』って。」

「僕は…。」

 そう言って、私をじっと見つめている。

 見つめられて、見つめ返す。

 じっと見つめ合ったまま動けずにいると、内線の着信音が鳴った。社長が受話器をとる。

「はい。副社長、お疲れ様です。今日の夜ですか? 予定はありません…」

 

 副社長は前社長の弟だ。次の社長にと誰よりも期待されていた人だが、自分は裏方に居るのが一番いいんだと頑として首を縦に振らなかった。

 今も社長に就任した祐希さんを自分の息子の様に可愛がっている。副社長も前社長同様私が尊敬する一人だ。


「…奈良さんも一緒にですか? 分かりました。伝えます。」

 受話器を置いて、こちらを向いた。

「今日の夜、一緒に晩飯食べようって。」

「え、私もですか?」

「うん、久々に三人で食べようって。」

「分かりました。ご一緒させていただきます。先程お伝えしました営業実績ですが…」

 仕事モードに戻って報告をし終えると、秘書課へ戻って残りの仕事を片づける。

 十八時、退勤時間だ。周りの同僚たちも、お疲れ様でしたと席を後にする。

 スマホが着信を知らせる。社長だ。

「お疲れ様です。はい、直ぐに出られます。

 では、玄関前で。」

 通話を切ると、残っている同僚に声掛けして秘書課を後にした。


 その日の社長は、ベロベロに酔った。

「珍しいな祐希。それにしても、そんなに酷いお嬢さんだったのか。」

「だぁって…電話は朝昼夜構わず掛けて来るし、いきなり抱き付いてくるし、迷惑極まりないんだよぉ。それに、謝りの電話なら俺にすればいいじゃん。まだまだ信用されて無いってことだろ…。」

 すっかり親戚同士の食事会みたいな雰囲気になっている。社長がいじけるのは珍しい。

「すみません、副社長に先方から謝罪の電話が入っていたなんて。私が居ながら、申し訳ございません。」

 テーブルに擦り付ける位にして頭を下げる。

 どうやら、あのお嬢様は我慢ならずに今回の件を父親に話してしまったらしい。

「いや、気にしないでいいよ。ただ、祐希は今後の物言いを気にするべきだな。今回は丸く収まったが場合によっては、反感を買いかねない。」

「わかりました。反省はしています…。」

 父親に叱られた様にしゅんと頭を下げている社長。父親がいない今、副社長が唯一心を許せる存在だろう。何だかんだ言って、副社長が社長を見る目は子供へ向けるそれそのものだ。

 こんな親子の食事に私がいる不思議。

「それはそうと、お前さん達いつになったら付き合うんだい?」

 グラスに口をつけていた社長と私が同時に吹き出す。二人でゴホゴホむせかえる。

「ふ…副社長? 何を仰っているんです?

 何故、私と社長がお付き合い?」

「ん~? いや、祐希の側に五月さんが居てくれたら私も安心だなって。」

「私は秘書ですので、ずっとお側で仕えさせて頂く覚悟です。私とは年が離れていますし、もっと素敵な方がいらっしゃいます。」

 ぐすっと鼻を啜るのが聞こえて、横を見ると体育座りで涙目の社長がいる。

 体育座り? とぽかんとしてしまう。

「あ~祐希、すまん。この前、伝えたって言ってたから奈良君の返事待ちなんだと思っていたんだが…。」

「まだ、です。伝えたとは言っていないです。おじさんのせいでふられました。」

 なんて言いながら、両腕で掴む膝に顔を押し当てている社長。

 オロオロする私。すまなそうな副社長。

 膝を下ろして座り直した社長が、お酒を一気に煽り私の肩を掴んで自分の方に向かせる。

「お、俺は、五月さんが好きです。五月さんが俺の事を男として見てくれて無いのは知ってます。でも、好きなんです。」

 それだけ言うと、私の方に力なく倒れこんでくるのを抱きとめる。祐希さんの肩越しに副社長と目が合った。

「すまなかったね。混乱させてしまって。

 実は、祐希から君への思いをずっと聞かされていてね。私も、兄貴も、君と祐希が一緒になってくれたらって話していたんだよ。」

「そんな、ご都合主義な話ありません。」

 祐希さんの体を抱きしめながら、涙が滲むのを必死に堪える。

「五月さんも祐希が好きなんだね?」

 副社長の言葉に、ただ頷く。副社長に言われて、蓋をしていた気持ちに改めて気づく。愛しい人の体をぎゅっと抱きしめる。体を預けて眠るその人は、すうすうと気持ち良さそうに寝息をたてていた。


「祐希を、よろしく頼む。」

 なんとかタクシーに祐希さんを運び終えると副社長はそれだけ言って帰っていった。

 運転手に住所を伝えると、ゆっくりと走り出す。祐希さんは、私の肩で眠っている。

 途中、手をきゅっと握られる。

「何処へ向かっているの?」

 本当に小さな囁き声。手を握り返し、

「私の部屋ですよ。もうすぐ着くから、頑張って歩いて下さいね。」

 握った手が、少しだけ離れて指と指を互い違いに絡めていく。お互いに隙間を無くすように合わせて力を込める。

 タクシーを降り、酔いから少し冷めた彼と手を繋いだまま部屋へ向かう。

 鍵を開けて、部屋に彼を引き入れて鍵を閉める。ぼうっと立っている彼に靴を脱ぐよう言って、部屋の中へ招き入れる。

 リビングのソファに二人並んで座る。彼がまた肩にもたれ掛かってくる。

「頑張って歩いたから、ご褒美くれませんか。」

 ぎゅっと繋いだ手に力が込められる。

「何がいいですか?」

「膝枕とキスが欲しいです。」

 そう言って、繋いだ手が離れないよう脇下を一潜りしながらずるずると下がって行き私の太ももに頭を乗せると幸せそうに目を瞑る。

 随分と可愛らしいご褒美だ。

 また、穏やかな寝息が聞こえてくる。

 頭を撫でながら、触れるだけのキスをした。


 カーテンから漏れる日差しで目を覚まし、腕時計を見る。六時三十分。

 膝の上には愛しい重み。頭をそっと撫で、キスを落とすとパチッと目が開いた。

「起きてたんですか?」

「今、起きました。五月さんの部屋に入れるなんて、思ってなかった。」

 私を見上げる泣きそうな笑顔に、愛おしさがこみ上げる。

「そうだ、もう一度ちゃんと言わなきゃ。」

 そう言うと、膝から跳ね起きてソファに正座座りをする。私も慌てて正座で正面から向き合う。

「昨日は、酔った勢いで言ってしまって。ごめんなさい。」 

 深々と頭を下げるのを肩を掴んで起こす。

「五月さん、好きです。俺の側にずっと居てくれませんか。五月さんが側にいてくれることが、俺にとってのご褒美なんです。」

 随分と真っ直ぐな告白をしてくるものだ。

 自分が一番抱きしめたい人に求められてる。嬉しさで涙が滲む。視線を合わせているのも苦しくなって、堪らずキスをした。

 ゆっくりと重ねて、下唇を食む。

「好きです。側に居させてください。」

 唇が離れる瞬間に囁いて、大きく開かれた瞳を見つめる。

 右手の親指で唇に触れてくる。黙って頷く。

 お互いの顔が近づいてさっきより長く口づけた後、今度は私からおねだりした。

「私からも、一つお願いがあります。お風呂、一緒にはいりませんか?」

 それから、お風呂に入るのが共通のご褒美になった。


 シャワーヘッドから出るお湯で化粧を落としていく。肌の感触が変わったのを感じて、今度は体全体に浴びせ体を洗う。

 湯舟には先客が入っていて、入りやすい様に体をずらしている。この部屋を選んだ時に一番に気に入ったのがこの湯舟の広さだ。

 一人で入ると両足が伸ばせて快適だ。

 二人の時は、背中を先客に預けて抱きしめられて温まる。ふぅと息をつくと首筋にキスの雨が降ってくる。キスの主の頭を後ろ手に撫でると、手を取られて指先にキスされる。

 頬がほんのり色づいてきた頃、

「そろそろ、触れてもいい?」

 これが、ベッドへ行く合図。頷いて、立ち上がると手を引いて脱衣所へ向かう。

 タオルでお互いの体を拭いた後、キスをしてベッドへ向かう。

「今日は、ゆっくりご褒美頂戴ね。」

 ベッドに組み敷かれる瞬間囁いた彼は、私の上司で恋人だ。

 キスはいつも優しく、そして深く。纏わりつく指の感触に奥からあつくなっていく。

 うずく体を、二人で癒していく。

 夜はまだ長い。明日は休みで仕事を気にしなくていい。ご褒美を堪能したい。

 キスもそれ以上の全部の貴方が欲しい。

 それ以上に、愛しい人が求めるものを全部あげたい。

 だから、こんな風に聞いてみる。

「今日は、どんなご褒美が欲しいですか?」

 





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