神神の微笑。平安ノ国家公務員

八五三(はちごさん)

第一話

 屋敷の脇戸わきどをガン、ガン、と女性が蹴りつけ音が響き渡る。が、周辺に人が集まって来ることはなかった。彼女の行動が周囲の人々に迷惑をかけることはなかったのだ。

 

 ――真っ昼間でも。

 

 なぜならうしとらの方角にあるため。

 太陽が頂点に達していても、人はこの領域に足を踏み込むことなまずない。自身が危険に晒されることを恐怖しているからであった。

 

 人が通らないからといって、女性が蹴りを放つというあまりにも大胆不敵さ。

 

 蹴り女の姿は胡服こふくで、長いツヤツヤと輝く髪を頭頂部で二つに束ねた髪型をしていた。数世紀後には、多くの女性たちがファッションの一部として取り入れるヘアスタイル――ツーサイドテール。

 体型は細身ながら背が高く、顔立ちは鋭い目つきにから独特の緊張感がある表情の持ち主。第一印象は畏怖を相手に与える存在でありながらも、蹴っている姿から粗野なのだが、不思議と理知的でしなやかな印象が。

 激しく蹴りを放っているため髪が揺れ動き、顔に触れると邪魔になると素早く手で髪を掻き上げる。と、髪は指先から流れ落ち荒っぽい。が、その仕草なかに優雅さが観られたからであった。

 

 女が蹴っている脇戸は、びくともしなかった。

 屋敷の様式からそれなりの地位がある者が住んでいると、ひと目で理解できた。地位が高く、力を持つと敵が多くなることは古今東西に変わりない。

 厚い壁に重厚な柱が使用されており、長い年月に耐えるため。だけではなく、最も重要な外敵から守り、内部の安全を確保するように堅牢で丈夫な造りではあるのだ。

 が。

 女性でも蹴る力はそれなりにある。

 いくら頑丈に造られていたとしても、鳴り響く音の大きさからしても門扉が微動だにしていないのは異常であった。

 音が鳴っているということは、物体が振動しているのは間違いない。音を出している正体は、この屋敷の主が張った結界が侵入を拒んでいたからであった。



「ちぃ、晴明はるあきらのヤツ。出かけてやがるみたいだな。道満みちたる

「そうなのよ、智徳とものり。ワタシ、自らわざわざ、金! を!! 借り!!! に来てあげてるのに、留守にしているって。ほんと、ナニサマっ感じよねェー」

「ぅ……あ…………ぁ………………」


 頭をすっぽりと覆ってしまう大きな海賊帽子をかぶった少年の色素の薄い茶色い、わんぱくで、元気に輝く瞳が急激に失われた――眼前の女の姿を視たことによる哀れみから。


「道満様、でも。我が主に――傀儡廻くぐつまわししゅをかけるなど、わる巫山戯ふざけが過ぎますわ!」

 

 空気そのものを震わせた力強い声音が道満の耳に。道満に話しかけている相手から聞こえてくる言葉。一つ、一つ、が。単なる言葉の意味を超え神秘な力を宿し。深い、深い、深海から忍び寄る静寂な咆哮。


 動揺した――蘆屋あしや道満は。声の主が完全に勘違いしていることに。


「はぃ!? ぃゃ、ぃや、いや、娑伽羅しゃがら。ワタシ、智徳に傀儡廻かけてないから。

だいたいねえーぇー。智徳は晴明が樹立させた最年少記録を打ち破った陰陽師おんみょうじ、なんだ、よ!

ワタシ、世間様から天才――陰陽師いんようしと呼ばれているけど。八大龍王にして――龍宮の王を使役している、智徳に、易易と傀儡廻が通じるわけないじゃない。逆に、智徳に傀儡廻が通じたら。

ワタシ。晴明や、お師匠さまや、賀茂かもの先生や、保憲やすのり兄さん、眞魚まおおやじ。に、匹敵する実力があることになるじゃないの、よ!!」

「で……ゎ…………」


 美しい声色が薄れた。主を愛でる悪癖から自身が失念していたことに気づいて。そして、濡れた唇の端が微かに動き、言葉が発せられようとしたとき。


「娑伽羅、お前があやまることないぞ。だいたいなーぁー。人様の思考回路を停止させてまう発言している――道満、お前が悪い!」


 智徳と呼ばれた少年が護るように前に立った。

 庇われた声の持ち主は。風になびく長い藍色の髪に、海平線を映す青い瞳。肌は微かに輝く鱗が陽の光を受けてきらめいていた。

 身にまとう服装は、ブーツとズボンは海原の甲板でも駆け動きやすい格好。ベストは娑伽羅と呼ばれた彼女の体の曲線美を引き立てていた。頭上には智徳とお揃いの大きな海賊帽子。

 ただし、

 随所ずいしょちりばめられている紋章の刺繍と装飾品は――別格。

 細かく金と銀の糸で縫い込まれた紋章は、立体的に浮かび上がる技法が施され。見る者が視れば、人の技ではないと直感できた。

 装飾品も人の手によって生み出された代物ではないのは、一目瞭然であった。自然の法則を超越したかのような美しさを放ち、完璧な造形でありそれは、脈動しているように見える。まさに芸術の極み。


 最年少、陰陽師おんみょうじ――武塔むとう智徳とものりが体を張って助けたのは。式神にして大切な想い人である、大海龍王――娑伽羅しゃがら




「ちょ、ちょっと! は、はなせぇーえー!!」


 青空の下、智徳が必死に抵抗していた。

 彼の短い足は空中でばたつき、腕は自由を求めて伸びている。しかし、そのすべての努力は無駄に終わっている。彼は長く美麗な腕でしっかりと抱きしめられ、身動きが取れないでいた。智徳は恥ずかしさから顔は真っ赤で、眉間にしわを寄せ、唇をぎゅっと結んで目には涙が浮かんでいた。


 道満の唇はわずかに上がり、瞳には興味深げな光が宿っていた。顔は、にや、ニヤ、とした微笑みが。現在進行形の無様な姿を“人外魔境の力を秘匿”あくゆう連中に話ながら、酒のさかなにする魂胆こんたんなのが、智徳には分かっていたからである。


 一方、智徳を抱っこしている娑伽羅は、全く別の表情を浮かべてた。母親であり姉である。笑顔が顔全体に広がり、目は喜びで輝き。智徳を高く持ち上げては、その小さな体を自分の豊満な胸に引き寄せては――時折、意味不明な笑い声を発していた。




「らぶ、らぶ」

「ちゃうわい!」「そうです!」




 これは悪の呪術師として有名になった蘆屋あしや道満どうまん。と、天下てんか懈怠けだいたちノ物語である。

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