第54話 君は僕の
獣の念波がユスティーナの胸の底まで染み入っていく。
自らの流した血とヴァスの血が混ざり合った血溜まりの中、白い衣の裾をたなびかせながらユスティーナは腕を降ろした。構えを解いて、彼女はイシュカを見つめた。
「イシュカ様。私、イシュカ様のことをお慕いしております。あなたは太陽神の生まれ変わり、この国の守護者。私の、運命の恋人……」
何度「反省」を促されても、それが他者の眼にはどう映る行為であるか気付いてしまっても、ユスティーナにとってイシュカは魂の伴侶だ。彼への愛情は揺らがない。
「でも……あなたは、あなたは本当は、私のことが嫌いなんじゃないですか? どれだけ手をかけても理想に遠く及ばない、かつての月の女神にはなれない、期待外れの私のことが」
幼い頃から手を替え品を替え、ユスティーナはイシュカの理想の型に嵌められてきた。しかしあの反乱の終幕、ヴァスを罠にかけて勝利したことが世間に知られてしまい、それが決定打となってユスティーナは捨てられてしまった。
イシュカほどの存在が、この流れを予測できなかっただろうか。逆、ではないだろうか。
──オレとの一騎打ちに伏兵を使ったのは、お前の意思だったのか?
──ならばあの、なりふり構わない戦い方を真似してみるのもいいんじゃないかな?
いつかのヴァスとイシュカの言葉が結び付く。潰されていた眼で覚悟して直視すれば、太陽の真意が見えてくる。
「だからあなたは、大手を振って私を始末する理由が欲しかったのではないですか。そのために……私に、わざわざ伏兵などという大勢の目撃者を作る形で、卑怯な勝ち方をさせたのではないですか」
予測できたできない以前に、イシュカは一連の流れを作りたかったのだ。決戦の場でユスティーナをヴァスに勝たせたいだけであれば、事前に毒を盛る、内通者を作り隠れて攻撃させる、いろいろと人目に付かない手段もあったはず。そういう方法も、ユスティーナは提案していたのである。
だがイシュカが承知したのは、伏兵を用いたものだった。それだけの人数で取り囲めば失敗しない、絶対に負けられない勝負だから確実な手を使うべきだ。そう諭されて決行はしたものの、罪悪感を拭い去れなかったユスティーナは、ほとんど自白するような形で自らの罪を広めてしまった。
それは、結果論である。ユスティーナの面の皮がもっと厚かったとしても、あれだけの数の兵士全員の口をいつまでも塞げるものか。
元から性格の悪さで嫌われていた銀月の君が、獣返り相手にひどいやり方で勝った。そんな面白い話を、数人ならまだしも、数百人単位の兵士たちが黙っていられるはずがない。遅かれ早かれ、ユスティーナの失態は世間に知られていたに違いない。
その結果がイシュカの望みであるならば、彼を愛するユスティーナのすべきことは自動的に決まる。
「なら、分かりました。お望みどおりにします」
涙は出なかった。悲しくはあるが、己が至らぬ銀月の君だったことはユスティーナ自身が誰よりもよく分かっている。
『ユスティーナ? おい、馬鹿、よせ!』
何をしようとしているか気付いたヴァスが、獅子の顔でも分かるほどに血相を変えて止めようとしてきたが、それよりユスティーナが手にした矢を自分の喉元に突き付けるほうが早かった。
何百人もの兵士たちに取り囲まれていたあの時と違い、目撃者はヴァスだけだ。その口を塞ぎ、イシュカに都合の良い話を振りまくのは簡単だろう。それでもどうか、願わくば。
「どうかヴァスとローゼ、アルウィン兄様、離宮のみんな、何も知らない国民たち、ナインもできれば許してあげてください。今度はもっと、ましな……、あっ!?」
恵まれた腕力でもって一息に喉を突こうとした刹那、ユスティーナの手の中から握っていたものが消えた。ぎょっとして思わず見つめたイシュカの長い指の中に、それは収まっていた。
「そいつが作った矢か。器用なものだが、君が後生大事にしまっておくようなものじゃないな」
一日半で終わってしまった山籠もりの際、ヴァスが作ってくれた矢。矢筒の中に大切にしまい込んでいた矢が、軽い動作からは想像も付かない力でねじ切られていく。頑丈な白トネリコから作ったとは思えないほど、ばきばきと乾いた音を立てながら、あっという間に二目と見られぬ姿になり果てた。
目障りなごみをぽいとあたりに放り捨て、イシュカがそれは鮮やかに笑う。
「期待外れ? とんでもない。可愛いティナ。君はいつだって、僕が思ったように傷付いてくれる」
彼の理想でいるために、食べることを禁じられてしまった砂糖にバターにクリーム。それら全てを合わせても足りないほどの、胸焼けしそうに甘い声で太陽神が囁く。
「愛しているよ、ティナ。君は全てを定められた僕に与えられた唯一の娯楽、僕のおもちゃだよ」
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