第47話 盟友
聖なるジスラの大河にかかった大橋を渡ったすぐ先、ラージャ宮殿から目と鼻の先にある市街地の外れにナインたちの軍がひしめき合っていた。最初は個別に流れてきた民を装っていたようだが、今はあちこちにナインの軍旗を堂々と掲げて陣を敷いている。
「完全にやる気だな。ぎりぎり間に合ったってところか」
殺気立った気配に怯える馬たちをなだめつつ馬車を停め、ローゼはつぶやいた。
ヴァスにユスティーナの殺害を持ちかけられた時点で、ローゼは秘密裏にナインたちへと連絡していた。予定とは少し違うが、国王軍の戦力を削いでから合流したほうが確実な勝利を望めるだろうと、その時点では彼も思っていたからだ。
ただし、相手はいかに堕落していようとあの銀月の君ユスティーナ。返り討ちに遭ったと判断すれば、士気を保つためにも予定どおり事を起こす、との返答は受け取っていた。
実際はヴァスがぐずぐずしていたせいで日数が経ってしまい、その後の連絡の機会を逃したまま、ここまで来た。ナインはヴァスたちが失敗したか手こずっていると見て、彼ら抜きで焼き討ちを開始するつもりのようだ。
「じゃ、悪いが俺はここで待たせてもらうぜ。お前らより弱いからな!」
足手まといにはならない、と開き直ったように笑うローゼにユスティーナは少し考えてから告げた。
「いいえ、あなたは国民の正当な権利を行使しているだけ。私はあなたたちを守るために、力を授かって生まれてきたのだもの」
「……イシュカもな。野郎がそのへんをどう思っているのか、しっかり聞いてこい」
「……はい!」
激励にうなずいたユスティーナを連れて、ヴァスが歩き出す。
「では行くぞ」
愛弓も含めて完全武装した二人は、顔を隠すこともせずにナインの陣地に向かって歩き始めた。
※※※
「ヴァス!? あいつ、本当に生きてやがったのか!?」
「あ、あれは銀月の君じゃないか。前の内乱が収まって以来、行方知れずの」
「恥に耐えかねて、人知れず命を絶ったなんて噂もあったが、やっぱり生きていたのか! しかし、どうして獣返りと……!?」
悪名高いユスティーナとヴァスが進むに従って、ナイン軍の兵士たちは口々にわめきはするが止めはしない。ヴァスが生還すること自体は士気を上げるため、ナインが兵士たちにも知らせていたからだ。
今にも夜襲を始めようという段階になっても姿を見せないので、またナイン様の誇大妄想かという嘆きも広がっていたが、本人が出て来れば最強の戦力の邪魔をしたりしない。ここで正面切って問いただしてくるような気概のある者は、ナインの配下にはもう残っていないだろうとヴァスは断言していた。
あらかじめ立てていた作戦どおりである。ユスティーナは心ない言葉の数々に内心死にそうな思いをしているが、表向きは銀月の君らしくツンと澄ましたまま、ヴァスの背を追って陣地の奥まで辿り着いた。
「ヴァス! これはどういうことだ!?」
騒ぎを聞き付け、護衛を伴ったナインが現れた。従兄弟だけあって、彼はユスティーナやアルウィンと少し見た目が似ている。強めの癖がある黒髪の下、黒い瞳が困惑と怒りに揺れていた。
年齢はアルウィンと同じ、確か今年二十七のはずだが、若々しいというより子供っぽい。威厳を足そうとひげを生やしていた時期があったらしいが、あまりにも評判が悪くてやめてしまったとか。今も少しでも体を大きく見せようとしているのか、物々しい武装をしている。
「お前がまた協力してくれるのはありがたいが、どうしてその女を生かして連れてきた。ローゼからは殺してから合流すると聞いているぞ。ローゼはどうした!」
再会の喜びもあるのだろうが、それより疑問のほうが大きいのだ。ナインからしてみれば当然の質問に、ヴァスは冷静に答えた。
「あいつに何かあると泣くやつがいるので置いてきた。それよりもだ、ナイン。今なら、まだ間に合うかもしれん。兵を引け」
「……は?」
黙っていれば十分上品に整っているナインの顔が、上下にずれたようにユスティーナには感じられた。ヴァスも盟友が受けた衝撃は分かっているだろうが、そのまま説得を続けた。
「これはイシュカの罠だ。現地に来てみて改めて思ったが、こんなところに隠している兵が見付からないのは、どう考えてもおかしい。兵を挙げれば、それを理由に、今度こそお前は殺される……」
「貴様、寝返ったのか」
真剣なヴァスの話を跳ね飛ばすように、ナインはまくし立て始めた。
「生きているくせに、すぐに僕のところに帰ってこない。おかしいとは思っていたんだ。さては、そこの女の色香に血迷ったな? お前は昔から、やたらと月の女神の生まれ変わりに執着していたものな! はん、しょせん獣は獣か!!」
「……ナイン、聞いてくれ」
この反応もヴァスは予測していた。ユスティーナもナインの性格は分かっているので、口を挟まず黙っているが、どうしても拳に力が入ってしまう。自分のことを言われた時以上に、胸が苦しい。
「恩知らずめ、役立たずめ! 食事の作法すらまともに知らない野良猫を、誰が領主にまでしてやったと思っている!? 獣返りを使うなら犬にすれば良かった、犬は恩を忘れないらしいからな!!」
「恩は感じている。だからこそ」
「うるさい、この大嘘つきめ! 殊勝な顔をしても無駄だ、僕たちは互いに利用し合う仲なんだ!! どうせ僕は勝てないと見限り、国王軍に乗り換えるような知恵が猫もどきにあったとはな。ああ、どうして僕はいつも、こんな眼に遭うんだ……!!」
己が悲運を嘆き始めるナイン。自分に酔った態度はいつものことなのでどうでもいい。ユスティーナが着目したのは別のところだった。
野良猫だの猫もどきだのとヴァスを罵るナインは、彼の本性を知っているのだ。ローゼも知らなかった、ヴァスの猫の姿を見たことがあるのだろう。
ヴァスにとってはあまり見せたいものではないらしい、あの姿をナインは眼にしたことがある。ヴァスが彼にそれを許したのだ。カイラ山の離宮にて直観したヴァスの想いは、正しかったのだ。
「違います! ナイン、ヴァスはあなたのことを、本当に友達だと思っているの!」
堪りかねたユスティーナは二人の間に割って入った。
「あなたはヴァスのことを、ただ利用しようとしているのかもしれないけど……ヴァスにとってのあなたは、初めて実力を評価してくれた人なんです。彼はあなたの力になりたいの、あなたに死んでほしくないの! だから私を殺さず、ここまで連れて来てくれたの……!!」
「……なんでオレのナインへの気持ちは分かるんだ……」
勝手に気持ちを代弁されたヴァスは、うんざりとぼやきはしたものの、ユスティーナの言葉を否定はしなかった。
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