第10話 本当に欲しかったもの
「ナインが王になれば、それを不服とする別の者が兵を挙げるでしょう。戦乱は終わらず、人も獣も疲れ果て、最後には何も残らない。それでは獣の時代を取り戻すという、あなたの望みは叶わない。全ての者たちが不幸になるだけです」
あえてユスティーナは口に出さなかったが、ヴァスも薄々気付いてはいるはずだ。ナインが彼を取り立てたのは、差別されてきた彼を憐れんだのではない。獣返りとしての、規格外の戦闘能力が目当てなのだと。
弱虫アルウィンでは頼りにならない、暗君に支配される民が気の毒だとナインはしきりに自分を正当化して戦いを起こした。だが彼が起こした戦いにより、一番傷付いたのは戦う力を持たない民なのだ。
「ですから、あなたの怒りと悲しみは、私の首で晴らしてください。獣の血が濃い者の地位を認められたいというあなたの願いは、私が国王陛下へ伝え……いえ、一筆書きます」
なんなら今ここで、風に言葉を乗せてアルウィンへ直訴しようかとも思ったが、ヴァスの目付きが険しくなったのでやめた。助けを呼ぶ気かと疑われたのだろう。
「オレの願い、な。ハ、お優しい国王陛下に今さら手紙なんぞ送ったところで、めでたしめでたしになるか? オレは今から、陛下の妹を殺すのだぞ」
獣返りの地位の保証は、内乱当初よりナインたちがずっと掲げてきた目標である。アルウィンの耳に入っていないはずがないどころか、彼もそのこと自体には王侯貴族の中でも珍しく賛成派だった。
ちなみにユスティーナは、強固な反対派だった。イシュカより「私から君を奪おうとした連中の祖先を許すことはできないよ」と、ずっと聞かされていたのが一番大きな理由だ。うっかりヴァスの腕前をイシュカの前で褒めてしまった時のことは、二度と思い出したくない。
「どうした」
ぶるりと震えて黙り込んでしまったユスティーナをヴァスが不審そうに見ている。なんでもありません、と首を振り、ユスティーナは話を戻した。
「正直、国王陛下が絶対にあなたに復讐しない、と保証はできません。こんな状態の妹でさえ、ずっと気にかけてくださっている方ですから……」
「……確かに、いろいろな意味で、こんな状態ではあるな……」
ひざまずいたままのユスティーナとその背後に出しっぱなしの手押し車を見て、ヴァスは遠い眼になった。
「で、ですが首謀者のナインでさえ、離宮へ閉じ込めて終わりとした情に厚い方です。ヴァス、私があなたへの仕打ちを悔いていること、あなたが類い希なる戦士であり、人と獣の血が濃い者との架け橋になれることはできるだけ伝えます。あなたが文面を考え、私がそのまま書き写すというやり方でも構いません!」
ヴァスの態度の変化を、単に興味を失いかけているのだと勘違いしたユスティーナは熱心に訴えた。なんとかして、誰にとっても最良の道を選んでほしい。募る思いは涙となって、会うたびにらみ合ってばかりだった男の姿を潤ませた。
姿だけなら、毎夜のように見てはいた。腰に布団を巻いただけという現在の出で立ちは、赤黒金と強い色を惜しみなく使った、派手がましい武装とはかなり印象に差があるが、そんなことはどうでもいい。ヴァスの価値は容姿などではない。そもそも、世界一の美男子であるイシュカ以外の異性の見た目など、あまり興味がない。
「ああ、ヴァス……私の話に耳を傾けてほしいけど、そんな資格がないことは分かっています。幾度もあなたの夢を見ましたが、生きて会えるとは思わなかった……」
「は、はぁ!? お前もオレの夢を見ていたのか!?」
にわかに上ずった声を上げるヴァス。彼もずっと、夢の中でユスティーナに復讐していたのだろう。もしかすると夢を共有していたのかもしれないが、それ自体はこれから現実となる。
イシュカに言われるままに獣返りを嫌悪していたユスティーナでさえ、実際に手合わせをすれば、その実力を認めざるを得なかった戦士。失うものがなくなり、彼を恐れる必要がなくなった今、やっとこれまでの非道を清算できる。その喜びにユスティーナは、涙に輝く瞳で微笑んだ。
「あんなやり方であなたを殺したことを、ずっと後悔していたの。生きていてくれて良かった。だからこそ、復讐以外の目標を見つけてほしいのです。あなたが本当にほしいものは、それではきっと、手に入らないから……」
ユスティーナを殺した挙げ句、またナインと反乱でも起こそうものなら、いくら穏やかなアルウィンであっても堪忍袋の緒が切れるだろう。イシュカは王家を去り、あちらこちらの女性と浮名を流しながらふらふらしているようだが、ナインに従っていた者も大半はこの世を去った。
戦乱の気配あらば生じる、という性質上、イシュカがまた王家の味方をする可能性も高い。ユスティーナを殺した時点でヴァスに復讐しに来るかもしれない。
「……それは、期待しすぎかもしれないけど……」
都合良く思考が逸れてしまったが、自分との件を抜きにしても、より戦力に差がある状態で開戦する羽目になる可能性大なのだ。ナインもヴァスも、今度こそ殺されてしまうに違いない。
「……オレが、本当にほしいもの、か」
泣いたり笑ったり自嘲したり忙しいユスティーナを見下ろし、ヴァスは彼女の言葉を復唱した。金の瞳の奥を、複雑な思考の光が幾筋も過っては消えていく。
「ユスティーナ。オレとの一騎打ちに伏兵を使ったのは、お前の意思だったのか?」
「えっ」
出し抜けな質問にユスティーナは眼を丸くしたが、尋ねたヴァスも自分で自分の発言に驚いたように視線を泳がせ始めた。
「あ……いや、その……その、だな」
「えっ、あ、も、もちろん私の、私の意思ですよ!?」
「そう……だな。そう噂されていて……だが……」
情報を整理するように間を置いたヴァスの眼が、ちらりとユスティーナを見る。記憶よりずいぶんと……ずいぶんとふっくらした彼女の後ろ、当然まだある手押し車と、菓子の山も否応なしに視界に入る。香ばしい油の匂いを思わず吸い込んでしまったヴァスは、その全てを吐き出すように怒鳴りつけた。
「──やせろ!」
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