フォーレのシシリエンヌ(6)
「この世界に天使がいるなら、見つけられるんじゃないか?僕がサラを見つけたように」
アフメドのこの返事は正しかったのだろうか?
「そうね、私も見つけられると信じているの。アフメドもそのために祈ってくれる?」サラの頬には新しく流れた涙の轍があった。何か言ってはいけない事を言ってしまったのではないかと思ったが、彼女を悲しませるようなことを言った覚えはなかった。
本当はその頬に流れていた涙を拭いてあげるべきだったのかもしれない、ただアフメドの手は動かなかった。それでもサラが見ている空にアフメドも目を向けた。「サラのために祈るよ」と限りなく優しい声で言った。それがアフメドのできる最善のことだった。
サラの涙の理由は分からなかったが、サラが祈りをどれだけ大切にしているのかはそのときに気がついた。サラの涙が噴水に落ちたのをアフメドは見逃さなかった。
大抵の子供にとって父親と母親どちらが好きかという質問は返答に困るだろう、しかしアフメドにとってそんなことはなかった。父親の仕事についてはっきりと知らなかったが、母親から聞いた限りでは医療関係の製品を取り扱っている会社の社長らしく、アフメドに痛みを与える注射は父親が作っていた。これこそが医者に対して抱いている嫌悪感の正体だったのかもしれない。
そこには父親の影があった。アフメドの家庭はどちらかと言えば裕福だった。友達の家であんな立派なカセットプレイヤーを見たことがなかった。これだけ聞けば幸せな家庭だったと想像するかもしれないが、父親が家にいることは少なかった。アフメドが目覚める前に家から出て行き、眠った後に家に帰ってきていた。
家に一日中いることは一ヶ月に二、三日あれば良い方だった。そしてアフメドにとって、その二、三日父親が家にいることが嫌だった。父親はお酒を飲むと、自分がどれほど優秀な人間であるかを息子であるアフメドに延々と語った。アフメドにとって優秀な人間であることなど、どうでもよかった。
世間は父親のことを評価したかもしれないが、アフメドはそうではなかった。父親と話す機会は段々と減っていった。父親を避けているつもりはなかったが、無意識に避けていたのかもしれない。とにかく一日でも早く一人で暮らせるようになりたいとずっと考えていた。このまま時間が流れて、大人になれば一人暮らしができるだろうと漠然と考えていたが、そうはならなかった。
ある日の真夜中に、突然アフメドは起こされた。母親に乱暴に起こされてイラッとしたが、そんな余裕はなかった。
父親はカバンに必要最低限のものを詰め込んでいた。母親はアフメドに急いで家から出るように言った。父親も、母親もこの理由を説明してくれなかった。もちろんその理由を気になっていたが、そんなことを説明している時間がないことくらいはアフメドにも理解できた。
父と母の表情から何か悪いことが起きていることは察していた。何が起きているのか理解できない中で、初めて目にする父親の切羽詰まった表情はアフメドを不安に陥れていた。
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