カタツムリおじさんの異世界ライフ

猫海士ゲル

第1話 俺が異世界に転移するまでの……前編

 な、なんでじゃぁぁぁッ!

 俺は絶叫した!

 結局、まえの世界と何も変わってないじゃないか。あの女神め、今度合ったら本当に「お尻ペンペン」してやるぞぉ!




 ──すべては一ヶ月前に遡る



  *  *  *  *  *  *  *  *



「あぁぁぁぁあぁッ!」

 星空がぐるぐる回る、視界が回る、月はどこだ、胸が苦しい──気分が悪い。

 俺は、路面に膝をつくと助けを請うように右手をあげた。深夜2時。地方の畦道あぜみちに俺以外の人間がいるはずはなかった。


「死ぬのか、俺」


 ぽつりと口から吐き出した言葉はリアルないんかもしていた。自然と口角があがり優しい気持ちに瞳からは涙が溢れた。

 がんばった、俺、がんばったよな。

 背中のリュックが重い。


 ──カタツムリおじさん


 仕事前に近所のスーパーマーケットで夜食を買い込む。そのあとで休憩所のソファにリュックを下ろしてチョコアイスを囓りながら、スマホを弄るのが俺のルーチンだった。

 店の若い女の子が俺とリュックの交互にチラリと視線を這わすと他の同僚とひそひそ話を始めた。明るい笑顔だ。だから悪口ではないのだろう。


 けれど、俺は知っている。


 俺のあだ名は「カタツムリおじさん」だ。

 以前、その単語だけが耳に届いたことがある。最初は何のことかと思ったが、自身の姿を家具コーナーの姿見に写して気づいた。大きなリュックを背負う草臥れた中年。それはまさに「妖怪カタツムリ親父」だ。


 若い女の子から──もしも俺が結婚していたら存在しただろう娘に「カタツムリおじさん」と呼ばれても嫌な気はしない。むしろ歓迎だ。うまいネーミングセンスだよ。




 それにしても、

「ああ、仕事行きたくねぇなあ」

 ソファでチョコアイスを囓りながら愚痴る。正真正銘ブラック企業な警備会社が俺の勤め先だ。高尚な正義感なんてないぞ、たんに日々の糧のために働いている。それこそ休日なんて忘れちゃうくらい連日連夜路上に立つ。


 警備員、といっても俺には何のスキルもない。体力も無いし、それどころか車の免許すらない。

 この歳まで「どうやって生きてきたの?」と面接で不思議がられたように生きていることが奇跡な存在だ。

 だから綺麗なオフィスビルの美人受付嬢の隣に立哨するエリートガードマンでもなければ、国際空港や大規模工場の治安維持を担当するスーパーマンでもない。そんな警備員は別世界の物語ファンタジーだ。


 俺は連日連夜路上に立つ。


 それしか出来ないから。

 道路工事を行う作業員の傍らで通行する車両や人の誘導を行う。安全第一な職場を築くことが俺の仕事だ。俺がこの世界に存在してもいい免罪符だ──いったい、俺が何をしたというのか。真面目に生きてきたじゃないか。


 毎日会社から割り振られた仕事先に向かう。徒歩で、自転車で、ときには誰かの運転する会社の車で送迎してもらう。

 夜間ぶっ通しで行われる工事は、つまり夜間ぶっ通しで立ち続けるということだ。夜中だからと睡眠は取れない。工事の作業員が仮眠を取っている間も作業場に見知らぬ誰かが迷い込まないよう見張っていなきゃならない。それが警備員の仕事だから。


 いまの仕事の前は倉庫作業をやっていた。運送会社の管理する倉庫で積み下ろしだ。体力が無いのですぐに挫折した。その前は電子機器の販売店で売り子をしていた。意地悪な客にいつも因縁を吹っかけられていた。それでも言い返す勇気も、返す言葉も思いつかなかったから、ただ耐えた。ここは数年勤めたが結局辞めた。その前は……


 いろいろ転職繰り返してきたなあ。でも、ここで最後だ。

 胸を押さえて夜の路面に仰向けになった。心臓の鼓動が激しい。ちりちり痛む。呼吸も苦しい。


「俺、がんばってきたよな。ほんとうに、がんばったよなあ」

 視界には星空が広がっていた。それが滲んでくる。


 もしも。人生の最後に素敵な光景をありがとう、と。そして永遠の安らぎに感謝します。


 ──過労死。

 俺、神辺拓真という存在が、この世界から消える理由がそれだった。

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