まずはどうやってクロエに
まずはどうやってクロエに近づくかが問題である。それに際してノアが受けた指示とは、おそろしく単純かつ古風なものだった。
会合のあった夜から数日後、ノアはオンウェル神殿にいた。秋桜の小さな花束を持って。
ノアの傍らにはクリスピンもいる。彼はこの特別任務に補助役として駆り出されたのだった。こそこそと神殿の敷地をうろつくふたりは、そこでクロエの姿を捜していた。
「これを、なんて言って渡せばいいんだ?」
手の内にある白く素朴な秋桜を憂鬱に眺めながら、ノアが先を歩くクリスピンへと訊いた。
「知るか。おまえが考えろ」
「いいか、おれはな、いちども女に花束なんか渡したことがないんだぞ」
「えらそうに言うな。あー、そうだな。──最初にきみを見た瞬間、雷に打たれた。とでも耳元で囁けばいいんじゃないか」
それを聞いてノアは顔を歪めた。最悪だ。どうしておれがこんなことを。
突然、クリスピンが立ち止まった。彼はノアの腕を強く引くと、そのまま建物の角を曲がり壁際に身体をはりつかせた。
「いたぞ。あれがクロエだ」
曲がり角から顔を半分だけのぞかせているクリスピンが言う。
クリスピンが指し示す方向を彼の肩越しからノアも窺った。すると神殿脇の通路をひとりの修道女が歩いている。箒と塵取を携えた彼女はひとりだ。
「いいぞ。いけ、ノア」
クリスピンは手振りでノアを急かした。
「なあ、考えたんだが、やはりここはおまえが──」
ノアが四の五の言う間もなく、クリスピンは彼の背後へ回り込むと問答無用で突き飛ばした。
つんのめったノアが通路に身を晒す。彼は数歩よろけたあと、恨めしそうにクリスピンを振り返った。
こうなったら自棄だ。どうせ、おれには向いていない役目じゃないか。失敗したってマントバーンやグリムに殺されるわけでもない。そもそも、人選をまちがえたあいつらが悪い──
居直ったノアはため息を吐くと、クロエのほうへ大股で歩き出した。行く手にいる彼女の姿が徐々に近づいてくる。そしてまもなく、ノアの口から小さな呻き声が漏れた。
その修道女には見覚えがあった。まちがいない。いつだったか、ノアがグリムとクリスピンを馬車に乗せて神殿へやってきたとき、庭で言葉を交わしたあの修道女だった。
ふたりがすれちがう寸前、ノアは歩みを止めた。そしてクロエの目の前に花束を突き出した。
「これを」
あまりに唐突だったのだろう。相手は咄嗟に身を引いた。大きく見開かれた眼がノアを見つめる。
「あんたは憶えてないかもしれんが、この前、花壇の花をひとつダメにした。その詫びだ」
即興で思いついた言葉だった。が、それでクロエもノアのことを思い出したようだ。ふと、彼女の表情が和らいだ。
「まあ、わざわざどうも」
「花壇の空いたところにでも植えるといい」
とノア。するとクロエはやや戸惑いながら、
「せっかくだけど、切り花は植えても根付かないわ」
「そうなのか……」
「でも、いただいておきます。わたしの部屋に飾っておくわ」
クロエは受け取った秋桜を胸に寄せ、軽く微笑んだ。
「用はそれだけだ」
素っ気なく言って踵を回すノア。
「あの──」
足早に去ろうとするノアの背に、クロエが声をかける。
「わたし、クロエです」
「ノアだ。ノア・デイモン」
恥ずかしくて死にそうだった。
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