悪趣味な、実に悪趣味な

脳幹 まこと

ステージ1


 フロムの「悪について」って本に「悪とはヒューマニズムの重荷から逃れようとする悲劇的な試みの中で、自分を失うことである」と書いてあった。

 このヒューマニズムってのは、要するに道徳的な、学級委員みたいなやつだ。人に優しくして、法律守って、子供を作って、みんなといっしょに、社会に奉仕とかそういうの。これがないと現実を上手く生きられないらしい。

 おれはそんなヒューマニズムとやらに実家に帰られてしまった。


 というわけで、人が車に轢かれる映像を作って日銭を稼いでいる。

 一分程度の実写で、轢かれる直前から、轢かれた後の騒然までを様々な状況で再現してやるのだ。登場人物はAIが作った架空の存在なので、何ら気兼ねなく轢くことが出来る。

 チップを弾んでくれれば、標的の性別、年齢、体格を指定したり、車種を指定したりする権利も与えてやる仕組みだ。

 こういうのは一部の酔狂どもにはよく好まれる。思い切り撥ね飛ばすのが好きなやつ、潰されるのが好きなやつ、骨が剥き出しになるのが好みなやつもいる。

 こいつらもまた、学級委員に嫌われたやつらということで、ガラの悪い者同士で利用しあっているといった感じだ。



 今回の締切が二日後に迫ってきた。

 コメント欄は次回のショーに対する期待が、様々な言語で書かれている。

 一分間とは言え、リアルな感じを出しつつ轢かれる映像を作るのは楽なことではない。

 実際に人を轢ければ楽なのだが、そんな相手もいないので、編集ソフトを使ってちまちまとシーンを付け足していく。並々ならぬ集中力と根気を求められるのだ。

 気が遠くなるような繰り返しの果てに、ようやく数秒分の映像が出来上がる。


――段差を踏み外してよろめき、車道へとはみ出した子供。そこへスピード違反の乗用車が突っ込む――


 ふう、と一息つく。時計は五時を指している。机の上にはカフェインの山。信じられる数少ないモノだ。あの、有効成分だか優良案件だか友好関係だかいうのより、よっぽど信じられる。

 完成に向けた計画は出来ていた。これから締切まで寝ずにいれば、およそ一時間の余裕が見込める。

 鏡を見ると、顔が映っていた。

「お前は誰だ?」

 相手はだんまりだった。いつもこうなのだ。



 朝の散歩に出かけると、お天道様がお出迎えしてくれた。

 日差しがあたたかい。

 これがヒューマニズムというやつなのか。どこかに売っていないだろうか。


 ぶらぶらしつつも、車や人の動きを観察する。

 多くの車が飛び交っている。この内のどれくらいが、今後事故を起こすのだろうか。

 多くの人が飛び交っている。その中には映像に登場した顔もちらほらいる。

 おれはその一人に「おはようございます」と挨拶した。相手は戸惑っていたようだが言葉を返してくれた。

 姿を見れば見るほど「この人のは結構キツかったな」と感慨深い気持ちになる。目の前の人に「こんな動画があるんです」と親切してやりたいくらいだ。

 何秒かすると、相手はぎこちない笑顔を浮かべ、心にもない会釈をして去っていった。



 家に帰ると、夕焼けで真っ赤に染まった自分の部屋があった。

 もうこんな時間か。

 再び気の狂うような作業に取り掛かる。カフェインを腹がいっぱいになるまで含むと、ギンギンと太陽が燃え上がる。インクでどろどろの黒い火の玉だ。

 少しずつ時間を進めていく。子供の辿るであろう残酷な末路を思うと、涙がこぼれてくる。ごめん、本当にごめん、だから、死んでくれ。

 子供は勢いよく飛んで落ちた。頭は半端に割れた生卵みたいになってる。アスファルトには水溜まり。


 劇はここで終わりだが、おれの頭の中には続きが流れている。お母さんがやってくるのだ。

 自分の息子を抱えて金切り声を上げて泣いている。周辺住民もまた、その光景を見て静かに涙ぐんでいる。

 乗用車の男は呆然としていた。


 今日は、会社の重要な会議なのに――



 次に意識が戻った時は、時計は五時を指していた。

 おれの中では劇は完成しても、現実ではまだ半分にも達していない。気が狂いそうになる。

 出来た分の映像を眺める。子供はほんわか笑顔を浮かべている。自分がこれから死ぬことも、実際は何度も死んでいることも気付いていない。

 子供に限らず、気付いていないやつらは誰もが楽観的だ。アホ面を浮かべていやがる。

 ヒューマニズムのせいだ。

 これにより大半のやつらが幸せになり、残ったやつらはそんな姿を歯噛みして睨みつけることになる。

 そして残ったやつらの鬱積を晴らすために、おれは老体に鞭打って映像を作らなくてはならない。


 鏡を見ると、顔が映っていた。

「お前は誰だ?」

 相手はだんまりだった。いつもこうなのだ。


 締切が迫っている。

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