第30話 ここから始まる

 ベッド上で四肢ししを投げ出す。


 ぼんやりと天井を見つめる。


 でも、あの光景は、鮮明に蘇る。


『加瀬くん……昇太くん……好きです』


 かつて、ずっと憧れていた、最高の美少女。


 佐伯芽衣さえきめいさん。


 まさか、そんな彼女が、俺のことを……


「……マジか」


 おぼろげに声が漏れた時、枕脇のスマホが揺れる。


 おもむろに手を伸ばして見ると、そこには……


「……ちゃんと、しないとだよな」


 スマホを握る手に、自然と力が入った。




      ◇




 ずっと、逃げていた。


 私はずっと、逃げていた。


 小さい頃から、完璧な美少女と呼ばれて。


 恐れ多くも、ちゃんと自覚していた。


 自分が天から二物にぶつ三物さんぶつも授かっていたことを。


 そのことを、誇りに思っていた。


 幸運だと思っていた。


 けど、それと同等に。


 いや、それ以上に、プレッシャーの方が大きかった。


 まだ、多感で、繊細な時期だから、周りからの重圧に押しつぶされそうになっていた。


 その内に、私は逃げるようになっていた。


 こと、恋愛方面において。


 もし、完璧と言われる私が失恋したら、フラれたら。


 周りはきっと、失望する。


 見た目が良すぎるがゆえに、人よりも何か欠陥があるのではないかと、疑われてしまう。


 その先に待つのは、迫害、排除、疎外。


 私は震えた。


 どうすれば良いのかと、1人苦悩した。


 一時期は、過度に意識するせいで、男性に嫌悪感を、恐怖感を抱くようになっていた。


 このままだと、日常生活さえおぼつかなくなる。


 そんなの、嫌だ。


 下らない恋愛感情に振り回されたくない。


 そんな時、私は知った。


 世の中には、アイドルという職業がある。


 ひと昔前は、みんなその存在に、いわゆるガチ恋というか、本気でそのアイドルと付き合って、結婚できると思っていたらしい。


 申し訳ないけど、それは浅はかな幻想だ。


 だから、最近の『さとり世代』は、あくまでもアイドルを『推し』として見ることで、純粋な気持ちで応援する。


 それは、下らない恋愛感情を超越した、素晴らしい心持ち。


 そのため、私は気になる男子を『推し』として見ることにした。


 とはいえ、そんな気になる男子には、簡単に出会えることもなく。


 そのストレスからか、思春期のせいだからか、性欲が溜まって来て……


 下らない男どもと、体を重ねてしまった。


 もちろん、露骨な犯罪的なカラダの関係には至っていないけど。


 でも、そのスレスレのラインにいたと思う。


 思えば、私は自暴自棄になっていたのかもしれない。


 もし、私が平凡な少女だったら、こんな風に歪むことも無かったと思う。


 周りから注目されなければ、自分が好きな人に、照れながらもアプローチして、付き合ったりして……


 そう、だから、誰もが羨む自分のルックスが、私は嫌だった。


 捨てたかった。


 周りの男どもが、チラチラ、ニヤニヤ、見て来て気持ちが悪いし。


 もう、いっそのこと、消えてしまいたい。


 そう思っていた時……彼と出会った。


『あ、加瀬昇太かせしょうたです……どうも』


 高校に入学して、同じクラスになった彼。


 失礼だけど、ちょっと冴えない彼。


 でも、なぜだか私は、今までの男と彼は違う。


 そう感じた。


 以来、ずっと彼のことを意識して来た。


 彼もまた、健全な(?)男子だから。


 他の男子みたいに、私のことを、ちょっと嫌らしい目で見て来て。


 でも、彼に見られるのは、そんな嫌悪感を覚えない。


 むしろ、嬉しい、もっと見て、とさえ思ってしまう。


 ああ、もしかして、これが……恋なのかと。


 自覚しかけた時、自分の中で急激にブレーキがかかった。


 いやいや、ダメダメ。


 恋愛したら、身を滅ぼしちゃう。


 それに、私は彼のことが好きだけど、周りから見たら、釣り合っていないと思われ、言われて……


 きっと、メチャクチャにされてしまう。


 きっと、彼も私のことが好き。


 そんな想い合う、2人の尊い関係を、壊されちゃう。


 そんなの、嫌だ。


 私は、ずっと加瀬くんと、想い合っていたい。


 だから、私は彼を『推し』とした。


 きっと、最初で最後の、私の『推し』の人。


 彼とは、あくまでもクラスメイトで、少しあいさつをする程度だったけど。


 それでも、無上の喜びを噛み締めていた。


 こんな時間が、ずっと続けば良いと思っていた。


 けれども、2年生に進級した時……


『なぁ、佐伯さん。オレと付き合わね?』


 顔見知りの男子に告白された。


 彼もまた、1年生の時から同じクラスで。


 私が大好きな、彼の友人でもある。


 加瀬くんと違って、チャラい男……大貫隼士おおぬきしゅんじ


 以前にも何度か、アプローチをされていた。


 けど、私は他の男子と同じく、やんわりと断っていた。


 だから、今回もそのつもりだったのだけど……


『佐伯さん、賢いから気付いていると思うけど……昇太、佐伯さんのこと好きだよね?』


 ドクン、と胸が高鳴る。


 知っていたけど、改めて第三者に言われると……変に興奮してしまう。


 これでもし、本人から言われたら……私は、どうなってしまうのか?


『オレさ、あいつに忠告したんだよ。1週間以内に告らなかったら、オレがもらっちまうぞって』


 はぁ?


 私は、あなたみたいな、安い男のモノになんて……


『きっとさ、昇太のやつ、悲しむだろうなぁ。NTR、あるいはBSS……ってな』


 ……その用語は、私も知っていた。


 NTR(寝取られ)


 BSS(僕が先に好きだったのに)


 それがテーマの作品の主人公は、みんな哀れな結末を迎える。


 私はその主人公像と、加瀬くんと重ねて……ゾクリとした。


 彼と、自分に対して。


 私は、健全に推し活をして来たつもりだったのに……


 でも、そうか。


 溜まった性欲を、くだらない男どもで、発散して来たから。


 いつの間にか、汚れていたのね。


 ううん、もしかしたら、生まれた時から……


『……良いわよ、付き合ってあげる』


 この時、私は悪魔になった。


 その後、笑顔で天使のフリをして。


 加瀬くんが苦しむ様子を、内心で楽しんでいた。


 悦に浸っていた。


 最低の存在だと思う。


 だから、罰が下された。


 大好きな彼に……彼女が出来た。


 舞浜里菜まいはまりな


 ギャルだ。


 ちなみに、巨乳。


 だから、私とは色々な意味で、正反対の存在。


 そんな彼女が、私の加瀬くんと……付き合い始めた。


 信じられなかった。


 彼の魅力を知っているのは、私だけだと思っていたのに。


 この時、人生で初めて、怒りで我を忘れそうになった。


 けど、私は自分に言い聞かせた。


 そう、私は悪魔。


 悪魔は、いつだって冷静に、狡猾こうかつに、人をあざ笑うように、事を為す。


 だから、私はまた天使の笑顔を盾に、悪魔の矛で敵の首を狙って来た。


 その内、必ず、始末してやる。


 ああ、もう、私は戻れない。


 どこまでも、汚れてしまっている。


 純粋だった頃には、戻れない。


 いや、そんな時なんて、無かったんだ。


 そう、思っていたのに――


『……冗談でも、言うな』


 弱々しくて、可愛らしいと思っていた、彼の成長した男の顔。


 それをまざまざと見せつけられた時……私の中で、何かが音を立てて、壊れた。


 その瞬間、心の内にあった、黒々とした感情が……消え去った。


 そして、心が漂白される。


 それは、心地良い、浮遊感。


 後に、遅れてあらゆる痛みがやって来た。


 己の、愚かさ、気持ち悪さに、吐き気を催した。


 また、いっそ、消えてしまいたいと思ったけど……


 それでも、死ぬ前に一度、本気でしてみたいと思った。


 今度は逃げずに、ちゃんと。


 好きな人に対して……


 推し活ではない。


 本気の、恋活を――




      ◇




 俺は、彼女を責める気になれない。


 それは、きっとこの2人も一緒だ。


 テーブルに広げられた、彼女の日記。


 その中身は、確かに凶悪にして、強烈だったけど……


「ごめんなさい……隼士くん、里菜ちゃん……昇太くん」


 涙をこぼしながら、彼女は言う。


 彼女の家のリビングは、静まり返っている。


 でも、誰ひとりとして、彼女に敵意を向けていない。


 かと言って、哀れみも向けていない。


 ただ、ある種のリスペクトを抱いていた。


 彼女はずっと、人知れず、戦って来たんだ。


 この若さで、己の闇と……


「……私は、昇太くんのことが好き。だから、これ以上、隼士くんとは付き合えない」


「……分かった」


 隼士は頷く。


「大貫、あんた良いの? メイちゃんみたいな、素晴らしい彼女を簡単に手放しちゃって」


「良いんだよ。知っているか? 東大生って、中退しても、ずっと東大生で、優遇されるんだ。それと同じで、芽衣と別れても、俺はずっと、芽衣の彼氏だ」


「キモ過ぎる」


「すまん、今のは言い過ぎた……とにかく、芽衣と付き合ったっていう称号は、ずっと続く」


「メイちゃん、かわいそ」


「おい、マジメな空気を壊すな」


「あんたのせいでしょうが」


 リナちゃんと隼士が睨み合う。


「2人とも、落ち着いて」


 俺はたしなめつつ、佐伯さんと目を合わせる。


「昇太くん、私……」


「……ありがとう、佐伯さん……いや、芽衣ちゃん」


 照れ臭くも、名前で呼ぶと、彼女は目を丸くした。


「俺、すごく嬉しいよ。まさか、芽衣ちゃんも、俺のことを……」


「そ、そんな……嫌いにならないの?」


「ならないよ。ただ……」


 俺は少し、苦虫をかみつぶすように、


「俺は今、リナちゃんと付き合っている。リナちゃんのことが好きだから……芽衣ちゃんの想いには、応えられない」


「……うん、そうだよね」


 彼女は目を閉じて、口元で微笑む。


「……でもね、挑戦しても良いかな?」


「えっ?」


「私、人生でこんなに人を好きになったの、初めてだから……挑戦したいの」


 芽衣ちゃんの瞳が、リナちゃんに向けられる。


「里菜ちゃん、お願いします。私の挑戦……受けて下さい」


 そう言って、深く頭を下げる。


 リナちゃんは、しばし黙って、彼女を見つめていた。


「……うん、分かった」


 芽衣ちゃんが、おもむろに顔を上げる。


 リナちゃんは、笑っていた。


「良いよ、メイちゃん……あたし、負けないから」


「里菜ちゃん……ありがとう」


 2人は見つめ合い、お互いに涙をこぼす。


「さてと、じゃあ始めますか……ショータを巡る、ラブコメ戦争を」


「うん。私、せいいっぱい、がんばるわ」


 正反対の美少女2人が、俺に顔を向ける。


 色々な意味で、ドキッとした。


「そう言うことだから、ショータ。これからも、メイちゃんとの付き合いは続くから」


「なあ、オレは?」


「大貫、もう帰っても良いよ♪」


「いや、ここお前の家じゃねーだろうが。頼むよ~、オレもその面白そうなバトル、そばで拝ませてくれよ~」


「え~、キモ」


「分かったわ。隼士くんは、昇太くんの友達だものね?」


「うん、そうそう」


「はん、ショータをいじめたくせに」


「う、うるせーよ……なぁ、昇太。もう、許してくれるだろ?」


「全く、調子が良いなぁ」


 俺は思わず、笑みをこぼしてしまう。


「……でも、嬉しいよ。俺、これからも、みんなと一緒にいられることが」


「ショータ……可愛い♡」


「いいえ、昇太くんは、かっこいいわ」


「むっ、メイちゃん。早速、ジャブって来たな?」


「ええ、もちろん。相手は私よりもヘビー級だから、あらゆる手を尽くさないと」


「えへっ、おっぱいチャンピオンです♡」


「けっ、それしか取り柄がねーだろうが」


「黙れ、粗チ◯」


「うるせーよ!」


「そして、ショータはデカ◯ン♡」


「リ、リナちゃん」


「じゃあ、私ちゃんと準備しておかないと……昇太くんのそれ、迎え入れるための」


「えっ!?」


「メイちゃん、クッソえろ! この天使と悪魔のハーフ&ハーフめぇ~!」


「ごめんなさい、おっぱいオバケさん♪」


「しかも、めっちゃ煽って来た!? でも、そんなメイちゃん新鮮で……何か興奮すりゅぅ~!」


「おい、昇太。お前、大丈夫か? こんなイカれた女どもを相手にするなんて。オレは観客ポジだから、お気楽だけど」


「まあ、俺も男だから……最後にはちゃんと、ケジメをつけるよ」


「ショータ、イケメン♡」


「いや、そんな……」


「じゃあ、昇太くん。次、いつ私と浮気デートする?」


「えっ、ええぇ!?」


「って、コラー! 浮気デートとか、エロい単語を生み出すなぁ~!」


「ええ、そうよ。私はみんなが思っているよりも、エロい女よ♪」


 芽衣ちゃんが、飛び切りの笑顔で言う。


「ぐ、ぐぬぬ……や、やっぱり、さっき言ったこと、取り消そうかな~」


「里菜ちゃん、女に二言はないわよね?」


「き、鬼畜な女めぇ~!」


「あ、あはは……」







予告


 彼ら彼女らの関係は、新たに切り替わり。


 新章、スタート!


「ショータ、見て、見て~! あたしのビキニす・が・た♡」


「昇太くん、横のホルスタインも良いけど……私のことも見て?」


「って、誰がホルスタインじゃああああああぁい!」


「うふふふ」


 お互いに認め合う、恋のライバル関係となった里菜と芽衣。


「ティ、ティッシュが……いくらあっても、足りない……」


 2人のアツラブ光線に、昇太はもうタジタジ!?


 恋が熱く燃え上がる、夏休み編 開幕!







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