猫に席を譲る生活を

ろくろわ

第1話 それは今、必要ですか。

携帯のバイブ音で目が覚める。

まだ覚醒していない頭でも、身体は職場の電話だと認識し無意識に着信番号を確認している自分がいる。


下4桁の番号で相手が分かる。


また彼か。


布団から身を起こし、眠気の残る頭で時計をみる。

時刻は午前6時半。目覚ましは7時にセットしているのだが、30分早く起きてしまった。

私だけかもしれないのだが、自分の起きようとしている時間よりも早く目が覚めると、得した気持ちよりも「後これだけ寝れたのに」と損をした気持ちになる。ましてや自分の意思とは別の仕事の電話で起こされるのなら尚の事。


少し乾燥した声で応答する。


「もしもし」


「あっ。おはようございます。さっそくですが。あの件について僕はなにも聞いていないのですが、説明してもらえますか」


電話口ではいつもと同じことの繰り返しが始まる。


意識半分に横目でみる時計は、まだ3分もたっていなかった。


…………………………………………………………


彼とは同期入社であった。


彼とは最初から馬が合わなかった。

私は石橋を叩きながら叩きながら、リスクを最小限に考える性格なのだが、彼は真逆の良いか悪いか、0か100かの2択で考え、そして集中が続かないその場の思い付きで行動する性格だった。


そして、時間が経つに連れ立場が変わり私が上司。彼が部下になったとしてもそれは変わらなかった。


自分の物差しで測る事が全ての彼とは、上手く行きようが無いのだ。

気になったことや自身が納得できないことに対して、自分の意見を良し悪し関係なく、まっすぐに伝えられるのは彼のいいところでもある。

正しさの基準はそれぞれに合って、それぞれの正しさで物事を推し進めている。時には相手の正しさも認めながら。ただ、自身の正しさのみを主張されるのは疲れる。四六時中思い立ったときにされる電話や対応には、いい加減嫌気がさし、着信音や通知オンですら不愉快になっていた。


……………………………………………………………


「そう言うことなのでお願いします」


「…分かりました」


おおよそ同意の得ない返事をもらい、電話を切る。

時刻は既に7時を過ぎていた。


今から身支度を整え、7時40分のバスに乗らないと仕事には間に合わない。

正確に言うと始業時間には十分間に合うのだが、業務が始まらないのだ。

まずは身支度を整え、ごみを集め、会社に向かい、朝礼の伝達事項を纏めと、頭のなかで考え、慌ただしく準備を進めていると、2脚しか入らない小さなテーブルの椅子に座った飼い猫が、こちらを見ながら大きな声で鳴いていた。


そうか、ご飯の時間か。


猫の訴えを聞きつつも、追われる予定に猫の世話は、ついつい後回しとなる。

猫は変わらずに此方を見ている。


全ての準備を終え、2脚の椅子においてある鞄と背広を取ろうとした所でふと思い出す。


随分と前に、飼い猫はいなくなったんだと。


上京する時に実家から連れてきた猫は、2脚ある椅子の1つに座るのが好きだった。

ご飯は、椅子の上に座りテーブルで食べて。

私と向かい合って。


2脚の椅子には、鞄と背広がある。

飼い猫は此方を見ている。慌ただしく同じことを繰り返している私に、自分(猫)のご飯より大切なものがあるのかと訴えるように。



時刻は7時32分。

背広と鞄を片付け、2席用意する。


方席には、湯気のたった珈琲を。方席には随分前に買った猫おやつを置いて。


猫に席を譲った。


今日はゆっくりとしてみようか。


飼い猫は小さく少し鳴いた気がした。













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