わから聖女~いいんですか? 神の声が聞こえるわたしを本当に追放しちゃうんですか?~

藤村灯

第1話 グーで殴っただけなのに追放ですか?

「第666代聖女ソーニャ! お前は追放だ!」

「えっ、そんないきなり」


 派手に鼻血をき出しわめく、でっぷり太った司祭を見下ろしながら、ソーニャは困惑の表情でつぶやいた。拳は血で汚れている。


「やっぱりグーはマズかったかも……」


        §


 アスタリア王国西方都市トラーシャ。

 誇るべき聖女認定式の場で追放宣告を受けてしまったソーニャだったが、彼女にも言い分はある。


 西方地区を取り仕切るベゼル司祭は、聖女の証しであるロザリオを授ける際、当たり前のようにソーニャの胸をんだのだ。

 自分の胸の大きさが、男性の視線だけでなく手指をも誘うものであることを、ソーニャは嫌というほど理解している。

 そこまでは慈愛じあいの笑みで見逃すことができた。


 だが、第667代聖女に認定されたシリルが、司祭にお尻をまさぐられ恥辱ちじょくに震えてるのを目にした瞬間、考えるより先に手が出てしまったのだ。


「なんかさ、自分がされるより、他人がやられてる場面を見せれらるほうが、ずっと頭にこない?」

『ひゃははははッ! 知らねーよ。ソーニャがお人好しってだけで、普通は逆なんじゃないか?』


 純白の衣服に白い翼。

 ソーニャの頭上に浮かんでいる、堕落だらくつかさどる天使フテネルは、目尻に涙を浮かべ笑い転げている。


 フテネルの姿は祝福され、奇跡を起こせる者にしか見ることができない。

 胸をまれるソーニャに対し『やれ! やっちまえ!』とそそのかし、司祭に振るう拳には祝福を与えた。教会西方地区の重鎮じゅうちん居並いならぶなか、フテネルを認識していたのはソーニャとシリルのみだった。


『そんなお前だからあたしはってるんだけどね』

「うん?」


 地上で繰り広げられた聖魔大戦終結から100年。

 女神フェルシアの教団は、アスタリアの国教と認められ勢力を広げた反面、組織として硬直化し腐敗ふはい様相ようそうていしている。


 落ちこぼれ天界での役職を与えられず、地上の観察任務にいているフテネルが見ても、なげかわしい限りだ。

 女神フェルシアの慈愛じあいも、声を聞こうとしない者達にはおよぶはずがない。


 激昂げっこうしたベゼル司祭は「破門だ!」と叫んでいたが、聖女を破門する権限を持つのは、司教か大聖女に限られる。

 結果、ソーニャは王都の大聖堂に仕える出世コースから外れ、聖女の称号しょうごうを得たまま辺境の教区に追いやられることとなった。


「王都で堅苦かたくるしいおつとめこなせるか不安だったし、ちょうどいいか」

『ちょ、お前何やって――』


 ソーニャは複雑にまれた長い銀髪をき、ふところから取り出したナイフで惜しげもなく切り落とした。


「毎朝わうの大変だったしね。田舎に戻るならこっちのが楽でしょ?」

『前髪面白いことになってんぞ? せめて後で床屋とこやいけよ』


 ぷククと笑いをこらえながらフテネル。


 トラーシャの修道院につとめる前、孤児こじであるソーニャは牧場で牛を追い羊の世話をして過ごしていた。

 育ち過ぎた胸をのぞけば、その頃の少年めいた姿に戻ったようだ。


「ソーニャ、貴女その髪」


 式典後のうたげを抜け出し追ってきたシリルが、変わり果てたソーニャの姿に絶句する。


「シリル。だいじょうぶだった?」

「な……?」


 掛けるつもりの台詞を先んじて掛けられ、再び言葉を無くすシリルだったが、すぐに司祭から受けたセクハラを思い出し、首筋まで真っ赤になった。


「わ、私は! あんな事ぐらいで動じたりはしません! 全くもって余計なお世話です!!」

「そうだねぇ。ごめんね」


 シリルの剣幕けんまくに驚いたソーニャだったが、すぐに微笑ほほえみ謝ってみせる。

 修道院で過ごした6年間、繰り返してきたお決まりのルーチンだ。


「いつもシリルの言ってたとおり、田舎者のわたしに大聖堂でのおつとめは無理だよねぇ」

「貴女はッ――」


 さらに怒りを募らせて何かを言い掛けたシリルだったが、うつむき大きく一つ息を吐いて気を落ち着かせると、ソーニャの瞳を真っ直ぐ見つめ宣言した。


「私も一緒に行きます。今のままでは、貴女に勝ち逃げされるようなものですから!」


 貴族の家柄いえがら品行方正ひんこうほうせい、成績も常にトップのシリルだったが、奇跡を起こす力だけは、ソーニャのほうが桁違けたちがいに優れていた。

 教会の重鎮じゅうちんも無視できず、2代そろってという異例の聖女認定式の運びとなった。シリルはずっとそのことを気にしていたのだ。


(そもそも奇跡の力以外で聖女を決めるってことのほうが茶番だけどな)

 にやにやと人の悪い笑みを浮かべたフテネルが見下ろすなか、ソーニャは困った表情で首をかしげた。


「でも、辺境は危険だよ?」

有事ゆうじとなれば戦場にも立つ。それが聖女のつとめでしょ!」

「ベッドに虫が出るよ?」

「む、虫ッ!?」

「草むらにはカエルとかヘビとかいるし」

「ヘッ……!?」


 足が無いのも多いのも。シリルはとにかく虫のたぐいが大の苦手だ。

 ソーニャの言葉から想像しただけで、青ざめ脂汗あぶらあせを流しフリーズしている。


「でっ、でも! それでも! それでは貴女だけが!」

「シリルは大聖堂でおつとめしたほうがみんなのためになるよ」

「そ、それは――」


 泣き出しそうな表情で言葉を探すシリルだったが、ソーニャの言葉にきょを突かれ口を閉ざす。


「しかるべき発言力を持つまで時を待ち、教団の腐敗ふはいただせ。そういうことですのね?」

「うん?」


 ソーニャはそこまで考えてはいない。

 虫におびえたシリルがギャン泣きし、ソーニャが捕まえて窓の外に逃がすまでの大騒ぎを避けたかっただけだ。


『ま、適材適所てきざいてきしょだな。ソーニャがやらかさないよう、あたしがよーく見張っとくから』

「貴女はけしかけるがわではなくて?」


 へらへらと笑うフテネルに、シリルは疑惑ぎわくのまなざしを向ける。

 それでも、ソーニャが本当の意味で危険な目には合わないのは事実だろう。

 なんせ、くさっても女神の使いであるのは事実なのだから。


「それじゃあシリルも元気でね。落ち着いたらお手紙書くね」


 聖女であるにもかかわらず、放逐ほうちくされるソーニャを見送る者はいない。

 わずかな荷物を手に去り行くソーニャを、シリルは泣き出すのを必死にこらえた表情のまま、見えなくなるまでずっと見送った。

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