猫の恩返し

海石榴

第1話 猫に魅入られた娘

 江戸中期の安永年間のことである。

 商都大坂農人橋のうにんばしに、一軒の呉服屋があった。店主の名は河内屋惣兵衛そうべえという。


 この商家に器量のいい一人娘お菊がいて、お菊は一匹のブチ猫をとても可愛がっていた。ブチ猫の名は茶々丸という。


 この茶々丸は惣兵衛の先代である吉兵衛の時代から40年間、この家に飼われており、すでに「化け猫」の域に達していた。


 茶々丸もお菊のことが大好きである。お菊が座っているときは膝の上に乗り、寝るときは布団の中に一緒に入る。果てはかわやまでつきまとい、厠の外でお菊を守るかのように見張り番をする。


 片時もお菊のそばを離れない茶々丸の姿は、やがて近所の噂となった。

「あの猫はまさしく化け猫じゃ。娘にりついて、離れぬわ」

「おおっ、こわっ。40年も生きている猫などこの世にいるはずもない。妖怪じゃ。お菊という娘は、あの猫に魅入られたのじゃ」


 やがてお菊は年頃となり、その美しい容貌はますます輝きを増した。

 しかし、父親の惣兵衛の悩みは深かった。

 できれば、お菊に婿をとって、この店を継がせたいと思っているのに、茶々丸の悪い噂のせいで縁談がひとつも実らないのである。


 惣兵衛は妻のお久に相談した。

「お菊がこのまま結婚もできないでは、不憫ふびんというもの。どうしたらいいものかねえ」

「おまえさん、いっそのこと茶々丸をどこかに捨ててくるかい」

「えっ、そんなことをしたら、お菊が嘆き悲しむだろうよ。あのの泣き顔を見るなんて、わしはイヤだね」

「そんなことを言ってたら、いつまでも婿一人取れないじゃないか。この店だってつぶれてしまうよ。そっちのほうが、お菊にとって不幸だと思わないかい?」


 結局、惣兵衛は茶々丸を島之内という隣町に捨ててしまった。お菊には、茶々丸がなぜか失踪してしまったと言いつくろった。

 お菊は三日三晩、泣き明かしたが、四日目の朝からは必死に茶々丸の姿を求めて、横丁から横丁へと探し歩いた。

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