滅びの星のかたな、惑星イエンラー

雨 杜和(あめ とわ)

第1話



「この美しい星の最後を覚えておきなさい。時ってのは常に滅びに向かうのが宿命なの。宇宙船に乗船できたとしても、それは滅びを先送りにしただけ。わたしたちは滅びるために生まれてきたのよ、坊や。ママを許してね」


 たぶん、これは僕の5歳か6歳頃の記憶だと思う。


 惑星イエンラー最後の瞬間を宇宙船にある小窓から見た。窓まで背が届かない僕を、母が抱きかかえた。


 母の腕には嫌な汗が流れ、妙に素肌がベタベタする。


「ママ」

「坊や、黙って」


 僕にとって、その日、最も大事なことは、姉がずっと秘密にしている箱の中身を見てやるってことだった。


 だから、小窓から見える星の姿など興味なかった。


 なんだと言うんだろう。


 急速に巨大化した太陽が母星を飲み込むのに数百年。地下都市で過ごしてきた僕たちは、星が崩壊する前に宇宙船を建造した。

 逃げるためだ。


 そして、今、太陽は小さな惑星をのみ込み、母星は、はるか宇宙の先で消えようとしている。

 爆発が起き、白く輝く直線が宇宙の闇に現れる。


 壮大さも、荘厳さもない。

 ただ、のみ込まれた。


 それは僕の日々には、まったく関係ないことだ。

 生まれたときから、僕は、この宇宙船で過ごしているんだ。


 パァーーーン。

 それで終わり。


 宇宙の歴史を見るために、多くの人が群がっている。

 幸運にも……。大人たちはその言葉を選ぶ。幸運にも、この船に乗船できた380人。彼らは皆、その幸運に泣いていた。


 子どもは僕をふくめて2人しかいない。

 僕と、姉と呼ぶ3歳上の子だ。

 惑星イエンラーの滅亡は決まっていた。未来の崩壊を知りながら、子どもを持つ親は少ない。

 母はその例外のひとりだった。


「あなたを産みたかったの。パパは惑星に残る選択をしたから。だから、あなたがどうしても欲しかったの。ママのわがままを許してね」


 僕に謝罪されても困るしかない。

 どんな顔をしたらいいのか迷った。だから、曖昧あいまいに笑って、「大好きだよ、ママ」って言う。


 子どもにとって親は絶対だから、喜ばせるためなら、なんだって言うものだ。親ってのは、たいてい子どもを理解していない。


 それから、僕らは長い眠りに入った。

 正確には、僕と姉と管理官を残して冷凍睡眠に入ったのだ。


 僕と姉は20歳になってから冷凍保存に入った。


 何年、何百年、何千年、何万年……。


 気の遠くなる月日を、僕らは当番ごとに目覚める以外は、冷凍保存器のなかで眠った。ただ生き長らえるだけのために。


 僕らは380人いた。

 不慮の事故、冷凍保存器の故障。

 ともかく、長い時間のなかで少しずつ減っていく人びと。


 僕が当番で目覚めた日、生き延びている人は89人だった。


「なあ、AI」

「ハルとお呼びください」

「ハルって、なんだよ」

「多元宇宙の概念を研究しておりましたから。この名前を偶然に知ったのです。気に入りました」

「暇なやつ」


 その日、僕は監視官として冷凍保存から目覚めた。


 目覚めた1時間後、警報が鳴り響いた。


「どうした、ハル」

「隕石です。いや、彗星に近い。予想外の速度で近づいております」


 耳障りな音が船内に鳴り響く。

 どうしたらいい、皆を起こすのか。


 僕はひとりだ。

 どう決断したらいい。

 緊急時のマニュアルはある。その手順は?


「隕石、軌道上。回避不能。カウントダウン」


 リンディン、リンリン、リンディンッキ、リンディン


 警報音が船内に鳴り響く。


「ハル、回避だ。回避!」

「不可能。バリアアップ。彗星衝突、5秒後」


 不気味なカウントダウンがはじまる。


「5、4、3、2、1、ゼロ。衝突に備えてください」


 常に船内に流れていた低音の機械音が止まった。

 次に、ガクンと船体が揺れる。衝撃で、シートベルトをした身体が前後に揺れる。ガタガタという不穏な音と衝撃。


「ハル、被害状況レポート」

「損害把握。各エリア」


 それは致命的な傷を船体に与えた訳ではない。軌道がずれた船は、たまたま近くを通過中の惑星の引力に引きずられてしまった。


 その惑星には先住民がおり、二酸化炭素が多い空気は移住するには適さないと判定された小型惑星だ。


「大気圏に突入します。衝撃、10秒後。10、9……、突入!」


 僕は吐いた。生まれてはじめて味わう揺れと重力と加速。

 胃の内容物が空中を漂う。


 船は凄まじい速度で下降した。


「制御せよ、ハル。制御だ」

「ガランドード、次の衝撃がきます。耐えてください」

「これ以上は無理だ……、うわぁああああああ」


 どれくらいの時間を気を失っていただろう。


 目覚めると身体の上に見えない何百キロの重しがのっていた。押し潰されそうで、息もまともにできない。


「ハル、身体が動かせない」

「筋肉のせいです。あなたはずっと宇宙空間で育ってきました。惑星の重力に耐えられないのです」

「どうしたらいい」

「筋肉がつくのを待つしかありません」

「頭痛が止まらない。頭が割れそうだ」

「定時報告:船体右舷部損傷。穀物部一部損傷。動力部53パーセント損傷。船体推進不可能」

「すこしは良い報告を。う、嘘でも言え」

「AIに気休めを求めないでください。さらにですが、冷凍保存器が……」


 ハルが言い淀んだ。まるで感情があるような反応だ。有機コンピュータに感情などない。僕の心拍数を計測して、言うべきか論理的に思考しているのだろう。


 ハルの目標は、いかに僕たちを生かすかだ。


「なんだ」

「空中で飛び散りました」

「それで」

「大気圏突入時、開いた穴から散乱。地上に落ちる前に燃え尽きました」

「頭が痛む」

「あなたが最後のイエンラー人です」


 死にたかった。


 母さん、なぜ、僕を生んだ。惑星イエンラーの最後の生き残り。これに何の意味がある。


 偶然、たどり着いた世界はイエンラー人にとって毒でしかないよ。

 どうやって生き残れというのだ。


 リンディン、リンリン、リンディンッキ、リンディン


 警報音が頭に鳴り響く。

 あの衝突以来、常に、脳の片隅で鳴り続けている。


 リンディン、リンリン、リンディンッキ、リンディン


「ハル、あの警報音は誰が作った」

「問題がありますか」

「リズムが独特だから、頭に残る。君のセンスは理解不能だ」

「わたしのセンスに言及いただき、勉強になりました」


 笑うこともできない。すさまじい重力という名の苦痛に耐えるしか方法がなかった。



(つづく)

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