16歳の遺書
醍醐潤
16歳の遺書
「生きている限り、その命はいつかは尽きるもの。だから、その命を大切にして毎日を過ごしていかなければならない」
誰の言葉かは忘れましたが、そのような言葉をいつの日か、分厚い本の中で出会ったことを覚えています。
最近、私は大切な人を立て続けに失いました。私に長年、無償の愛情を注ぎ、成長を楽しんでくれた大切な人たちでした。
身近な人の「死」と初めて直面したのは、3歳だった時に曽祖母が亡くなった時のことです。
ただ、その時はまだ幼かった故、あまり曽祖母とは、顔は知っているものの、頻繁に会っていたわけではなく、特に何も泣くことなく葬儀・告別式に親に連れられ出席した記憶があります。
しかし、月日は流れ、身体と心も大きくなり成熟した状態、あの頃とは全く違う状況で、私は13年ぶりに「死」と直面しました。
最後を看取り、安らかな死に顔を目にし、「ありがとう」と声をかけ、後日に葬儀を済ませて、荼毘にふされた大切な人たちを過ごした家に送り届けた。──もっとたくさん会っておけば、もっとたくさん話しておけば、もっと優しい手を握っておけば、もっと「ありがとう」と伝えておけば……後悔と大きな喪失感に涙が止まりませんでした。
悲しみに暮れている中、私は同時にあることを考えました。
私が死んだ時のことです。
死んだらどうなるんだろう。今まであまり考えてこなかった「死」をよく考えるようになりました。
最初に断っておきますが、今の私には自殺願望など、これっぽっちもありません。
寧ろ、これからを一生懸命生きなければいけない、と強く思っています。
しかし、冒頭にも書いたように、人はいつ、死んでしまうか分かりません。
16歳。まだ高校生の私ですが、もしかすると、これを書いている次の日、永久の暗い暗い底へ落ちていって、もう皆さんの前に現れることが亡くなってしまうかもしれません。
誰だって、いつも、「死」と隣り合わせなんです。
生きているのが、当たり前。
でも、その当たり前が突然終わってしまうかもしれない。
こういう機会なので、私は自分が死んだ時のことを考えることにしました。
これから書くことは、私自身が亡くなった時のこと、亡くなって行く世界、そして、私が確かにみんなと同じこの世界で生きていた、その証です。
※
葬儀についてです。
遺影は、卒業アルバムの肖像写真にしてください。
プロのカメラマンが撮影してくださったので、かなり写真写りが良いです。あと、僕も良い笑顔で笑ってますので。
参列者は家族、親族の他にも友人たちも入れるようにしてください。
私が死んだら、棺の中にはたくさんの物を入れてください。
着ていたお気に入りの服はもちろん、あの人から譲り受けた帽子もお願いします。
私は本が好きなので、棺には必ず本を入れてください。出来れば十冊ほど。あちらに世界があるのならば、これぐらいあれば困りません。
小説の原稿も入れてください。先に逝ってしまった大切な人たちに読んでもらいたいからです。
お花は私が言う言わない関係なく入れられることでしょう。
次に納骨について。
直系の家系のお墓に最終的には入れて欲しいですが、その前にしばらくは母方の祖父母の家に持って行ってください。
そして、大好きだった祖父の骨壷の横に置いてください。
それが叶えば充分です。
※
天国や地獄といった死後の世界は本当に存在するのでしょうか。死んでから行く世界は、果たしてあるのでしょうか。
大好きだった二人は僕が呼びかけ続けるなか、眠るように息を引き取りました。
眠るように──眠ったんです。もう二度と覚めることのない眠りについたのです。
眠っていると、周りは真っ暗です。真っ暗だと感じない程に。
そんな空間の中で、まるで、赤く燃えて光る蝋燭の火のように、私の魂と呼ばれるものは、何も残さずなくなってしまうのでしょうか。
そうだとすると、それはもう、私ではありません。
楽しかった思い出、悲しい思い出、そして家族や友だちのことも。
全てをなくした私は、もう名前を持たない、何か、です。
心も消失して、一人で泣くこともできません。
残された人たちが私にかけた声を聞けません。
何も、できません。
「死」というのは、誰もが思っているよりもはるかにずっと残酷なものではないでしょうか。
よく言われる「楽になれる」とは程遠いものなのではないか。いや、心が消失しているなら、苦しみも快楽なんてものは、そもそも存在しないでしょう。
幸せは、心で嬉しい楽しい辛い悲しいを感じることなんですね。
「良い人生やったって」
父がお葬式の後、棺に収められた実父──私の祖父の安らかな死顔を見てこう言っていましたが、その言葉が含んでいる意味を幸せというのでしょうか。
※
天国や地獄はないのかもしれません。
しかし、それでも、今、生きて日常を過ごす中で信じている死後の世界が実際にあって、大切な人とまた会うことが出来るのなら、私は何も恐れず、死ななければならない時、その定めを受け入れられることでしょう。
そして、生まれ変わりという、新たな生命を授かり、もう一度、私は皆さんと同じ世界に生きたい。
私が死んでも──忘れないでください。
令和五年 一月二十八日
16歳の遺書 醍醐潤 @Daigozyun
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