第一帖 古本まつり
人の金せびって買った古本を受け取りながら「やさしい」と言う
こういうとき、常盤は素直になれない。素直でない女なのだ。
ちらりと横目に見やる。まだこちらに気づいていない。帽子のひさしを下げ、しかたなく常盤はつぶやく。
「しまった。サイフ忘れちゃった」
あいかわらずそいつは書棚を眺めたままだ。こっちを向く気配はない。
近藤
正直、久しぶりの再会でテンションは上がっているのだけれど、だからってハシャいでしまうのは恥ずかしいから、気持ちが表に出ないようにする。
こういうとき、常盤は素直になれない。素直になれないから厄介だ。
コホッ、コホッ。
常盤はぎこちなく咳払いをする。近藤が気づくように、聞こえよがしに。
「あれ? もしかして常盤か」
「………………ひさしぶり」
「もしかして、さっきの『サイフ忘れちゃった』のひとりごとは、俺に話しかけてたのか?」
「なんだ、聞こえてたんじゃん。だったら反応してよ」
「まさかこんなところで会うとは思わなかったから」
大学が夏休みに入ってから2週間ほど経った、8月中旬。ここ
「もっと喜んでくれてもいいんだよ? 久しぶりの再会なんだから」
「そう言うお前も、第一声が『サイフ忘れちゃった』だったのはどうなんだよ」
数年振りの再会というより、ついこの間まで毎日顔を合わせていたかのようなテンション。そんな平常運転が、なんとなく心地いい。
「サイフは落としたとか失くしたとかじゃないんだよな?」
近藤は紛失の心配をしてくれる。
「え……あ、うん。家に置いてきちゃっただけだから」
「で、俺はいくらカツアゲさせられるんだ?」
「
「じゃあ
「
店頭ポップには、文庫本1冊100円、5冊で300円と書かれている。この値段設定なら5冊分買ってしまいたい。
4冊まで選んでいた常盤は「なんか1冊ほしいのない?」と近藤に水をむけてみる。近藤は常盤が文庫を4冊抱えているのをちらりと確認すると、意図を察してくれたようで、「そうだなぁ」と言いながら、もう1冊を選定する。
ぽんと手渡されたのは『金子みすゞ童謡集』。
近藤はそのままなにも言わずに会計を済ませてくれた。
「やさしいじゃん」
「金子みすゞの話か?」
「……そうだね、うん。金子みすゞの詩って、やさしい言葉遣いだよね」
「俺はどっちかっていうと、孤独味を感じるけどな」
「へえ、どんなところが?」
古本市に出店している古書店の店先をブラブラしながら、近藤のみすゞ解釈を聴く。こういう会話をするのも文芸部時代を思い出してなつかしい。
楽しい。
「あ、そうだ。忘れないうちに連絡先交換しとこうよ。おいらの連絡先知らないでしょ?」
「一人称、変わってないんだな」
近藤はふふっと小さく笑う。常盤が一人称に“おいら”を使っているのは、小学生のころから変わらない。
「おいらはおいらだから」
「でも、スマホは持つようになった」
「さすがに一人暮らし始めたからね」
ラインの「友だち」にお互いを追加することになり、常盤は「どうやってやるの?」と近藤にスマホをあずける。近藤がブツブツ喋りながら操作していたのは、たぶん、操作手順を説明してくれてるんだろう。
常盤は中学、高校とケータイを持たずに過ごした。ケータイを持っていない人は相当珍しかったけど、周りが持っているというだけの理由でほしいとは思わなかった。それだけの話。スマホを買ったのは今年の春。地元を離れて関西の大学に進学し、一人暮らしを始めたときだ。
「京徳大学に受かったんだって?」
「知ってたんだ?」
「まあ、中学の同級生で京徳に行ったのはお前と小宮くらいだからな。耳にも入ってくるよ」
「……小宮にも会ったよ。パンキョウで一緒の授業があって」
小宮も中学の文芸部で一緒だった。高校ではそれぞれ別の学校に進学したけど、大学でまた一緒になった。小宮は文学部で、常盤は経済学部。近藤は小宮を追いかけるような形で同じ高校に行ったけれど、大学は室町大学に進学している。
「そうか」とだけ近藤はつぶやいた。
なんとなく話しづらそうな感じ。小宮のことをいきなり話題に出したら、そうなるか。
入試難易度でいうと京徳大学が西日本で随一なのに対し、室町大学はややランクが落ちる。近藤と小宮の二人は一緒に京徳大学を受験して、近藤だけ落ちたのだ。キマリが悪いところがあるのは事実。
それだけじゃない。この二人は……何て言うんだろう……いわゆる“恋人未満”の関係(?)なんだけど、どうもいまはねじれ気味なのだ。
――ちょっといまは、ビミョーな距離感なんだよね
小宮はそう言っていた。たぶん近藤のほうも“ビミョーな距離感”なようだ。
「いちおう聞いておくけど、小宮に対する感情は変わってないんだよね?」
「ああ」
その答えを残念に思ってしまうのは、きっとよくないことなんだろうな、と常盤は思う。
近藤はそれ以上何も言わなかったので、常盤も詮索するようなことはしなかった。
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