空の彼方、約束の場所

@kajiman

第1話 プロローグ

初めは小さな隙間だった。

幼い頃は、何か嫌なことや怖いことがあると、この隙間に身を寄せていた。


外で遊べる歳になると、隙間は一間いっけんほどの大きさになった。

石造りの小さな部屋で、手の届かない所に木板の窓もあった。


家から失敬しっけいしてきた踏み台を置き、木板の窓を開くと空が広がっていた。

それからは、嫌なことがなくてもここがお気に入りの場所になった。


村では髪の色や目の色をからかわれ、父母に似ない容貌ようぼうと肉付きの良くない細い腕をけなされていた。

だから友達はいなかった。

だから僕はいつも一人、窓から空を眺めていた。


窓の外には雲が流れ、日が登り日が沈む。

大きな島が浮いていたり、その島に生える樹木と同じくらい大きい鳥が飛んでいたり。

夢の中のような不思議な風景を、毎日毎日見ていた。


駆け足ができ、弓を引けるようになった頃。

僕が村で不義ふぎの子と呼ばれている事と、その意味を知った。


父は縦横に大きく、母も穏やかだがとても背の高い人だった。

僕はどちらにも似ていない。

珍しい髪色と目の色は母譲りだったので、だから不義の子なのだと村中の子供たちからからかわれていた。


悲しくて悔しかった。

父は無口だったけど、僕をとても愛してくれていた。

弓の引きかたも、森の歩きかたも父から教わった。

小柄な僕にぴったりな、息を潜めて隠れる方法も教えてくれた。


身体の大きな父が、なんで僕にぴったりな方法を知っているのかと聞いてみたら、昔は父も身体が小さかったと話してくれた。

でもすでに不義の子の意味を知ってしまった僕は、心の中でそれは嘘だと決めつけていた。


小さな部屋はその時には僕の部屋と同じくらい、子供用のベッドと小さな棚が置けるくらいの大きさになっていた。

窓も大きくなり、日当たりが良く段差のついたそこに、鉢植えでも置いてあげても良い気がした。


さっそく父が手慰みに作って放置していた木製のプランターを置き、底に穴を開け軽石を敷き詰め、森から持ってきた土を被せ木酢を撒いた。

そして甘くて大好きなヌマスグリの苗を植えた。


ちょっと考えれば、ヌマスグリの木がすぐに窓より大きく育つことが分かるだろうに。

この時の僕はそんな事実がすっぽり頭から抜けていた。


嫌なことから目を背け、ただ甘酸っぱい実を両親と食べることを夢想しながら毎日水やりをした。

月日が流れ季節が二回ほど巡った後、ようやく実ったヌマスグリの実は、しかし一つ残らず何かに食べ尽くされていた。


大きくなりすぎた枝が邪魔で、窓を閉められなくなったのがいけなかったのかもしれない。

窓枠の内側は剪定せんていしていたが、窓の外は一面の空で、身を乗り出すのが怖くて出来なかった。

それに、もしこの部屋が本当に空に浮いているのだとしたら、切った枝が遥か下にいる人に当たってしまうかもしれないと思うと、それも怖かった。


両親には森で摘んだ木苺を差し出した。

時期外れであまり量は採れなかったけど、母はとても喜んでくれた。

父はいつも通り無口だったけど、優しく頭を撫でてくれてほっとした。

僕は不義の子だったとしても、少しでも長く大好きな父と母とこの家で暮らしていたかったから。


次の日ヌマスグリのある部屋に行くと、様子が変わっていた。

重くて一人では動かせなくなっていたプランターが窓から下ろされて、その横の壁には何やら暖かい光を放つ玉が紐でくくられていた。


窓の木板は閉じられていて、プランターのあったスペースには銀色の小石を重しにして、うねった土虫のような線が書かれた葉っぱが置かれていた。

母に見せたところ土虫のようなうねりは、「全部食べてごめんなさい。美味しかったです」と書かれた文字だったらしい。

銀色の小石はきっとお詫びと食べた物の代金だろうから大事にしまっておきなさいと言われた。


このことでヌマスグリを内緒で育てていたことがばれてしまい、昨日の木苺がその代わりだったことも話すことになった。

父がまた頭を撫でてくれた。

母は来年のヌマスグリを楽しみにしていると言って笑った。


この頃、毎日出掛けていくのに村の子たちと一緒にいない僕のことを、両親がとても心配していたことを後から知った。



◆◆◆◆◆


夏になり十歳になった僕は、森の浅い場所だけでと制限は付くものの、ようやく一人での狩りを許されるようになった。

秋になり慣れてきた頃には、週に四羽の野うさぎを獲れるようになった。


狩りの納めは七割五分があの村の決まりだった。

だから四羽獲れたら三羽の皮と肉を納めなければならない。

先代の頃には五割だったらしいが、実りの多い山で暮らす狩人と山間の貧しい農夫の暮らしの差を埋めるためとして、代替わりをした村長が勝手に決めた。


元々狩人たちの村だったこの村に農夫は後からやってきた。

飢饉ききんを招いた領主が、豊かだったこの村に食いっぱぐれた農夫を押し付けたのが今の村の始まりだったと隣に住んでいたおじさんに聞いたことがある。


おじさんも狩人だったけど村長の代替わりの時に出ていってしまった。

おじさんだけじゃない。狩人は年寄りと父以外、みんな出ていってしまった。


話を戻そう。


ある秋の日、狩りで得た獲物を村長に納めに行ったときだった。

三つ年上の村長の息子に父をけなされた。

納めた野うさぎを足蹴あしげにされ、不義の子と分かっていながら黙って育てている父を腑抜ふぬけ者だと嘲笑あざわらわれた。


家に帰って初めて母をなじった。

父に頭を垂れて許しを請うた。


母に初めて叩かれた。

そして母は父の腰から短剣を引き抜き、憤怒ふんどの形相で家から飛び出そうとしたところを父に羽交い締めにされた。


いつも穏やかで優しい笑顔しか見たことのなかった母の怒りに触れ、とても怯えたことを今も覚えている。

いつもいかめしい顔でただじっと僕を見守ってくれていた父の、初めて見たはずなのに何故かとても見覚えのある困り顔を見て、僕はほっと胸を撫で下ろした。


ああ、僕は両親の子なのだと。

収穫祭の日に母の銅鏡かがみ越しに見た、おめかしされて困った顔をしていた僕の顔がそこにあったから。


ほっとしたのもつかの間。

短剣を取り上げられドアも父の身体で塞がれてしまった母が、行き場のない怒りをはらんだ目で僕を見た。

それが恐ろしくて、僕はとっさに鍵を取り出しいつもの部屋に逃げ込んだ。


何回も何回も百まで数を数え、それでも落ち着かなくてもう一度百まで数を数えた。

ここはとても静かだけど外のことは分からない。

念のためもう一度数を数えてから扉を開いて外に出た。


待ち構えていた両親に抱き締められた。

母はもう怒っていなかった。とても、とてもとても泣いていた。

僕はびくびくしながら「ごめんなさい」と謝った。


涙声で上手く伝えられなかったけど、母は何度も何度も頷いてくれた。

父も頷いてくれた。

父の頬は両方とも赤く腫れ上がっておりとても痛そうだった。

それを見ていると、父はまた困った顔をしていた。


こうして僕は少年期を迎え、両親と二つの約束をした。

あの部屋のことは、大人になるまで誰にも話さないこと。

そして父からは剣を、母からは読み書きを習うこと。


そうして僕ら家族は村を出ることを決めた。

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