淫魔でもあり、人でもある

「……やっべえ、なんだこれ」


 その日の夜、俺は凄まじい感覚に悩まされていた。

 幼いサキュバスたちが放った魔法が軽く当たって頭を揺らした瞬間、そこから何かスイッチが切り替わったかのように、俺はアリアたちを直視することが出来なくなってしまった。


「……母さんにも少し心配を掛けちまったな」


 アリアや他のサキュバスだけでなく、母さんすらも同じだった。

 この感覚……もう忘れかけていることではあるが、初めてこの世界に産まれ落ちた時と同じ感覚だ。

 あの時は赤ん坊だったから体に変化はなかったけど、サキュバスの母さんやナナリーさんを見てエロいなぁと内心では興奮していた。


「……こんなにドキドキしてやがるし」


 心臓の鼓動は凄まじく、きっと今血圧を測るような機械でもあったらとんでもない脈拍を叩き出す気がする。

 まあそんなものはこの世界に存在しないので確かめる術はないのだが、それにしては今の俺は妙な状態にある……何となく、本当に何となくだけど俺はある仮説を立てていた。


「感覚が……人間の時に戻ってる?」


 ボソッと呟いたがそれに近いものではないかと考えた。

 どうしてそうなったかは分からないが、あの魔法が軽く頭に当たった影響としか考えられない。

 そんな簡単なことでと言いたくはなるものの、こうなってしまってはそう考える他ない。


「あの時、幼いサキュバスに触れただけでヤバかったしな」


 一瞬だけ俺ってロリコンだったのかと戦慄したものの、あれはそうではなく単純に彼女たちから垂れ流されているサキュバスの魅力に体がビックリしただけだ。

 俺はやっぱりアリアやエクシスといった体に凹凸のある方が好みだし……というかもう十数年をこうして生きたのだから慣れがあるのではと思ったけど、もしかしたら人間としての感覚が今正に生まれたからこんなにドキドキするのかもしれない。


「……どうするよ俺ってば」


 正直なことを言えばさっきからムラムラが止まらない。

 今の状態が一時的なのかどうかすらどうでも良くなってしまうほどに、体が熱を持ちすぎて大変だ。

 姿を隠して人に擬態しているならいざ知らず、ここはサキュバスの里ということで住んでいる女性全員がありのままの姿で生活し、それこそ彼女たちの気とも言える空気が里全体に溶け込んでいる。

 そんな中で興奮するなというのがそもそも酷な話だろう。


「ライア、入るわよ?」

「っ……おう」


 やっぱり様子を見に来たかと、俺は姿勢を正した。

 扉が開いて母さんが入ってきたのだが、母さんは心配そうな眼差しで俺を見つめているが俺からすればたまったものではない。

 目の前に居るのはは母親……それは絶対なのに、サキュバスの女王として醸し出される母さんの雰囲気に意識が持って行かれそうになる。


「本当に大丈夫? 今日帰ってきてから随分と様子がおかしいから」

「いや……マジで大丈夫なんだ。ただちょっと体が熱いっていうか」

「体が熱い……失礼するわね」


 母さんが俺の前に立ってペタペタと体に触れてくる。

 優しい手付きと共にむわっと鼻孔をくすぐる濃厚なサキュバスの香り……俺はどうにか鋼の精神でそれを耐えようとするが、分かりやすく体に変化が起こる。

 ただ、母さんは心配の面が大きいのか気にはなってないらしい。


(……まるで尋問だこれ)


 これがもしもただの人間だとしたら……それこそ、魔力なんてものに触れていない前世の俺自身として母さんの前に立ったとしたらどうなるか、それは想像に難くない惨状を招くはずだ。

 この世界で生きているからこそ分かるけど、人間たちはある程度魔力に触れて生きているので大丈夫だろうけど、もしも本当にただの人間だとしたらサキュバスを見た瞬間に果ててしまうぞ絶対に。


「……ふぅ」


 小さく深呼吸をすると段々と鼓動が静かになっていくのを感じた。

 母さんに抱く興奮は凄まじいものの、心配をさせてしまっているのが申し訳ないと考えると興奮は冷めていく。

 申し訳ないとは思いつつも、この考えに今は頼るしかない。


「う~ん、本当に大丈夫そうね。いつも同じライアだし……でもちょっと雰囲気が変わったかしら? 気のせい……かしらね?」

「さ、さあ……」


 まあ感覚の変化だけで俺自身が変わったわけではないため、母さんも僅かに違和感を抱いてもその程度なんだろう。

 母さんが動くたびにプルンプルンと震える凶悪バストが目に毒だが、俺は何とか耐え切ることが出来た。


「……しんどいってぇ!」


 俺はそう言ってベッドの横になった。

 既に辺りは暗くなっているがサキュバスの里はこれからが本番……つまり、更にサキュバスの気配が濃くなってきたわけだ。

 今日は珍しく母さんももう寝ると言っていたので、俺は特に何も言わなくて良いかと家を飛び出した。


「……良いね。匂いはバリバリ感じるけど涼しい」


 羽を動かして空を飛ぶと涼しい風が吹き抜けていく。

 そうして俺が向かった先はあの巨大な木の枝、俺とアリアだけが知るあの場所だ。


「流石にここまで高い場所だとサキュバスの空気は薄いか」


 ずっとここに居るわけにはいかないけど良い感じに落ち着けそうだ。

 ただ……まるで示し合わせたようにこの場に向かってくる気配がある――どうしてここにと思ったけど、何となく彼女が来る予感はしていた。

 月明かりに照らされて現れたのはアリア、彼女はそっと俺の前に降り立つ。


「アリアか」

「何をしてるの……ううん、何かあったよね?」

「……………」


 流石幼馴染、俺のことを本当に良く分かっている。

 アリアからも当然サキュバスとしての色気は漏れ出しているし、その体も極上のスタイルなので視線が釘付けになりそうになりながらも、本能としての恥ずかしさが勝るように視線を逸らす。


「……ごめんアリア」

「ううん、謝らなくて良いよ。たぶんリリス様も心配したんじゃない?」

「気にはなってたみたいだな。ただ、俺が強情に大丈夫だって言ったから」

「そう……隣に座っても良い? 近づいても大丈夫?」

「っ……おう」


 どうやら、俺が避けていることすらもアリアは勘づいているようだ。

 そもそも日中に彼女と特に挨拶も無しに別れたので、ずっとアリアにも気にさせてしまったのかもしれないな。

 彼女は俺の隣に座り、予め置かれていた毛布に包まった。


「私さ」

「あぁ」

「ライアと随分長く一緒に居たから。だから分かるの――今のライアが何か困っている状況だってことは」

「流石幼馴染じゃん」

「えへへ、でしょ?」


 ニコッと笑ったアリアは俺の顔を覗き込み、こう言葉を続ける。


「ライアはどこか年上のようで、昔から私は甘えてた。だから、今度は私がライアのお話を聞く番だよ」

「アリア……」

「良かったら話してくれないかな? ライア、何を悩んでいるの?」

「……………」


 何やこの子……女神かよ。

 彼女が言ったようにアリアよりも遥かに思考が成熟していたため、懐いてくれる小さな女の子を相手する感覚だった。

 それが今はこんな風になったわけだけど、本当に頼りになるというか女性として魅力的な子になったなと感慨深い。


(あ~……そうか。今は感覚が人間と同じだから、この子のことをとても魅力的に思えるんだ。いや、それは今までと何も変わらないけど……この感覚はたぶん、恋というかそんな感じのモノだ)


 淫魔は恋という明確な感情を抱くことはない。

 ただ相手のことを気に入るかどうか、親愛のような大きな愛で包むかどうかでしかない……やれやれ、まさか淫魔の体でこんな風にアリアのことを思うなんてな。


「アリア」

「なに?」

「悩みは……ある。でもその前に伝えたいことがある」

「何かな?」


 アリアに手を伸ばす。

 彼女はただ俺の手を見つめ、抵抗することもなく受け入れた。

 彼女に触れた瞬間、体をゾワッとした感覚が通り抜けたのは変わらない……母さんを前にした時よりも興奮の度合いが凄まじいことになっている。

 それでも俺はこう彼女に伝えたのだ。


「俺さ、アリアのこと凄く好きだ。一人の女の子として」

「……え……えっ?」


 彼女に話したいことは多くある。

 でも……今はまず、こう伝えたかった――もしかしたら再び淫魔としての感覚に戻った時に抱けるか分からないこの気持ちを。

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