ヤバい
「……いやぁ伸び伸び出来ますなぁ」
魔法になれるための特訓の一環であり、ラグナディアの王都へと意識のみを転移させた俺だが……あまりにも快適すぎて普段と何も変わらないんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。
「……しっかし、これが娼館かぁ。新鮮な気分だぜ」
以前のように眩暈はなく、体の調子も万全だが移動範囲は限られている。
仕事もあり娼館のオーナーであるロアさんは滅多にこの建物から離れることは出来ないため、必然的に俺が動ける場所はこの辺りしかない。
それでもどこに用があるわけでもないし、こうしてこの場に留まるだけでも魔力の流れに関しては段々と掴めていけそうだった。
「こ、ここが……胡蝶の館」
「王国で……いや、この大陸において最高の娼館って言われてる場所……」
「……ごくりっ」
認知することの出来ない俺の傍で、タイプの違う三人の男が入口に佇んでいた。
ふくよかな男、ひょろっとした男、痩せすぎな男……まるでファンタジーものの物語に出てくる最初のやられ役みたいな三人だ。
「入らないのか?」
思いがけずというよりはあまりにハッキリしない様子につい口を挟む。
以前の俺ならこの気持ちは分かっただろうけど、淫魔としての感覚のせいか足踏みをするくらいなら突っ込んじまえと思うようになったほどだ。
ただまあ、こうして俺が口にしたところで伝わるわけもない。
「うん?」
しかし、ロアさんが言っていたようにこの娼館はある意味で特別だ。
同族であるサキュバスはもちろん、何かしらの理由があって表では生きていけなくなった女性たちを雇い、絶対の安全と生活を約束している。
そんな気遣いと共に手を差し伸べられた女性たち――彼女たちは人が出来ていた。
「お客様、お悩みでしょうか?」
三人の元に一人の女性が現れた。
彼女はサキュバスではなく普通の人間であり、この娼館に勤める人だ。彼女の背後から更に二人女性が現れ、三人ともにとても優れた容姿と抜群のスタイルを誇っている。
「娼館に足踏みをする気持ちは分かります。ですが、ここより先は最上のおもてなしで夢のような時間を届けさせていただきますよ」
「どうか私たちに身を委ねてくださいませ」
「あなたの時間をくださいな。決して、無駄にはしませんよ」
彼女たちは男性たちにしな垂れかかるように、腕を抱くようにして店の中へと引き入れて行った。
なるほど、あれが魔性の女たちの誘いテクかと勉強になる。
ちなみにロアさんを含めた他のサキュバスたちだが、基本的に人間として生活しているので従業員にもサキュバスだとは知られていない。
「坊ちゃま、ここにおられましたか」
入口で今の光景を眺めていた時、ロアさんが声を掛けてきた。
ただ俺のことを認識出来るのが彼女だけということもあり、途中でロアさんはハッとするように周りをチラチラと見て俺を隅っこへと連れて行く。
「私からは普通に見えていますので、やはり気を抜いてしまいますわね」
「ごめんなさい。かなり面倒を掛けているようで……」
「そのようなことはございません。リリス様のご子息と触れ合える瞬間、それはサキュバスとしてとても誇らしいことですから」
そんなになのかと俺は苦笑した。
ここに居る従業員が如何に彼女を信頼しているとはいえ、流石にずっとこんな隅っこに一人でブツブツと呟く姿を見せてしまっては不安に思われてしまう。
また話は後に、ということでロアさんは仕事に戻った。
どうも彼女は意識体とはいえ俺を預かっているということで、定期的に姿を確認しないと落ち着かないらしい。
「なんか……それはそれでちょっと申し訳ないな」
意識体である以上は何かしらの脅威があるわけでもない。
何ならすぐに元の体に戻ることも出来る……いや、こんな風に楽観視するからこそ危険を招く可能性だってあるのか。
「気を付けるべきだな……よし」
俺に何かあったら悲しむ人たちが居る……それは念頭に置いておかなければ。
「でも……暇だな」
サキュバスの里に残された自分の肉体から流れる魔力、この流れについては簡単に説明する蛇口から水が出ているため、それを上手いことちょろちょろと水が出るように調節するイメージだ。
イメージは簡単、しかし意外と急に出したりぷつっと途切れてしまったりするのでやはりやってみて分かる曲者加減である。
「それにしても……ロアさんには驚いたな」
今回どうしてロアさんが引き受けてくれたのか、それは母さんが彼女に頼み快く引き受けてくれたのはそうなのだが、それ以上に適役だった。
一番の理由がロアさんが秘める魔力の多さにあり、彼女の保有魔力はサキュバスの中でも母さんに次ぐレベルらしく、それだけで彼女の強さがよく分かる。
「……え?」
さっきまでと同様に入口付近をブラブラとしながら魔力に関して考えていると、俺よりも若干幼い少年の姿があった。
たぶん年齢的には14歳くらい、人間だと中学生だ。
そんな男の子が顔を赤くしてこの建物を見つめており、まさかその歳で色々と目覚めちまっているのかと思ったが、異世界だし仕方ないかなとも思える。
「あら、いらっしゃい♪」
「お姉さん!」
そんな少年の元へ一人の女性が近づく。
その女性もここの従業員で彼女に関してはサキュバスだ――少年は女性の豊満な胸元に顔を埋めるように抱き着き、女性はよしよしと頭を撫でながら抱き上げた。
「今日も来てくれたのね?」
「うん。お姉さんに会いたかったから」
「あらあら♪ うふふ、それじゃあ行きましょうか」
……ショタですか? ショタ食いのサキュバスさんですかね?
部屋に消えて行った二人が何をするのか分からないが、きっと娼館なのでやることは一つなんだろう。
ああいうのもあるんだなと思いつつ、俺は改めて王都の街並みを眺める。
「……良いねぇ」
サキュバスの里にはない賑やかさ、そして明るさが王都にはある。
人間ではない分夜の感覚が長い里の方が落ち着くけど、確かに人間であればこれほど栄えた場所であれば過ごしやすそうだ。
「……意外とそうでもないのか?」
明るい場所があれば暗い場所があるように、光があれば影がある。
騒がしい雰囲気と共に、どこからか陰鬱な雰囲気も漂っているような……おそらく何かがあるんだろうなとは思うが、正直そこまで気にはならない。
それから数時間ほど、何度か様子を見に来てくれるロアさんに感謝をしながら過ごしていた時だった。
「……誰だ?」
ふと、目の前を白いフード付きのローブを着た何者かが横切った。
体格的におそらくは女の子と思われるのだが、その子は何故かこの娼館の前をウロウロと行ったり来たりしている。
その存在を見ていると……俺は何故か知っているような気がしてならない。
まるで会ったことがあるような、それこそ話もしたことがあるような感覚……俺の頭の中に彼女が――エクシスの顔が浮かんだ。
「……まさか」
君はエクシスなのか? そう口にしようとしたその時、その子が顔を上げた。
フードで顔は隠れているものの、彼女は俺の目の前に立っているのでその正体はすぐに分かった――この子は間違いなくエクシスだ。
王国の聖女であるエクシス……王都だからこそ、ここに居るのは分かっていたがまさか本当に会うことになるとは。
「いや、別に会っちゃいないんだけどさ」
俺はあくまで意識体であるため、肉体はここにないので会っているわけではない。
彼女も俺のことが見えていないし声すらも聞こえていない……そのはずなのに、俺は何故か彼女に恐怖を感じて一歩下がった。
「……え?」
一歩下がると彼女は一歩前へ……つまり、俺へと近づいている。
更に一歩下がる、彼女は一歩前へ、二歩下がると彼女は二歩前へ……俺たちの距離は縮まらない。
「そこに……居られるのですか?」
「っ!?」
頬を赤く染め、にんまりと薄気味の悪い笑みをエクシスは浮かべた。
彼女は腕を伸ばして俺に触れようとするが、当然のように俺に触れることは出来ずに彼女の手は空を切る。
しかし、彼女はまるで存在しない俺を抱きしめるかのように両腕を広げた。
「……あぁ♪」
恍惚としたエクシスの顔を見た時、俺は恐怖に耐え切れずその場から駆け出した。
それはもう恐ろしい速さだった自信があるほどで、俺は背中に羽があることすら忘れて陸上の短距離選手並みに駆けた。
向かう先はロアさんの元へ。
「ロアさん!」
「坊ちゃま!?」
高貴そうな男性の相手をしていたロアさんは俺の様子に気付いた瞬間、男の頬を思いっきりぶっ叩いて気絶させ、俺を迎え入れてくれた。
……ごめんたぶん貴族の人。
めっちゃ怖かったから許してほしい。
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