5・シルヴィオの本心
ついに契約期限まで一週間を切ってしまった。
だというのに、表向きの私たち夫婦にはなんの変化もない。シルヴィオは妻を愛する夫を完璧に演じている。私が離婚はどうするのかと尋ねても、のらりくらりとかわして具体的なことは一切口にしてくれない。
幸いというか、幼少期の誤解は解けている。シルヴィオにいじめのことを確認したら、本人にそんなつもりは皆無だったと説明された。そもそも当時も彼の両親が私に謝罪と共に伝えたという。
でもまったく記憶にない。
多分、カエルとトカゲのショックが大きすぎて他の記憶が飛んでしまっているのだと思う。私は彼の宝物を投げたことを謝り、お互いに許しあった。
けれどそれで私たちの仲が変わることはなかった。
でも今日こそ、きちんと話し合うのよ。
「ねえ、シルヴィオ」
いつかの晩と同じように、寝台に入ろうとしている彼に声をかける。
「あなたは任せてくれと言うけれど、私は不安なの。どのような離婚になるのか、教えてください」
立ち上がり、頭を下げる。契約結婚を申し込まれたときと逆だわ。
あのときはまさか、シルヴィオを好きになってしまうとは思わなかった。辛い。けれど演技でも彼の妻でいられたことは嬉しかった。
シルヴィオがゆっくりと振り向いた。やっぱり視線は合わない。険しい表情をしている。そんな顔を見るのは、ずいぶんと久しぶりだわ。
「……知りたいか?」
「ええ」
彼がやって来る。
「どうしても?」
「ええ。もう一週間だもの」
私を見ようとしない目をみつめる。
「……ノープランだ」
なんですって?
「なにも考えていない」
「どういうこと?」
だって、任せてくれとあんなに言っていたのに。
「イレーネを騙した」とシルヴィオ。「最初から、離婚するつもりなんてなかった」
「ええ?」
頭が混乱して、思考がまとまらない。最初からってなに? 公爵のためにずっと偽夫婦を演じるつもりだったということ?
シルヴィオと目が合う。
次の瞬間、彼が床に座り込んだ。頭を床につける。
「頼む、このまま妻でいてくれ!」
「ど……どうして? そりゃ公爵夫妻は喜ぶとは思うけれど」
「好きだ」
え?
「ずっと、学生のころからずっとイレーネを好きだった!」
「それって設定では……」
「違う。本当だ。友人たちはみんな知っている」
鼓動が激しくなる。
「待って。どういうこと?」
「俺はイレーネが婚約破棄されるのを八年待っていたんだ!」
いつだったか、彼の友人たちがそんなことを言っていたような……
「ウズリーを溺愛する陛下は、じいさんがどんな手を使っても婚約を解消してくれなかったから」
はい?
「だから俺はウズリーのアホさに賭けるしかなかった! 待って待って、狂いそうなほど我慢して、ようやくイレーネを手に入れたんだ。失いたくない! 頼む。演技で構わない。イレーネが望むことならなんでもするから、俺の妻でいてくれ」
力が抜けて、私も床に座り込む。
「……シルヴィオは私を好きなの?」
彼が頭を上げる。端正な顔が涙をでぐしょぐしょだ。
「好きだ」
「今までの、溺愛している演技って……」
「真剣に口説いていた! なんとか俺に惚れてもらいたくて」
じゃあ、とろけるような笑顔も甘い言葉も、繰り返されるキスも全部?
「卑怯な手を使って悪かった。でもどうしてもイレーネをほしかったんだ」
「なんで最初に言ってくれなかったの? 契約結婚だなんて」
「ギリギリまで迷った。普通に求婚しても断られたら詰む。契約結婚のほうがまだ、望みがあると考えた。一年あれば、俺にほだされてくれるかもしれないだろ? ……結局ダメだったが」
ぐるぐると思考がまわる。うまく頭が働かない。嬉しすぎるのだわ。
「……私、ずいぶん前からあなたを好きよ。ずっと『契約結婚を完璧に演じるイレーネ』を演じていたの」
「……本当か?」
「本当よ」
「離婚はしなくても?」
「私も嫌だったの。でも契約は守らないといけないと思っていたから」
シルヴィオの手が伸びてきて、頬に触れた。
「イレーネ、愛している」
「私もよ」
「演技でなく、契約でもなく、俺の妻になってほしい」
「なるわ! ずっとあなたの言葉が本物だったらいいのにと思っていたの」
「効果はあったのか」
「絶大な、ね」
初めてのキスは、涙の味がした。私のではなく、シルヴィオの。
◇◇
結局のところ公爵夫妻には、シルヴィオと私の結婚が契約に基づくものと気づかれていた。シルヴィオも知らなかったらしい。
なんでだと不思議がる孫を見ながら祖父母は私に、
「こんな腰抜けの臆病者だが、末永く愛してやってくれ」
と言ったのだった。
とても嬉しかったわ!
けれどやっぱり、孫に甘すぎるのではないかしら?
《おしまい》
◇おまけ小話『シルヴィオと悪友たち』◇
(3話のカードゲームのあとのお話)
「は? 契約結婚?」
「……そう」
ついに、友人たちにイレーネとの結婚の真相を話した。できることなら隠し通しておきたかった。初恋の相手に二度目の恋をして、あげくに八年もこじらせた結果、プロポーズをする勇気を持てなかっただなんて、さすがに情けなくて知られたくなかったからだ。
だがこのまま黙っていたら、俺がイレーネに提案した『設定』が事実であると、彼らからバレてしまう。背に腹は代えられない。
「マジかよ、お前……」
友人たちが絶句している。俺に向ける目は可哀想なものを見るそれだ。自分でもわかっている。俺は卑怯な臆病者だ。
「絶対に彼女を手に入れるには、これしかなかったんだ」
「……シルヴィオって、イレーネが絡むと途端に残念になるよな」とジョシュ。
「学年首席の脳みそなのに」とはカーライル。
「仲良し夫婦のフリにかこつけて、セクハラ三昧かよ。ヤバいな、お前」マッケンは呆れ口調だ。
そのとおりすぎて、なにも言い返せない。
「頼む、協力してくれ」
「そりゃするけど」とジョシュ。
「俺たちずっと応援してきただろ?」カーライルが優しく微笑む。「俺は常にお前の恋が叶うほうに賭けてきたぞ」
「倍率が高いからだろ」とマッケン。「まあ変態だろうが悪友には変わらないからな」
「変態ではない、と思う」
「自覚無しかよ」呆れ声のジョシュ。
「顔がいいって得だよな」とはマッケン。「契約者でしかない相手の顔や手を舐め回しても、平手打ちを喰らわないでいられるんだから」
「舐め回してなんていない! キスだ」
「同じ」と断じるカーライル。
「ま、あれだな」ジョシュがカーライルとマッケンを見る。「イレーネが耐えられなくなりそうだったら、彼女を助ける」
「だな」とカーライル。
「彼女もシルヴィオがこんなにヤバい男だとは思わずに契約したんだろうからな」マッケンがしたり顔で言う。
「シルヴィオ」カーライルがまた笑顔を浮かべている。「頼むから犯罪者にだけはなってくれるなよ」
「誰がなるか!」
「いやいや。紙一重だぞ」とジョシュ。
「そんなことはない! ……はず」
「まあイレーネは異性に免疫がないだろうからな。案外セクハラまがいのアプローチでもときめいてくれるかもしれない。シルヴィオは中身はともかく顔はいいから」とはマッケン。
「絶対にときめかせる! それで俺に惚れてもらうんだ」
「……ま、がんばれよ」引き気味のジョシュ。
「遠巻きに応援している」笑顔のカーライル。
「運はシルヴィオに味方しているみたいだから、なんとかなるさ」マッケンは珍しく優しい言葉をくれた。
そうだ。俺は人生の賭けに勝ったのだ。これはきっと、イレーネを真に捕らえられたということに違いない。
一年の間に絶対、イレーネの心も手に入れてみせる。
……もしダメだったなら。離婚を拒否すればなんとかなるだろうか。
《おしまい》
仲の悪い令息から契約結婚を持ち掛けられたのですが、いくらフリでも溺愛しすぎではないでしょうか? 新 星緒 @nbtv
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