第6章 第1話 エンシャント財団
「アイリの記憶はまだ戻っていない。でも精神的には大分落ち着いてるよ」
巴はアカデミーブロックの一室を使って、愛莉の様子をチェックしていた。愛莉のアバターは元の姿に戻り、今は眠っていた。
「……」
「ペルタが拐われたのは、あなた達のせいじゃない。悪いのは拐ったテロリストだけ」
鼎はペルタが誘拐された事について、かなり落ち込んでいた。愛莉の救出を優先した事が原因だと思ってしまっているのだ。
「どーせその様子じゃ、次の作戦が思いついて無いんでしょ」
鼎は答えないが、しばらく続いた沈黙が肯定した。あまりにも静かだったので耐えられなくなった桃香が、自分の所の事情を話した。
「ボクもテロリスト相手に思った様に立ち回れなくてさぁ…まぁ前みたいに変な兵器使われなくて良かったけど…」
「あの時は驚いたよ…アバターに急性放射線障害みたいな症状が出るなんて初めてだったから」
ナガレが所属しているテロ組織との戦いで、一度ストリートが破壊された事もある。ストリートの復旧にも、アバターの修理にも時間がかかった。
「無理矢理賭場の連中を動かしても良いんだけど、テロ組織相手に積極的に戦ってくれる奴ばかりじゃないからなぁ…」
桃香はブラックエリアの一角にある賭場を仕切っている実力者である。彼女のテリトリーで活動する者は皆配下と言っていい。
「桃香もすぐに動ける訳じゃないんだね。それなら私がくされ…じゃなくて友達に協力を頼んでみるよ」
「今腐れ縁って言おうとしたよね?」
巴としてはあまり頼りたくない相手だったが、今回は早く動く事にした。少女がテロリストに誘拐されたという時点で、一刻を争う事態だからだ。
ーー
(あー寒い)
巴は既に12月を迎えたエリア015の街並みを歩いていた。彼女は助けを借りるため、とある財団の本部へ向かっていた。
『まずは財団の本部に来て欲しいです、それから私の家で話しましょう』
(会いたくないなぁ…)
巴にとっては腐れ縁であると同時に恩もあるので、頭が上がらない。それでも今回は深刻な状況なので、財団を頼るのが最善策なのだ。
ーー
(ホント大きい建物だなぁ…015は建物の高層化に制限があるから仕方ないけど)
エンシャント財団本部の敷地はかなり広く、建物も立派だった。外観も周囲の建物に似た見た目をしており、景観を損ねていない。
「西園寺巴さんですね。事前に連絡は頂いております」
受付の案内に従って、巴は代表理事の執務室へと向かう。その途中でも、財団の職員達が働いている様子を見る事ができた。
「随分色々と、事業を展開しているんですね」
「はい。文化の保護とエリアの発展は矛盾しません。私たちは、015の正しい発展を願っているのです」
エンシャント財団の設立当初の目的は文化の保護だったが、方針転換により015独自の新技術の研究も開始した。技術の発展を、文化財の保護に活かそうとしているのだ。
「最近作ってたのは、外見は変わらないけど中身は最新鋭の器具だったよね。アレの性能は他のエリアで量産されてる機械に劣ってないよ」
「ありがとうございます」
そうして歩いているうちに、代表理事の執務室が近づく。執務室に近づくにつれて、巴の表情が渋いものになっていく。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ごめん…大丈夫」
別に体調が悪い訳ではなく、本当に会いたくないだけだった。代表理事…彼女の性格を知っているので、どんな対応をされるか明らかだったからだ。
ーー
「おーほっほっ…私の助けが必要ですのね」
「ええ…まあ…はい…」
ハイテンションな代表理事、赤い髪をセミロングにした女性、松崎秋亜を前にした巴は明らかにテンションが下がっていた。彼女に対しては恩があり実力も認めているが、それでも苦手なのは変わらなかった。
「ここで話すのも良いけれど、私の家に来た方が話しやすいのではなくて?歓迎しますわ」
「いやここでいいと思います…」
「私があなたを家に招きたいの!歓迎しますわ!」
「…分かりました」
秋亜のノリに押された巴は、ほとんど無抵抗になっていた。秋亜に連れられて、巴は彼女の家に向かう事になった。
「まだ業務時間中ですよね。放っておいて大丈夫なんですか?」
「アナザーアース…特にブラックエリアの情勢は常にチェックしていますわ。誰かから相談がある可能性を考慮して、あらかじめ調整しておきました」
015でアナザーアースが認可された直後から、エンシャント財団は仮想現実にも進出しようとしていた。ハイクオリティな仮想現実を実現させている技術を、既存のシステムの進歩にも応用したいのだ。
「さあ、行きますわよ」
財団本部の前には、既に秋亜私用の車が停まっていた。派手さは一切ないよくある見た目の車だが、かなりの高級車だった。
ーー
「他所のエリアで生産された余計な機能はついていませんの。音楽を流したい場合は機能を後付けしなければいけませんが…」
秋亜の車には、最新鋭のCDプレイヤーがついている。これは015の許可を得て持ち込んだ、他のエリアで製造された機器だった。
「アナザーアースに進出して…具体的には何をするつもりなんですか?」
「まだ手探りの段階ですわ…015は仮想現実関連についてはだいぶ遅れてますので…」
そんな話をしているうちに、車は秋亜の邸宅に到着した。かなりの豪邸だったが、周囲の雰囲気に合わせた落ち着いた外観だった。
ーー
(インテリアも落ち着いてるな…)
秋亜の邸宅にある家具や調度品は、全てアンティーク調だった。あちこちに置いてある旧世代の器具も、手入れが行き届いている。
(それに比べて私の家は…)
巴の家のリビングには、大小様々な天球儀が置いてある。旧世代の機器が好きな人にとったら良い空間だが、散らかっているだけの様にも見える。
(悔しいわけじゃない…)
ーー
「秋亜さんはアナザーアースで起きた事件のニュースはどの程度確認してるんですか?」
「アナザーアースの治安は“基本的”には良いですからね。ストリートエリアのニュースもイベント情報くらいしか流れて来ません」
「ブラックエリアの情報は、チェックしていますか?」
「ブラックエリアは犯罪が日常茶飯事ですわね。全ての事件を確認する事は出来ませんわ」
秋亜達エンシャント財団は、まだアナザーアースに本格進出している訳ではない。仮想現実のチェックをあまりしていないのも、仕方ないだろう。
「という訳で、あなたから聞きたいのですわ。どんな事件が発生して、助けを求めているのか」
「…あるゲームのNPCの少女が、テロ組織に誘拐されたんです。救出に協力していただけますか?」
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