76:銀の鍵編エピローグ
僕は転移封じの発動を開始する。しかし、お祖母さんは得意げな様子で僕に告げてきた。
「おっと判断が遅いな。私が自ら姿を現したのは、魔力を回復するための時間稼ぎだったのだよ。魔力が少しだけ足りなかったのでね。もし私が姿を見せなければ、君たちは転移を封じてから私を探し始めたはずだ。でも姿を見せたから、すぐには封じなかった。おかげで君たちが転移封じを完了するよりも、私が空間転移を終える方が早い!」
お祖母さんは背後に転移のための"門"を創造する。老練の魔術師が成せる技なのか、異様に魔術の完了が早い。
ヴァーリが即座に矢を打ち込むが、障壁も用意していたようで弾かれてしまう。
「ではさらばだ! もう遭わないことを願っているよ!」
そうしてお祖母さんが"門"を潜り抜けようとした瞬間、"門"とお祖母さんの間に黒いコートを着た男――つまりは別世界の僕が転移して割り込んできた。
そしてお祖母さんが張った障壁を中級ルーン魔術の『魔術的強化を解除する』魔術で搔き消して、拳銃でお祖母さんを撃ち抜いた。
時空操作魔術で作った障壁も、ルーン魔術で消せるのか!? 今知ることができて幸運だった。すぐに次を張りなおせばいいとはいえ、知らずに不意を突かれたら危なかっただろう。
倒れたお祖母さんは、苦痛に呻きながら別世界の僕を見上げる。
「くそ……なんだお前は……」
「別のパラレルワールドの貴方には苦渋を飲まされたことがあってね。エインフェリアですらない人間なのに、本当に厄介でさ。だから排除させてもらうよ」
別世界の僕は躊躇なく拳銃の引き金をもう一度引き、お婆さんの頭蓋を撃ち抜く。そのままお婆さんは物言わぬ屍となった。
突然の出来事に、ヴァーリとヒカちゃんが驚きの声をあげる。
「おい、ユウトが2人いるぞ! あれが前に言ってた別の世界のユウトか!?」
「えっ!? あれがそうなの!? 拳銃とか持ってるし、全然雰囲気違くない!?」
別世界の僕もエインフェリアであるため、後からエインフェリアになった者に対して認識阻害の効果がある。
目の前にいる別世界の僕は、相当に早い時期にエインフェリアになっていたようで、僕たちの中で最も早くエインフェリアになったヒカちゃんでさえも正しく認識できないようだ。
ただし、北欧の神であるヴァーリと、トートの剣を持つ心子さんは別世界の僕を正しく認識することができる。
僕は別世界の僕を睨みつけながら問いかける。
「お前の目的はなんだ。それにどうしてムスペル教団に協力しているんだ。ロキに情報を提供したらしいな」
「目的は前にも話したよね。祈里さんとの約束を守るためだって。確かにムスペル教団には協力しているけどさ、それがどうしたのかな。今から僕と戦うの?」
僕たちは今、ミゼーアやお祖母さんが使役していた怪物たちとの連戦で疲れ果てている。
その上、別世界の僕が持つ旧き印の弾丸は危険だ。僕たちが万全の状態ならともかく、この悪状況で戦いを始めるのはまずい。エインフェリアである僕とヒカちゃん、そして季桃さんが一瞬で戦闘不能に追い込まれる可能性がある。
このまま戦いを始めるのは得策ではないだろう。
幸い、相手も同じような気持ちだったのか、積極的に戦う意思は無いようだった。
「……5人同時はさすがにきついか。お祖母さんを排除できただけでも、今回の戦果は十分と考えよう」
別世界の僕はそう言い残すと銀の鍵でどこかへ転移していく。僕たちは命拾いした心持ちで心子さんの魔術工房へと帰るのだった。
◇
ミゼーアとの戦いから数日の間、僕たちはひと時の休息を得ているのだった。
窮極の門にいるらしい僕の世界のヒカルからは、あれから一切連絡は届いていない。
一連の出来事はカラスたちにも報告した。カラスたちはその報告を元に世界中を飛び回っている。また、ムスペル教団の拠点が幻夢境にある可能性が高いため、カラスたちは幻夢境を調査範囲に加えて大々的に動き出しているらしい。
ムスペル教団の拠点だけでなく、偽バルドルの本体も見つけてくれると嬉しいが、どこまで期待していいのだろうか。
僕は心子さんを探して、彼女の魔術工房から少し離れた場所にある丘へやってきた。
「あぁ、やっぱり心子さんはここにいたんだ」
僕たちが幻夢境に帰還してから、心子さんはこの丘へ時々足を運ぶようになった。ここには簡単にではあるが、お祖母さんのお墓を作ってあるのだ。
銃で撃たれたお祖母さんの遺体や、お祖母さんが従えていた怪物たちを晴渡神社に放置していると騒ぎになってしまう。
だから怪物たちの死体は人が近づかないような幻夢境の僻地に捨ててきて、お祖母さんの遺体はここに埋めた。
「まあ、お婆さんは悪い人でしたけど……。魔術を教えてもらったり、お世話になったのも確かなので。埋葬くらいはきちんとしてあげるべきだと思ったんです」
どこか言い訳するような口調で心子さんは言う。悪人に恩があったときに、その悪人を弔ってはいけないなんて決まりはない。
心子さんがエインフェリアである僕たちと行動を共にできるほどの力を身に着けたのも、元を辿ればお祖母さんのおかげなのだ。
それにパラレルワールドが異なる上にお祖母さんが意図したことでもないけれど、僕もお祖母さんからはたくさんの利益を得ている。
僕が魔術を学んだ魔道書はお祖母さんが書いたものだし、僕が持っている銀の鍵も、おそらくは僕の出身パラレルワールドのお祖母さんが用意したものだろう。銀の鍵を作り出せる魔術師が他にいるとは思えない。
直接の子弟ではないけれど、僕も間違いなく、お祖母さんが興した時空操作魔術師の系譜ではあった。
「僕も一緒に弔うよ、心子さん。困った人ではあるけれど、偉大な先人でもあるしね」
「ありがとうございます。僕たちが冥福を祈ってもお祖母さんが喜ぶとは思えませんが……僕は嬉しいです」
僕は心子さんの隣に並んで冥福を祈る。
心子さんの気が済むまで付き合ってから、僕は心子さんに話を切り出した。そもそも僕は、心子さんに尋ねたいことがあってここに来たのだ。
「心子さんは最近、お祖母さんが僕と季桃さんに対して行った、夢の狭間を利用した存在の書き換えについて調べているんだよね。何かわかったことがあれば、教えてもらえるかな?」
僕がそう尋ねると、心子さんは悩ましげに答える。
「そうですね……。夢の方から現実を書き換えるといえども、それほど融通が効く手段ではないことはわかりました。というのも、かなり限定的な条件下でしか使えない方法なんですよ」
心子さんによると、例えばヴァーリをヒカちゃんに書き換えるとかは不可能で、パラレルワールドの同一人物を上書きするのが限界らしい。
それに夢の狭間を利用する以上、死体を上書きして生き返らせるようなことも不可能だという。なぜかといえば、死体は夢を見ないからだ。夢の狭間で存在の書き換えを実行するには、対象に夢を見させる必要がある。
残念ながら、僕が期待していたほど、存在の書き換えは万能ではないらしい。
「そうか……。少し期待していたんだけどね。現実を上書きできるなら、死体を上書きして、エインフェリアの優紗ちゃんを生き返らせられるんじゃないかって。まあ、そもそも優紗ちゃんの死体も見つかってないけどさ」
僕はヨグ=ソトースの娘の毒液によって死んでしまった優紗ちゃんを生き返らせるとヒカちゃんと約束した。
今は具体的な方法を見つけられていないけれど、その約束を違えるつもりはない。
夢の狭間による存在の書き換えで生き返らせれないのなら、また別の方法を探す必要がありそうだ。
「でも……僕を上書きすれば、優紗は生き返りますよ。僕はパラレルワールドの優紗ですから」
僕は心子さんの言葉に息が詰まった。
「冗談でもそんなことを言わないでほしい! あの優紗ちゃんの代わりにキミを犠牲にするなんて、できるわけないじゃないか!」
「冗談じゃなく、僕はいたって真面目ですよ。場合によっては本当にそうすべきと考えているんです。どちらがより戦力として貢献できるのでしょうか。エインフェリアの優紗なのか、人間だけど魔術と銀の鍵を扱える僕なのか……」
「それでもだよ。僕は心子さんが消えることに賛成できない。どんなことがあってもね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、嬉しいです」
心子さんが消えても誰も喜ばない。僕もそうだし、ヒカちゃんもそうだろう。きっとあの優紗ちゃん自身もそうに違いない。
とにかく、聞きたいことは聞けた。心子さんが一緒に帰ろうと提案してくる。
「とりあえず、そろそろ戻りましょうか。やるべきことはたくさんあります」
「そうだね。心子さんの魔術工房まで帰ろう。といっても転移するだけだけどね」
僕は空間転移を発動したとき、偶然風が吹く。その風に釣られて、心子さんから一度視線を外した。
そして……視線を心子さんに戻したとき、彼女が途方もなく邪悪な笑みを浮かべたような気がした。
「あの? どうかしましたか?」
「いや……ごめん。何でもないよ」
優しい心子さんがそんな邪悪な笑みを浮かべるはずがない。きっと気のせいだったのだろう。
僕はそう結論付けて空間転移をしようとして……、ふと気になったことがあった。
「ねぇ心子さん。ロキに会ったときのことを覚えてる? 心子さんが僕たちに、何かを伝えようとしてたと思うんだけど」
僕は当時のことを思い返す。
◆◆◆
クルーシュチャが心子さんを視界に収めた瞬間、心子さんが断末魔のような叫び声をあげて膝から崩れ落ちる。
「ああぁあぁ……! そ……んな………! す……ませ………! うぅ……。 はな……べき……た……」
心子さんは僕たちの中で最も魔術や邪神について精通している。そのためクルーシュチャに潜むナイアラトテップの神性を、他の面々とは比較にならないほど色濃く感じ取ってしまったのだろう。
心子さんは全身を震わせながらうずくまり、何かを脳内から追い出そうとするかのように頭をかきむしる。それでも僕たちに何かを伝えようとしているように見えるが、まともな言葉になっていなかった。
◆◆◆
「あのとき心子さんは何を言おうとしていたの? そういえば確認してなかったよね」
「すみませんが、覚えがありませんね。勘違いではありませんか?」
どうにも違和感がある。けれど、それを追求できる証拠も、手がかりもない。
あの時の心子さんは完全に錯乱していたし、僕が気にしすぎていると言われればそれまでだ。
「そうなのかな……。ごめんね、変なこと聞いて」
「いえいえ、些細な違和感でも確認することは大切ですから」
どうにも腑に落ちないけれど、僕たちは空間転移を発動して、今度こそ心子さんの魔術工房へ帰った。
◇
拠点へ戻った僕たちを、ヒカちゃんが出迎えてくれる。
「ユウ兄、心子さん! あのねあのね! 私、上級のルーン魔術もたまには成功するようになったんだよ!」
「すごいじゃないか! ヒカちゃんのルーン魔術にはいつも助けられてるよ」
「ヒカルさんは頑張り屋ですからね。僕も見習わなければなりません」
ヒカちゃんはより多くの魔術を使えるようになるために、最近は特に練習を頑張っている。
レギンレイヴから力や記憶が流れ込んでくればすぐに使えるようになるらしいが、流れ込む量が少ないから、努力で補っている。
「えへへ。私、もっともっと頑張って、みんなを守れるように強くなるよ。まだまだ成功率を上げないと実戦では使えないけど、見ててね! きっとすぐに習得して見せ……あれ……。なんか力が……入ら……ない……」
そのままヒカちゃんは地面に倒れこむ。
「ヒカちゃん!? しっかりしてヒカちゃん!」
僕は倒れたヒカちゃんを抱き起こし、意識の有無や脈拍を確かめる。意識は無いようだが、命に別状はなさそうだ。
いったいヒカちゃんの身に何が起きたのだろうか?
大きな怪我をしたわけでもない。魔術の鍛錬を頑張っていたけれど、疲労が原因というのも違う気がする。病気の類も心当たりがない。
なぜヒカちゃんが倒れたのか見当がつかず、僕は焦るばかりだ。
「トートの剣を持ってきます! もしかすると治療できるかもしれません!」
そういって心子さんが大急ぎで部屋から出て行った。原因がわからなくても、トートの剣なら治療できるかもしれない。
心子さんと入れ違いでヴァーリがやってくるが、彼も何やら慌てている。
「おいユウト、やべぇぞ! 一度こっちに来てくれ!!」
「やばいって何が!」
「来ればわかる……ってうぉ!? なんでヒカルが倒れてるんだ!? まさかあいつら、もう仕掛けてきてんのか!?」
仕掛けてきているとは!? ヴァーリはいったい何のことを言っているのだろうか。
行けばわかると言うのなら、行って確かめなければ。ヒカちゃんを放っておけないので、僕はヒカちゃんを抱えながらヴァーリについていく。
「囲まれてんだよ! リモモとココにも声をかけねぇと!」
「いったいどうしたの? 囲まれてるって?」
僕たちの騒ぎを聞いて季桃さんがやってくる。彼女もまだ状況を把握できていないようだ。
心子さんもトートの剣を抱えてすぐにやってきて、ヒカちゃんを治療してくれた。しかし、ヒカちゃんは目を覚まさない。
「やはりヒカルさんが倒れたのは、外傷や疲労といった問題では無いようですね。おそらく一時的なものだとは思うのですが……」
高度な医学知識を持っている心子さんがヒカちゃんを見てくれるが、何とも言えない診察結果だった。もっと詳しく調べれば何かわかるかもしれないが、今はそんな時間はない。
僕はヒカちゃんを抱きかかえて、落ち着かない気持ちのままヴァーリに連れられて外へ出た。
そこには30人弱ほどのエインフェリアを従えた、2羽のカラスがいた。カラスたちは僕たちに冷淡に告げる。
「投降しろ、反逆者ども。バルドル様を傷つけ、戦乙女をたぶらかし、北欧の神々に仇なす罪は重い」
「お前たちは完全に包囲されている。直ちに降伏しなければ武力によって制圧する」
どういうことだ!? どうしてカラスたちが僕たちを敵と認識しているんだ!?
ヴィーダルが死に、バルドルとヘズが偽物だとわかった今、カラスたちが従うべき北欧の神はヴァーリしか残っていないはずだ。
それなのに、僕たちが神々に仇なす反逆者だと……?
カラスたちの目的はなんだ? 僕たちを襲うことで何のメリットがある?
逃げるだけなら銀の鍵を使えば解決だ。だが、それだと今後に繋がらない。カラスたちの目的がわからない。
あまりにも突然の出来事に驚きを隠せない僕たちだったが、打開の糸口を探して思考を巡らせ始めるのだった。
―――――――――――――――――――――――
『第2章:銀の鍵編』は完結です。
次エピソードから、物語の真相に迫っていく『最終章:レギンレイヴ編』となります。
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