第19話魔術師と薬

――だが、気づけば俺の足は治療院とは逆方向を向いていた。

仕事をして忘れようとしたのだが……駄目だな。やはりレゼをどうにかしないと心配で動けそうにない。

思えば俺って意外と小心者なんだよな。自分のせいで他人が傷つくのって、意外とショックを受けるものだ。


「ま、一応出来ることがあるしな」


独りごちながら辿り着いたのは街外れにある巨塔、魔術協会の本部である。

――魔術協会、以前冒険者たちから聞いた印象はマッドサイエンティストたちの巣窟という感じで絶対関わりたくないと思ったものだが、後々調べたところによると魔法技術の探求を主とする集団、俺の感覚で言えば研究機関が表現としては近いだろうか。

確かに俺の『治癒』が明らかになれば人体実験される可能性は高いが、一応それなりに権威と技術がある連中のようで、俺も製薬の際などは色々と検証を手伝って貰っているのだ。


恐らく魔術協会の力を使えばレゼの心の傷も癒せるだろう。

魔法という技術には俺の知識や経験とは全く違った力があるからな。特に精神関係への効果は俺の『治癒』とは比較にならない。

以前、ショックで喋れなくなった子供をあっという間に治していたからな。まさに魔法の如くだった。


「さて、あいつはいるかな……」


目的の人物をどう呼び出したものかと考えていた、その時である。


「あー! エリアスお兄ちゃんだ!」


声の方を向くと、魔女のような恰好をした少女がいた。

服のサイズが合ってないのかダボダボで、長いローブを引き摺っている。

実際俺より年下だからな。


「久しぶりだな。アニー」


彼女はアニー。孤児院出身の魔術師だ。

あの時の冒険者たちと魔物の戦いを見て魔法に強い興味を持ち、一人で魔術書をずっと読み続け自力で魔法を使えるようになった天才だ。

天才、とまでいうのは魔術書というのは非常に難解で、俺でも投げ出すほどだからだ。

俺もオタクのはしくれとして魔法とやらを使おうと勉強してみたのだが、謎の固有名詞や理論理屈がつらつらと並ぶ魔術書をいくら読んでも頭に入って来ず、全く理解できなかった。

日本語が出来ても高度な数学が難しいもんだ。……そもそも俺は勉強が苦手なのである。

だがアニーはそんな魔術書を瞬く間にモノにしてしまった。それもたった半年、そして俺たちより早く孤児院を出て、この魔術協会に入ったのである。

特に魔法薬を作り出すことにおいてはかなりの才能を発揮し、その腕前は魔術協会でも一目置かれる程で俺も調合技術を教えて貰ったくらいだ。

これを天才と言わずしてなんと言う――


「お兄ちゃーーーんっ!」

「ごふっ!」


なんてことを考えていると、アニーから勢いのついた体当たりを喰らってしまう。


「んふふ~♪ 久しぶりのお兄ちゃんのニオイ~♪」

「いてて……少しは加減してくれよ……」


そのまま押し倒され、腹にぐりぐりと頭を押し付けられる。

子供ってのは加減を知らないから困るな。天才と言っても中身は子供だ。

本をよく読んでいたからか、アニーは俺に良く懐いているのだ。とはいえじゃれついている暇はないのでグイっと突き離す。


「悪いアニー、急ぎの用があってきたんだ。とある薬が欲しくてな」

「薬? お兄ちゃんの頼みなら何でも聞くよー」


リオネといい、女の子があまり「何でもやる」を安売りしない方がいいと思うぞ。

ま、今回のような急ぎの状況ではありがたいのだが。アニーの作る魔法薬は非常に人気があり、普通に頼むと何か月も待つことになる。

こういう時にコネがあるといいんだよな。


「助かるよ。実は知り合いがひどい目に遭って辛い状況なんだ。精神安定に使えそうな薬品を幾つか見繕って欲し――」

「それ――女?」


突如、アニーが低い声で問う。目も座っている。その迫力に思わず息を呑む。


「あ、あぁ……俺の世話になっている人なんだけど……」

「……やっぱり、他の女の匂いが混じっていると思った。リオネじゃないよね。どこのオンナなの?」


ずい、と詰め寄ってくるアニー。……ただちょっと嫉妬深い性格なのがたまにキズだ。

昔から俺が他の女の子と喋っていただけですごい睨んできたものだ。

うむぅ、機嫌を損ねたら薬を作って貰えないかもしれないが、嘘を吐くと後で面倒になるからな。ここは正直に話すとするか。


「……あぁ、教会で働いているレゼだよ。話したことくらいあるだろ?」

「レゼ……あのイヤラシイ身体のシスターね。お兄ちゃんを誘惑して……絶対許さないんだから……!」

「話を聞け!」


アニーの肩を掴み、真っすぐ見つめる。

驚いたような顔で目を丸くするアニーに真剣に話しかける。


「彼女は俺のせいで免罪をかけられ、牢屋に入れられてしまったんだ。それで深く傷ついている。責任を取らなければならない。その為にお前の力が必要なんだ。頼む、力を貸してくれ。アニー」

「うーん……わかったよ。他ならぬお兄ちゃんの頼みだからね。薬、作るよ」

「本当か!? ありがとうっ!」


両手でアニーの小さな手を取り、握り締める。

先刻までの冷暗な顔が一気に赤くなり、目を丸くした。


「きゃっ! お兄ちゃんたら……だ、大胆だなぁ……えへへ……」


……ま、多少クセはあるものの、こんな感じで扱いやすい俺の道具の一つなのである。



「それでえーっと、精神安定に効果がある薬だっけ。ならアロマとか使えるかもね」


アロマセラピー、つまりハーブなどを用いて作り出した香りによる治療法である。

たかが香りと侮るなかれ、ニオイによる効果というのは人間にとって効果が高いのだ。

俺もストレスで眠れなくなった時に半信半疑で試したことがあるが、驚く程改善したものである。

とはいえ個人差はあるが、用法要領を守って使えばそれなりの効果は期待出来るだろう。

特にアニーの魔法薬なら尚更だ。レゼの心の傷もある程度癒せるかもしれない。


「ありがたい。早速作って貰えるか?」

「うーん……そうしたいのは山々なんだけど……ねぇ……」


曇り顔で考え込むアニー。何だよまた妙な嫉妬を拗らせるんじゃないだろうな。

訝しんでいるとアニーはパタパタと手を振る。


「あ、いや、変な理由じゃなくて材料がないの。今は時期じゃなくて、切らしてるのよ」

「むぅ……シレン草か」


数種の薬草と煎じて飲むことで精神安定剤として高い効果を発揮するシレン草は冬にしか生えないのだ。

今は夏、在庫切れでもおかしくはないか。


「……わかった。俺が探してこよう。アニーは他の材料を用意して待っていてくれ」

「え? 探してくるって……お、お兄ちゃん!?」


アニーを別れを告げ、俺は魔術協会を後にする。

背中には何か言いたそうなアニーの視線を感じていた。

……ていうかあいつ、何でついてきてるんだ?

後ろを向くとササっと物陰に隠れる。何でもいいが服がはみ出しているぞ。


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