第一部 安針 第一章 生い立ち ②
産後の肥立ちが悪くて母が亡くなり、他人の乳をもらって育った。治郎は、ほとんど口を利かずに過ごす赤子だった。つけられた名前は平太郎。赤子とはいえ前世の記憶はある。一歳くらいから立てるようにはなっていたが、二歳になるまでは立てないふりをしていた。膝を浮かせた状態で「はいはい」をしながら、握力がつくよう意識していたのだ。傍目には、ずいぶん変わった赤ん坊に見えただろう。いろんな大人が世話してくれた。だが、父親の顔だけは、めったに見ることがなかった。
歩けるようになっても、平太郎はしょっちゅう転んでみせた。受け身の稽古である。転んでも泣かず、にこにこしている。その様子を見て、周りの大人は、あまり心配しなくなった。体が小さいので、体捌きの練習も部屋の中で楽にできた。合気道の動きは、しっかり「記憶」している。師匠が最後に見せてくれた居合いの型も、筋力さえつけばできそうだ。昼寝の時間には、瞑想をしていた。魂だけでいたあのころ、湧き水のある「山」を意識するための集中力は、瞑想に通じていたらしい。呼吸を整え気持ちを落ち着かせると、いろんな映像が「観」える。最初のうちはランダムに「観」えていた映像も、「観」たいという気持ちを強くもつことで「選べる」ようになった。もっとも、自分が見える範囲から視点を動かす形で「観」えてくるので、実際に見たことがない風景を「観」るのは、難しかった。
平太郎が生まれたのは、どうも古着屋らしい。着物を仕入れ、傷んだところを繕った上で売りに出している。屋号は「黒田屋」で、親父の宗右衛門は二代目だ。ちょんまげ姿の大人が算盤をはじきながらやり取りする様子を見ていると、平太郎が生まれてきた時代は、治郎の生きた時代よりずいぶん昔に遡っているのがわかる。魂として過ごしたあの「湧き水の村」から生まれ変わるとき、何か法則でもあるのだろうか。時を遡ったのであれば、「タイム・パラドックス」にも気をつける必要がある。
平太郎には、五つ上の兄がいた。名は清太郎。平太郎が五歳を迎えた春、父は清太郎を道場に通わせることを決めた。父は、この時代にしては大柄な男。商人でありながら町の道場に通いつめ、ある程度「遣える」小太刀の技を身につけていた。清太郎に読み書きそろばんを仕込む傍ら、自分と同じことをさせたくなったらしい。父が食事のたびに話しかけるのは、いつも清太郎だった。平太郎には見向きもしない。読み書きそろばんは、兄が習う様子を垣間見て覚えた平太郎である。
跡取りの兄はともかく、弟まで道場通いをさせる余裕はなかったようだ。平太郎は、こっそりと受け身の稽古を続けながら瞑想を続けた。そのうち、店に訪れる客との会話から、黒田屋のあるこの藩が「伊納藩」だということが分かる。前世で習った歴史には登場しない名だ。杉が植えられ、弁甲材つまり船を造る材料として売られていることも聞いた。前世で中学・高校時代を過ごした宮崎県南部の町に似ている。
漠然とした違和感がぬぐえないまま、数日が過ぎた。瞑想に入って「観」える風景も、少しずつ変化してきた。「観」える風景の中にいた人物を、追跡できるようになったのだ。人物に注目しながら自分の視線を「引く」ような感覚でいると、その人物は後ろ向きに歩き出す。その人物が過去に何をしたのかが「観」えるのだ。逆に視線を先に向かって「押す」と、動画の早送りのような動きで時間が進む。面白くなって夢中になっていた平太郎は、何度か食事に遅れて叱られている。
ここまでくると、瞑想中に「観」えるのは、ほぼ「透視」と言っていい。人物だけでなく物の時間も自由に「観」えたので、家の中での失せ物探しに役立てることもできた。特に兄の清太郎は、手習いで使った紙や筆を置きっぱなしにすることが多く、代わりに見つけてやるのが弟の仕事になった。親子関係と違い、兄弟関係は良好だ。使い勝手のよくなった「透視」のおかげで、藩のこともずいぶん分かった。やはりここは、前世で中学・高校時代を過ごした宮崎県南部の町。地名と同様、歴史も違うだろう。ここは前世の「過去」ではない。違う次元、おそらくは並行世界の「過去」なのだ。
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